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今回は、ナポリ近郊の古代遺跡ポンペイを紹介します。
船がナポリ港に寄港すると、朝8時にツアーバスで、遺跡に向かい、12時過ぎには船に戻りました。
ツアーバスには、フランス語や英語等のグループが混在し、言語グループに分かれガイドについて遺跡を巡った。
「 左は寄港地ナポリ、右はナポリからポンペイ遺跡へと向かうルート」
右のルート途中の上側の山がヴェスヴィオ火山です。
* 世界遺産、ポンペイ遺跡について
ポンペイは古代ローマ帝国の地方中核都市、商業都市、別荘地で、人口は2万人でした。
ナポリ湾に面したヴェスヴィオ火山が紀元79年に突然噴火し、大量の火山礫や火山灰が降り注ぎ、一昼夜で溶岩と火山灰の下に埋まり滅びてしまう。
そして、長い年月が過ぎた後、発掘され、復元が進み、今にローマ時代の暮らしが蘇った。
「 ポンペイ遺跡の観光ルート、上が北、入り口は左下」
紫線が観光ルート、番号付きの赤丸が主な観光スポット。
遺跡の東西距離は1.3km、南北は700mとかなり広い。
私達が観光したのはほんの一部でした。
「 ナポリから遺跡に向かうバスより、ヴェスヴィオ火山を望む」
「 入り口に向かって駐車場から遺跡沿いを少し歩く」
「 No.1 Quadriplegics of the theatres」
この奥に劇場があり、ここは観劇の合間に休憩できる場所でした。
庭を囲む多くの列柱が素晴らしい。
「 上3枚は、途中の景観」
「 No.2 上2枚、 Casa del Menandro メナンドロスの家」
ここは大きな建物からなり、中庭が幾つもあり、身分の高い一族の典型的な住居の好例です。
この家はポッペイ一族の所有によるもので、ネロ帝の2番目の妃ポッペア・サビーナの親戚でした。
「 途中の景観」
「 No.3 Forno パン屋」
ここには様々な竈やパン焼きの窯(三つの円錐形)がありました。
パン焼きは非常に利益の上がる商売で、ポンペイではこれまでに30以上ものパン屋の跡が確認されています。
「 No.4 下2枚も Terme Stabiane スタビア浴場の中庭」
ポンペイには公共浴場が4ヶ所ありました。
紀元前 2 世紀に遡るこのスタビア浴場は、ローマ世界で最も古い浴場の一つです。
この浴場には脱衣所と低温・中温・高温の浴場があります。
写真には無いが、暖房は、壁と二重床に配管システムがあり、炉や移動式火鉢から出る熱風を循環させることで確保されていました。
この浴場は、町の銭湯では無く、スパー銭湯に匹敵します。
「 この2枚は上下に浴場を撮影しています」
「 上3枚 途中の景観」
「 遠くにヴェスヴィオ火山が見える」
広場の長軸はヴェスヴィオ火山に向かっている。
「 No.5 上4枚 Foro di Pompei 大広場」
撮影場所は、歩いて来た通りVia dell’Abbondanzaと広場が交わる所です。
写真は上から順番に、北、西、南、東(歩いて来た通りを振り返る)に並んでいる。
市民のフォロは市民の日常生活の中心の場で、これに面してすべての公共の建物が並び、町の運営、司法による裁き、事業の管理、市場などの商取引が行われたほか、町の信仰の場でもありました。
東にマーケット、北にジュピター神殿、西にアポロ神殿、南にバジリカがある。
「 No.6 emple of Venus in Pompeii ヴィーナスの聖域を望む」
ここは、港が建設される予定だった湾を見下ろすナポリ湾の素晴らしい景色を望む壮大な人工テラスにあります。
ヴィーナスはポンペイの守護女神で、植民地の完成時(紀元前 80 年)にこの地に名付けられました。
ローマ時代以前にすでに崇拝されており、後に航海の守護女神となりました。
「 No.7 Antiquarium di Pompei ポンペイ博物館」
噴火で埋もれた犠牲者の鋳型が数体ありました。
この考古学博物館を出ると、すぐ入って来た入口に出ます。
非常に大きな遺跡であり、巡っていると当時の繁栄や賑やかさが目に浮かぶようでした。
浴場の設備の巧みさには驚いた。
訪れた2023年1月10月は、小雨が降る事も有り、寒かった。
次回に続きます。
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