病気をちゃんと回りに理解してもらうのって、ホントに難しいものがありますね…。
外見がみんなと違うだけでも理由は関係なく、からかいやいじめの対象になる事もあるし、見た目では健康だと思われて、みんなと同じ事を求められて断れば、付き合い悪いとか、やる気ないとか思われる事もあったりで、「病」の周知を決断するまで、自分自身の時も、身内や友人の時もかなり悩みました。
私の場合小児麻痺と言う「外見でも判断できる病」に関しては説明もしやすいのですが、説明しても痛みや何が出来ないかはいつも同じじゃないので、そのつど詳しく説明をしながら理解してもらっています。
でも「内臓の病気や心の病気」などのように「外見だけじゃ分からない病」は、自分から言わないと周りは気付かない場合も多いので、余計な心配かけたくないとか、仕事に差しさわりがあるとか、周知するかどうかの決断とタイミングは凄く悩みました。
まあ、特に周りに言わなくても大丈夫な「病」もいっぱいあるので、何でもかんでも言えば良いって言うもんでもないですけどね(^^;)
私は身の安全と何か異変があった時周りの人が対処できない事の方が迷惑になると考えて、病気の周知を決めました。
ただ、予想以上に周りの反応は賛否両論様々でした。
凄く勇気を貰いました!って元気を出してくれた人。
もし何かあったら困るし、責任取れないから大人しく家で養生してくれ…と、私がステージに立つことを不安に思う人。
わざわざ言わなくても良いのにと反発する人。
同情買いたいの?…と嫌味を言う人。
特別扱いされてズルイと言う人。
「貴方みたいに頑張れません」と、逆に落ち込んでしまう人。
「病人のくせに…。」と冷たい視線を浴びせる健康な人。
言葉で応援して欲しいのか、実際手を貸して欲しいのかなど、実質的な話になると、家族や、病院、行政や福祉なども関わってくるので、周知するかどうかとは又別の問題になってくると思います。
病名や、症状を周知するのは、協力者が増えると同時に、距離を置く人たちが出てくるのも否めないのが現実でした。
でも周知する一番の利点は、やはり「事情は知っている。」、「事情を知ってくれている。」と言うお互いの安心感だと思います。
「これはしちゃ駄目!」、「こうした方が良い。」って、お互いに分かっているって、それだけ遠慮なく出来る事も増えると言う事にもなるのではないでしょうか(^^*)
私個人の意見としては、身体の「病」も「心の病」も周りの人には知っていて欲しいですし、私も親しい人なら尚の事知っていたいと思います。
必ずしも健康な人が病気の人の面倒みるとは限らないですから…。
むしろ、これからは病人が病人の看病をしなきゃならない時代が来るのでは…。
イヤ!もうそう言う時代が来てるのかもしれません…。
分かり合う努力に費やす時間は無駄じゃないと思っています。
みや