漫才グループ「漫画トリオ」で活躍した前大阪府知事の横山ノックが亡くなりました。ご冥福をお祈りします。
個人的にはずっと好きな人だったのでとても残念。問題を起こして知事を辞任しましたが、正直残念でした。
「君たちは大阪府知事をどこまでいじめたら気が済むんだ!?」
のセリフが忘れられません。
責任を取って府知事の職を下りてからもマスコミは抹殺し続け、復帰の機会は近年までありませんでした。
復帰はラジオ関西という関西でも超マイナーなローカルAM放送局。
06年7月24日の「ラジ関アフタヌーン立原啓祐です」で地上波に復帰。
それ以降の活動は舞台のほかメディアとしてはCS放送と、スポーツニッポンに喜味こいし師匠との「ツルは千年しゃべりは万年」という定期コラムぐらいだったんじゃないかな?もっとメジャー復帰して欲しかったと切に願っていた。
もう何度も書いて飽きちゃったけど最近の風潮として一つの過ちも許さない世間の風潮がある。
マスコミが自分たちの飯の種に作り上げたビジネススタイルなんだけど。
見事に国民は踊らされて、あれが体に良いといっては買いに走り、これはダメだといえば徹底的にコキ下ろす。マスコミの思うツボにはまってしまってます。
ダメだよ。自分で考えないと。
セクハラについて、被害者の心情は分からないでもないが、昨日書いた満員電車のように、シュチエーション次第では嫌なことが嫌でない場合があるわけで、今時挨拶代わりに“尻をポン”とか“肩を叩く“なんてことするだけでセクハラ扱いされます。
小さなコミュニケーションも許されないような心の度量の狭さのほうが問題に感じます。
被害者はどれほど傷ついたかは私には分かりません。でも230万票の支持を得た人間をたった一人の人間の思いが潰したのかと思うと、天秤にかけたときにどう判断すればいいか迷います。
国家が存亡する定義として国民が存在するのではなく、個人があって、その体現として国家が存在しているので1個人の人権が大衆に勝るのは当然なんだけど2300000:1となるとどうも説得力に欠ける。
一つの間違いで230万人の夢を台無しにしたのかと思うとどうしても説得力にかける。
彼が今もって府知事なら、現太田府知事よりはよほど大阪は元気があったろうし、関西経済はここまで落ち込まなかったのではないか?などと考えてしまう。被害者に身を殺す度量が会ったのなら幸せになれた人間がもっと居たのではないかと思ってしまう。
私が関西人であっても大阪府民でないし、被害者でないからこう言えるだけなんだけど、利害関係があれば当然考え方もまた変わったのかもしれない。
私が被害者だったら被害者と同じ行動をとったと思う。だから被害者の行動は正しいと思う。
犯罪は悪い。だから本人が悪いのは分かっていてもどうしても納得できないのは、“たられば”“もし”という思いがあるから。
“もし被害者がコミュニケーションと笑い飛ばす度量があったら“
と。
たしか当時の被害者は権力者に逆らえなかった的な発言があったと思うが、本当に嫌だったらその場で毅然とした意思表示が出来たのではないか?少なくとも後で訴えて、自らの辱めを世間に知らしめるだけの勇気の持ち主ならば、その場でもその勇気は出せたのではないか?と思ってしまうのだ。
もっとうがった見方をすると、隙を見せて陥れる機会を持ったのではないか?勿論本人の意思ではなく何らかの後ろ盾があってスキャンダルを画策したのではないかとも考えてしまうのだ。行動を起こすと言うことはそれについて何らかの利害関係を発生させるわけだから。
ノックさんは一時的な快楽を求めセクハラを起こした。被害者は裁判を起こすことで大量の慰謝料をと考えた・・・
色々と思うことはあるけど、死んでしまえばこれ以上何をか言わんや。だなぁ・・・
被害者、加害者はさておいてやはりお笑い芸人「横山ノック」に復帰の道を与えなかったマスコミの対応には腹が立って仕方がない。
そのくせ訃報の瞬間には“良い人でした”的扱い。ならば生きているときに態度で示せと言いたい。
下らん安モンのお笑いをコメンテーターに使うのであればノックさんを使ってやれよって思ったのは私だけなんだろうか?
パペポTVの中では上岡龍太郎と笑福亭鶴瓶がノックさんの話をしている。ノックさんが窓伝いに風呂場を覗き見した話なんかは物凄く面白い話。もう“パンパカパーン”ってあの明るい笑顔とは会えないんだと思うと残念です。あっちで青島幸男さんと仲良くしてください。
合掌