人生道に迷ったり不と立ち止まる瞬間、誰かに手助けしてもらう、背中をチョイと押して欲しい瞬間があることがある。
そのおかげで新しい一歩を進むことが出来たりするのはとてもありがたいことだと思う。
逆に押されて嫌なときっていうのは、満員電車でギュウギュウ詰めにされるときに鉄道員に無理やり押し込まれて触られたくないところ押されたりして結構嫌な気分になったりします。
(私は長い間満員電車に乗ってないので分かりませんが・・・)
でも人間の感情とはいい加減なので何が気持ちよくて何が気持ち悪いかはとても微妙です。
満員電車でギュウギュウ詰めにされる時でも、前に可愛いお姉さんが居るときや、タッキーみたいにカッコいいお兄さんが居たら(もっと押してぇ~)って思うし(私だけ?)、それは決して嫌な気分になりません。相手がどう思うかは別だけど。
でもこんな場合もあります。
花のいい香りや香水の臭いは悪い臭いじゃないのに目の前のおばさんとコラボすると
「何異臭放ってやがんだ!?おぉ?罰ゲームかよぉ・・・」
って思うわけです。それがシャラポワさんだったら、オッケーだったりします。
いやはや・・・異臭は言い過ぎですか?
私は人の多いところが苦手なので休日や餓鬼がうろつく日のスーパーは大嫌いなのですがそれ以外は大好きです。忙しくないと店員さんも親切だしね。人間余裕がないとダメってことですね。
そんなスーパーでよく見る光景。
目利き、指利き?なんでしょうか?よく品物を吟味選定するときにあれやこれや触りまくる人が居ます。
バナナなんかの場合個人的に好き嫌いがあって、硬いのがすきとか大きいの小さいのと好みがあるので色々と手にとって見るのは分かるんです。野菜などは特にそうです。
これはいたしかたありませんし、許容範囲内です。
お魚はどうでしょう。市場で鮮度やうまいだろうと思う魚を見つける職人さんのごとく、主婦の皆さんも頑張っておられます。
自分の腕を磨くことはさておいて、とりあえず素材の良さに料理の腕をカバーしてもらうとする願望なのでしょうか?と勘ぐったりもしますが、下衆の勘ぐりですね。
私は生鮮食品の値段が同じ魚でもグラムが違うことで値段が違ったりしますから、その分でいくつか手に取ることはありますが鮮度や美味しさはこだわりません。店の信用にかかわりますからまずいものを売っていれば今後その店では二度と買わないので店だってそれほど悪いものは置いていないと高をくくって買います。
ちなみにサティやイオンの専門店以外の直営の和菓子は私に
「不味い」
のレッテルを貼られているので、以来私に購入されることはありません。
信用をなくすと消費者は二度と寄り付きません。
生物や自然食品についてはこんな感じで目利きは重要な気もします。
さて問題は加工食品。不二家やかつての雪印のように食品管理に問題がある場合は論外なのですが、そうでない場合はどれを手にとっても殆ど差異はありません。後進国ならいざ知らず消費大国ニッポンの場合はその当たりの品質管理はほぼ完璧といえます。
潔癖症で人が手にしたものを手に取りたくない一心から奥のほうの食品を選んだりするのは分からないでもないです。
私もたかだか週刊誌を買うときに山積みの上から三冊目を買いますからね
(潔癖症とは違いますがやっぱり一番上は破れてたりすることもないわけじゃないので。でも私の買う週刊誌は山積みされているのを見たことがない。)
そんな加工食品の選別で許せないのがパン。個人のお店ならいざ知らず、山崎パンや神戸屋さんなんかの大量生産の工場製品の場合は、正直どれをとっても同じです。見た目を選んでも意味がありません。グラムまでキッチリ管理されていますから大きく見えるものや美味しそうに見えるものを選んでも生産管理の範囲内でしかありません。
こんな感じなのでどれでも一緒だと思うんだけど・・・
山積みにされた食パンを次から次へと押していく消費者が居ます。一体何を選別してるんでしょうか?
柔らかさ?消費期限?イースト菌の量?
買い物籠の中には「3割引き」のシールの貼ってある菓子パンが入ってるのに何故に¥100のパンをそんなに押して選ぶ?何を選定してるのか私に誰か教えてください。食パンを押す理由。
押されたパンの気持ちはこんな感じでしょうか?
そんなわけで今日は食パンを押すのが許せないことを語るためだけに長々を書いてしまいました。この行為一つで脳内にはこれがけの事柄が駆け巡る私でした。
でも食パンを押してしまうのはメーカーにも責任ありますね。
「押してこの柔らかさを体験してください」
的な販売アピールもかつてあった気がしますから。洗脳って怖いですねぇ~
そのおかげで新しい一歩を進むことが出来たりするのはとてもありがたいことだと思う。
逆に押されて嫌なときっていうのは、満員電車でギュウギュウ詰めにされるときに鉄道員に無理やり押し込まれて触られたくないところ押されたりして結構嫌な気分になったりします。
(私は長い間満員電車に乗ってないので分かりませんが・・・)
でも人間の感情とはいい加減なので何が気持ちよくて何が気持ち悪いかはとても微妙です。
満員電車でギュウギュウ詰めにされる時でも、前に可愛いお姉さんが居るときや、タッキーみたいにカッコいいお兄さんが居たら(もっと押してぇ~)って思うし(私だけ?)、それは決して嫌な気分になりません。相手がどう思うかは別だけど。
でもこんな場合もあります。
花のいい香りや香水の臭いは悪い臭いじゃないのに目の前のおばさんとコラボすると
「何異臭放ってやがんだ!?おぉ?罰ゲームかよぉ・・・」
って思うわけです。それがシャラポワさんだったら、オッケーだったりします。
いやはや・・・異臭は言い過ぎですか?
私は人の多いところが苦手なので休日や餓鬼がうろつく日のスーパーは大嫌いなのですがそれ以外は大好きです。忙しくないと店員さんも親切だしね。人間余裕がないとダメってことですね。
そんなスーパーでよく見る光景。
目利き、指利き?なんでしょうか?よく品物を吟味選定するときにあれやこれや触りまくる人が居ます。
バナナなんかの場合個人的に好き嫌いがあって、硬いのがすきとか大きいの小さいのと好みがあるので色々と手にとって見るのは分かるんです。野菜などは特にそうです。
これはいたしかたありませんし、許容範囲内です。
お魚はどうでしょう。市場で鮮度やうまいだろうと思う魚を見つける職人さんのごとく、主婦の皆さんも頑張っておられます。
自分の腕を磨くことはさておいて、とりあえず素材の良さに料理の腕をカバーしてもらうとする願望なのでしょうか?と勘ぐったりもしますが、下衆の勘ぐりですね。
私は生鮮食品の値段が同じ魚でもグラムが違うことで値段が違ったりしますから、その分でいくつか手に取ることはありますが鮮度や美味しさはこだわりません。店の信用にかかわりますからまずいものを売っていれば今後その店では二度と買わないので店だってそれほど悪いものは置いていないと高をくくって買います。
ちなみにサティやイオンの専門店以外の直営の和菓子は私に
「不味い」
のレッテルを貼られているので、以来私に購入されることはありません。
信用をなくすと消費者は二度と寄り付きません。
生物や自然食品についてはこんな感じで目利きは重要な気もします。
さて問題は加工食品。不二家やかつての雪印のように食品管理に問題がある場合は論外なのですが、そうでない場合はどれを手にとっても殆ど差異はありません。後進国ならいざ知らず消費大国ニッポンの場合はその当たりの品質管理はほぼ完璧といえます。
潔癖症で人が手にしたものを手に取りたくない一心から奥のほうの食品を選んだりするのは分からないでもないです。
私もたかだか週刊誌を買うときに山積みの上から三冊目を買いますからね
(潔癖症とは違いますがやっぱり一番上は破れてたりすることもないわけじゃないので。でも私の買う週刊誌は山積みされているのを見たことがない。)
そんな加工食品の選別で許せないのがパン。個人のお店ならいざ知らず、山崎パンや神戸屋さんなんかの大量生産の工場製品の場合は、正直どれをとっても同じです。見た目を選んでも意味がありません。グラムまでキッチリ管理されていますから大きく見えるものや美味しそうに見えるものを選んでも生産管理の範囲内でしかありません。
こんな感じなのでどれでも一緒だと思うんだけど・・・
山積みにされた食パンを次から次へと押していく消費者が居ます。一体何を選別してるんでしょうか?
柔らかさ?消費期限?イースト菌の量?
買い物籠の中には「3割引き」のシールの貼ってある菓子パンが入ってるのに何故に¥100のパンをそんなに押して選ぶ?何を選定してるのか私に誰か教えてください。食パンを押す理由。
押されたパンの気持ちはこんな感じでしょうか?
そんなわけで今日は食パンを押すのが許せないことを語るためだけに長々を書いてしまいました。この行為一つで脳内にはこれがけの事柄が駆け巡る私でした。
でも食パンを押してしまうのはメーカーにも責任ありますね。
「押してこの柔らかさを体験してください」
的な販売アピールもかつてあった気がしますから。洗脳って怖いですねぇ~