これから「人が働く」ことについて、様々側面から考察したいと思います。
切っ掛けは1冊の本でした。
それは2024年刊の、元国鉄職員が書いた村山良三著「JR冥界ドキュメント」でした。
そこには国鉄の民営・分社化の過程で起きた、凄惨な虐めが書かれていた。
読んでいて国鉄当局への憤りを感じ、元組合員労働者の悲哀を知った。
しかし、そこには改革の必然性と身勝手な組合活動には触れられていなかった。
一方、私は定年退職から15年以上が経つが、従業員200名ほどの経営姿勢が真逆の二つの金属加工メーカーに技術者として働いた。
それとは別に、国定公園と地方自治体の教育課、実業高校の一部門に関わった。
私は二つの民間会社と三つの公的機関を通じて「働く現場」をつぶさに見て来た。
また日本の高度経済成長と、その頂点からまさに衰退せんとする今を体験している。
それで居ても立っても居られず、北欧、中国、カナダ、米国を見て来た。
そこには日本と掛け離れた人生観と社会観があり、私は日本の孤立化と停滞感を強く意識するようになった。
さらにワールドクルーズに参加したことで、その想いはより強くなった。
様々な問題が日本と世界を覆っているように思えるが、一つの切り口は「人が働く」ことを見直すことだと思う。
これから「働くこと」「国民の大半を占める労働者」「労働者の立場」について、
労働に纏わる事を日本と世界の社会・経済・歴史、また私の経験を通じて見て行きます。
私は、多くの先進国における労働者の現状の立場に違和感を覚えています。
確かに地球規模の経済発展を受けて、私達の生活水準は向上し、暮らし向きは良くなっている。
しかし、多くの国で右翼化・独裁化が進行し、トランプ現象を生み出したように社会の分断化が進んでいる。
これらの背景の一つに、労働問題があるように思える。
おそらく、この状況を放置しておくと、経済と社会はいずれ取返しのつかない状況に陥るだろう。
今は、おぼろげにしか見えないが、糸口が見つかるような気もする。
なぜなら、今の状況はかつて社会と経済の潮流が反転し始めたからです。
その反転は、それほど古くはなく半世紀ほど前に起こったからだ。
次回に続きます。
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