今回は、明治維新から第二次世界大戦までの日本の変化を見ます。
1868年、明治維新は支配層の新旧後退に過ぎなかったが、植民地の悲惨さを知っていたことにより、列強の侵略に対して富国強兵と内乱を拡大させない事で一致し、後の革新を可能にした。
幕藩体制は経済の不適合から農民一揆が多発し、藩は膨大な財政赤字で身動きが取れなかった。
また武士による新旧交代劇は支配層の危機感を和らげた事も幸いし、スムーズに維新が成功した。
幸いな事に、欧米の産業革命と市民革命の成果(技術、制度、法律)が既に有り、欧米各国は日本への影響力を得ようとして、競うように日本にそれらを与えようとした。
日本は、従来より大陸文化の修得に長けており、思想では西欧のキリスト教を否定し、儒教と天皇制を保持しながら、技術や産業の導入には割り切って積極的になることが出来た。
また日本人は、平和な江戸時代に高い識字率、後の工業化に必要な勤勉さと、時間を貴重と考える意識が育っていた。
新政府は、旧幕府時代と維新戦争の軍事費の負債、元士族への恩給などの支払いで財政は火の車だった。
当初、有業人口の7割を占める農民の地租(地価の3%)が国家収入の86%を占めていた。
農民は地租を円通貨で納めなければならなかったが、これは江戸時代の収穫米の約4割に相当し、さらに小作料を払うと農民の収入は3割まで減り江戸時代よりも少なかった。注1
困窮に喘ぎ農民一揆がさらに拡大し、また元士族も不満を抱き反乱を起こした。
政府は、全国に徴兵制度を敷き、これらを制圧したが、農家から男子が招集され事で、農家の苦難は増した。
政府は、明治元年から10年ぐらいで、矢継ぎ早に制度改革(県、郵便、新聞、鉄道)、さらに殖産興業を打ち出す。
殖産新興は軌道に乗り、明治15年頃からは国税収入の地租割合は初期の86%から64%に下がった。
1880年代には、急速に発展した製糸業は輸出の6割を占め、女工が過酷な労働を担った。注2
大戦前の1940年には農林業者2割、鉱工業者8割と産業構造は逆転した。
国民らの強い要望と運動により、1889年大日本帝国憲法発布、次いで帝国議会が開会された。
しかし、一方で暗雲が立ち込め始めた。
琉球漂流民に端を発した1874年の台湾出兵は、海外派兵の先鞭となった。
これは征韓論で燻っていた士族の不満を逸らすることも目的だったが、琉球の日本帰属が国際的に認められ、清国や朝鮮との外交に弾みがついた。
これ以降、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦を経て日本は外地に広大な植民地を得た。
これは軍事費の恒常的な増大を招き、国家予算の6~7割を占め、大戦まで増加の一途になった。
こうなると繫栄するのは軍需産業と紡績産業だけだった。
貧富の差が拡大する中で、農民は相次ぐ恐慌と冷害に遭い、経済発展の恩恵を受ける事無く、貧困に喘ぎ、子女を身売りするようにもなっていった。
「明治から現在までの日本の所得格差の推移」<社会実情データー図録>から
縦軸のジニ係数は数値の多い方が格差が大きく、赤枠は第二次世界大戦を示す。
グラフは、明治から大戦前まで、格差が拡大していた事を示し、大戦前の格差は、現在、世界で最も格差が酷い南アフリカに近かったようだ。注3
このことは農家出身の下級軍人が度々がクーデターを起こす背景になり、日本は軍事独裁に向かっていくことになる。
正にこの時、農民の救済を前面に出す満州開拓が脚光を浴び、軍部の拡大政策とが一致し、満州事変が勃発、引くに引けず日中戦争、太平洋戦争へと突き進んだ。
政府は続く、戦時下体制を強化する為に、治安維持法の成立、情報統制と警察力による不平分子の検挙に力を注ぎ、ファシズムは完成し、破滅へと突き進んだ。
次回に続きます。
注1: 新政府は江戸時代と同等の税収を農民に課し、かつ高率の小作料収入を地主に保証したので、貧農は不況の度に土地を売り、寄生地主は増大していった。明治初頭の総耕作地に対する小作地の割合は約3割だったが、明治41年には自小作と小作を合わせた小農の数は農家総戸数の7割近くまでになった。こうして小作農民は農業だけでは生活できず、婦女子や二、三男を製糸・紡績業などに大量に出稼ぎに出さざるを得ず、折からの殖産興業を支える事になった。ある学者は、政治的に大きな力を持つことになったこの地主階級が日本をファシズムに向かわせる背景になったと説く。この地主制の解体は、大戦後のGHQまで待たなければならなかった。
注2: 日本の国家資本は、殖産興業等により膨大になり、明治30年で3割弱、明治40年には鉄道国有化も入れると5割を越えるまでになっていた。一方で、明治17年頃から官営の工場や鉱山が民間に払い下げられ、多くは財閥が取得することになった。維新当初から、政商(財閥)が政府と癒着し、巨大化していたが、さらに拍車を掛けることになった。
注3: ちなみに世界で最もジニ係数が高い国は南アフリカで0.63です。最も格差が少ないデンマークは0.23です。折れ線上の名前は、推計した学者名。