今回は、英国の産業革命が労働者にもたらした変化を見ます。
19世紀半ばに英国経済は絶頂期を迎えたが、労働者には光と影があった。
国富は増大し、便利な生活用品も増えていったので、農民と工場労働者の暮らし向きは良くなったはずです。
だが急激な都市人口の膨張は、粗末な住宅も災いし、都市は不衛生の極致に達していた。
また作業に腕力が不要になり企業は子女の労働を増やした事もあり、国民の平均寿命は低下した。
この背景に、英国経済を発展させて来た自由放任主義があり、企業家や住宅施行業者は規制が無い中、欲望のままに振る舞ったことが大きい。
もう一つ、以前まで無かった悲惨な状況が頻発するようになった。
19世紀半ばに初めて起きた恐慌が、それ以降10年毎に繰り返すようになった。
投機によるバブル崩壊は以前にも稀にあったが、恐慌はヨーロッパ全体を極端な不況に陥れた。
一言で言うと、恐慌は、過剰な生産と流通資金が一気に収縮することで企業と銀行が倒産し失業者が溢れ、経済活動がストップしてしまう事です。
これにやや遅れて、英国は帝国主義(インドやアフリカの植民地支配)に邁進し始めます。
これらの背景に、資本の集中と資本家の躍進、輸出入の拡大がありました。
産業革命は国を富ましたが、労働者にとって影の部分も多かった。
この中、英国の市民革命で定着した啓蒙主義(権威に反抗し人間性を尊重)が、再び燃え上がりました。
当時の議会勢力は、初期の貴族(大地主)に産業資本家が加わっていたが、工場労働者の意見はまだ反映されていなかった。
工場労働者は、改善の第一歩として普通選挙を訴え、暴力事件もあったが、平和的な運動で、これを実現した。
並行して、国や上流階級も労働者の為に様々な規制、貧困者の救済、公衆衛生の整備を進め始めた。
この時期に、もう一つの画期、労働組合の結成が紆余曲折を経て、社会に広がっていった。
労働者達が自ら様々な待遇改善を企業側に飲ませて行くことになった。
当初は、過激になったり、高級職人だけの職業別組合に留まったが、やがて地方に結成された様々な職業組合が、全国的に団結するようになった。
組合は、警察による排除、ストライキによる失業者への賃金援助、ストライキ潰しの御用組合などの障壁を乗り越え、全国的な団体交渉を行えるまでになった。
そしてストライキ権の確立、労働時間短縮などの労働条件向上や賃金アップを勝ち取っていった。
20世紀初め、遂に労働者を代表する政党を議会に送り、1923年には最初の労働党内閣を組閣するまでになった。
この英国の経済変化と労働者運動はヨーロッパに波及し、大きなうねりとなっていった。
次回に続きます。
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