エクレアのあのねのね

大と為せば、以って大と為すに足らず

















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あの賞の季節に物思う

2020年10月05日 11時37分23秒 | 徒然日記の50
毎年この時期になると隣国が誰それがノーベル賞候補で受賞する可能性が高いなどと盛り上がっているけれど、起源説やらと同じで他国でもてはやされて自国にあるものは全部一番じゃないと気が済まない国ってのもなんだか悲しい。
日本という国は良くも悪くも有言実行し、失敗しつつも基礎研究は怠らなかったおかげで今の日本国がある。良いとこ取りをして基礎をおろそかにしてはいけないってのは今更ながら大事なことだと思う。

中国にはノーベル賞に対抗して孔子賞なるものがある。認知度低すぎて漢字変換でも引っかからないマイナーな賞だけど、世界人口に占める割合がなかなかなので小さな声でも耳に入るのはこれまた迷惑な話でもある。

孔子という人物はいわば逆輸入品で、三国志にも似ている。三国志の登場人物で人気の人物は中国の三国志で人気の人物とはずいぶんと異なる。日本で人気の劉備なんての中国ではかなり人気が低い。

孔子という人物は中国では評価はされていなかった。日本では大権現(徳川家康)が孔子の教えを広めて以来崇拝されて孔子の教えは大変ありがたいものになっていったけど、孔子自身は何一つ成就せずに終わった人である。
聡明期にはそれなりの地位にもついていたけれど晩年は少ない弟子を引き連れ、最後は惨めな最期を遂げている。
つまり彼の教えはありがたく解釈することは出来るが、実は何一つ実現できなかった理想を愚痴っているという見方もできる。

理想と現実の違いを体現した人物だと思えば生まれてきたことに後悔はないかもしれない。

物事を深く考えれば成程と思えることも、普段の生活ではそこまで余裕をもって他人の言葉をかみ砕くことはしないので一般人にはなかなか響かない。

中国の賢い所は自分たちが蔑ろにした人物であっても利用できるのであれば再利用しようとするところ。
日本人の悪いところは否定した文化は殆どの場合再利用しようとはしない点。過去から学ぶという見方をすれば賢い民族ともいえるけど必要悪を利用しないのは頭の悪さでもある。
毒の使い方がうまくないんだな。
信長が悪い、秀吉が悪い、坂本龍馬が悪いなんて全否定する人もいるけどその結果今があるのなら失敗の中から毒の使い方も学ばないといけない。

孔子賞を思うとき、こうした考察を巡らせるのは多分私だけなんだろう。

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