今回は、日本人は古代から如何に働いて来たかを振り返ります。
奈良時代、平城京の天皇が倭の国を津々浦々まで支配していた。列島の5百万人ほどの農民は、土地を与えられた見返りに、数百人の天皇と貴族の為に、身を粉にして働いた。農民は国と地方から二重に、税として収穫した稲や布、さらに労役と兵役を課せられた。自身の小さな田畑からの収穫だけでは自給出来ず、他でも働き、かつ税を払わなけらばならなかった。また洪水や旱魃が起これば、彼らは生きることが難しかった。税はほとんど猶予されなかったから、座して死ぬを待つか、逃げるしか道はなかった。
平安時代になると私有が認められ、裕福な者が貧農の借金を方に田畑を取得、拡大させた。彼らはその土地を天皇家、摂関家、大寺社に寄進した形にし、それら最高位のお墨付きを背景に、国と地方に支払う税を減らし、農民を自由に酷使した。最高位の人々は、何もせずに潤うので、あるがままに任せた。こうして巨大な荘園が各地に広がっていき、農民はさらに喘ぐことになった。
鎌倉幕府、室町幕府、応仁の乱へと天皇から将軍支配の時代に変わった。しかし頻発する戦乱により、農民は破壊と殺戮に苛まれた。農業技術が発展し、一部には灌漑も進んだが、収穫量が上がれば税が増えただけだった。発展し始めた商業からも税が徴収された。
戦国時代になると人々に新しい動きが生まれた。国の権力層が混乱するに連れ、農民や地侍らによる自治が村から村同士、さらに小国へと広がった。これは惣一揆と呼ばれた。彼らは、皆で拠出した資金を使い、また全員の武力蜂起や農作放棄を盾に中央の公家や守護大名、大寺社に歎願や抗議を行い、要求をしばしば通す事に成功した。しかし戦国時代が終わる頃には、全国統一を図る覇者が彼らを粉砕した。
やがて平和が続く江戸時代になれば、庶民は楽になったのだろうか?
2400万人の農民は収穫の40%以上の年貢と労役が課せられ土地に縛られた。年貢は豊臣時代の石高2/3よりは減っていた。この年貢は180万の武士が消費し、飢饉時の放出以外ほとんど農民への見返りはなかった。しかも武士は一握りの将軍や大名の生活を支える役目に過ぎなかった。
結局、江戸時代が終わる迄の1200年近く、日本の民は0.01%ほどの支配者(将軍と大名)に労働の5~7割を税として貢、ほとんど還元されない生活を続けていた。
皆さんは、この状況と今との違いが分かりますか?
一方、江戸時代の半ばまでに、英国では貴族が国王の権力乱用を制限し、やや遅れてフランスでは市民革命をが起き、国王を断罪した。英仏米の市民は自由獲得に動き始めていた。
次回に続きます。
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