
8月15日、水曜日。
午後20時55分。
曇り。
1時間くらい前には雨が降っていたと思うけど
今はやんでいるようです。
窓を開けると、濡れたベランダがあって雨の匂いがします。
お盆が通りすぎようとしています。
ご先祖様などオショロさまは無事にお空の国に帰ってくれたかな?
今日はお寺に行ってきました。
今日の
今日は何の日は、何でしょうか?
終戦記念日
ですね?
とても大事な日です。
とてもとっても大事ですね。
今日は、いつもよりも多く
何度も手を合わせていた気がします。
お仏壇で
テレビの前で(正午の黙祷で)
お寺で
手を合わせて真剣な気持ちで合掌でした。
終戦記念日
73年前
父方の祖父母
母方の祖父母
そしてご先祖様達は、どこで、どんな状況で
どんなシーンで終戦を知ったのでしょうか。
そして
どんな気持ちになって
どんなことを思ったりしたのでしょうか、
聞いてみたいけれど
今は、どの祖父母もお空の国の人になってしまったので
もう聞くことはできません。
もしも聞けたなら…いろんなことを聞きたいです。
祖父母の兄弟は3人
母方の祖父(母の父)
合計4人のご先祖様が戦死されているので
とても身近な問題に感じます。
お仏壇には大きめな位牌があって
若くして亡くなってしまった(戦死してしまった)
ご先祖様の戒名を毎日目にしているし
お墓参りに行くと
墓石には、亡くなられた異国の地名というか
“○○島戦没”
“○○上等兵”
のような文字が彫られてあって
その文字の存在感を時々思ったりします。
“上等兵”
という“位”(くらい)は
戦死してからいただくものらしいです。
戦死したご先祖様達は
どうやって亡くなられたのかは
母方の祖父しか分からないです。
母方の祖父が亡くなったことや
その大まかな風景は
最後まで一緒にいた方が(兵隊さん)
証言に来てくださって分かったそうで
親切で
本当に、本当に、ありがたいことです。
祖父母から戦時中の話は、あまり聞いたことがなくて
今となっては聞いておけば良かったなと
かなり思います。(後悔)
それでも
ほんのちょっとだけ聞いたことはあって
それは空襲の中、必死で逃げた話でした。
当時、我が家の祖父母は名古屋に住んでいたそうで
空襲は田舎よりもやっぱり酷かったようです。
逃げ惑う中
銀行の金庫らしきものを見つけた祖母
金庫の扉が開いていて
祖母は金庫の中に入れないけれど
背中に背負った赤ちゃんを守るため
背中の赤ちゃんだけを金庫の中にかばう姿勢でじっとしていた…
という話を
聞いたことを覚えています。
視線を下に向けて話した後、祖母は
「怖かったよ」
と深く言って
黙ってしまったことも覚えています。
祖母はお兄さんが戦死されていて
それは、実は“今日”
知りました。
ずっと知らずにいて
祖母のお兄さんに申し訳ないなと
思いました。
本当の本当に、申し訳ないなと…。
母方の祖父のお母さん(曾祖母)は
祖父やその弟さんが戦死したことを知らされた時には
ちょうど戸外にいたようで
そばにあった杭を「なんで?なんで?…」と泣きながら
ずっと
地面に打たれた杭を揺らしていたら抜けてしまったらしいです。
それくらい揺らし続けていたのだろうと
そんな話も聞きました。
当時の田舎のワンシーンです。
こんなワンシーンが日本中に沢山、あったのでしょう。
平和が良いです。
心の底から
魂から
そう思います。
お空の国で
みんな安らかで幸せだと良いなぁ。
お休みなさい。
*