エクレアのあのねのね

大と為せば、以って大と為すに足らず

















なページ

つまり。要するに。

2009年10月26日 12時00分00秒 | 徒然日記の50
ブログを書く時は直接書くと、保存時に飛んでしまうことが多いので必ずワードなどのテキストエディタで書いたものをコピー&ペーストで貼り付けるようにしている。

ワードの体裁はグリッド線表示で書いていたのだけど、最近はグリッド線を表記しないで書くようになっている。
これはどういう事かというと手紙を書く体裁でないということ。
便せんなどに書く時の多くはグリッド線である下線に沿って文字をしたためるのだけど、最近は手紙を書くことがなく、そのおかげで下線の有無も気にならなくなっている。

これが良いことか悪いことかは手紙を書いた時にハッキリするのだけど、特に日本語の美である縦書きに文字を書くと愕然とすることになる。

最近、テレビを見ていてコメンテーターの多くに「つまり」「要するに」と言う言葉がかなり気になる。

「えーっと」「あのー」って言葉が鬱陶しく感じると大差ない。
「えーっと」「あのー」ってのは英語だと「an・・・」とか「and・・・」って感じの発言であるわけで、次の言葉を探している時間帯に出てくる言葉の代表ですな。

「つまり」「要するに」をgooの辞書で引くと、
「つまり」=要するに。
「要するに」=(副) 要約して言えば。かいつまんで言えば。つまり。

とある。同義語と言うことだね。
この「かいつまんで言えば」の解釈が人それぞれで異なる。
比喩の表現方法は千差万別で、自分の知識の中で置換することがほぼ前提になっている。
この表現が社会一般にわかりやすいたとえの出来るだけのボキャブラリーを持っている人が「つまり」「要するに」を使う分にはいいんだけど、概ね自分の世界での経験論の中の物語に置き換えて話そうとするので始末が悪い。

誰も経験していないような経験をたまたましていても、経験者にとっては比喩の対象になる。そんな経験論を「つまり」「要するに」の表現に使われた日には
「何言ってんだかなぁ・・・」
ってことになる。
「朝まで生テレビ」などのディスカッション方式のトークショーを聞いていると「つまり」「要するに」が頻繁に出てくる。ああいうところに出てくるコメンテーターの多くは偏向したキャラクターで有ることが多く、当然ながら「つまり」「要するに」に置換表現される言葉が聞き手に伝わってこない事が多々ある。

つまり、あんたの言っていることは何にも要約してないし・・・。

ってことになる。
まあこんな感じで、「つまり」「要するに」は私の中の嫌いな言葉ランキングの上位にランキング中です。
かくいう私のブログでも「つまり」などは時々使っている。
自分で書きながらこの言葉を使う時は(この表現は理解してもらえるのだろうか)といつも迷うわけで、極力使わないようには心がけている。

私とて、狭い世界観しか持ち合わせていない。なので「じゃないですかぁー」のように相手も共通の倫理観を共有しているがの如く話してしまわないようには注意している。
テレビ番組と違い、ブログは言葉が形として残っているので特に気を付けないとと思う最近です。

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