Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

2019-04-15 | Weblog
4月15日、月曜日。
午前5時23分。
曇り。


カーテンを開けて、窓を開けるとベランダは濡れています。
でも、乾きかけていてもいて
雨が上がったばかりという感じではないようです。
空を見ると、曇ってはいるけど、水色の空が見えている所もあります。


昨晩、労働から帰る時は雨が降っていて
それから眠っている間に雨は上がったようで
今日は晴れるみたいです。



熊本の地震から3年が経ったのですね。
まだ3年、と思ったり、もう3年かとも思ったり
阪神淡路の地震も、東北の地震も
他にもいろんな土地で地震はあったけれど
起こった日が巡ってくる度
“まだ”と“もう”という言葉がその都度思い浮かびます。


そして同時に
目に見えるものも、目に見えないものも
みんな復興すると良いなと
安穏な日々でと願うのでした。



祈る時は
手を合わせて、こうべを垂れて
目を閉じて
心の中で何者かに語りかける?
というか思いや願いや…何ていうのだろう?
頭に浮かんでくる切々たる感情のような
思いのようなそんなものを
どこかに届くことを信じて
心の中で話す、語る…
祈るとは、こんな感じでしょうかね?(僕の場合だけど)


ブラックホールの姿を撮影できたり
そんな時代になった今日この頃
いろんな分野で解明されたり進んだりしてきたそんな現代まで
食べる、眠る、などと同じように
祈る
ということも変わらずにあるのだな、と、ふと思いました。


復興を
亡くなられた人々(魂)の冥福を
誰かの幸せを
日本や世界や
自分達のことも


日々、祈る
祈ってるなぁ…と思いました。
どんなに時代は進んでいっても
食べる、眠ると同じように
自然と当たり前のように祈っている


何を言いたいのだろう?
うん、自分でもよく分からないけど…
どんなにいろんなことが進んでいっても
心は消えないのだなぁ
想うということはなくならないと
ふと、ふと…思ったのでした。


それでいい
それでいいと
何かが言っているようないないような
非力な人間をしているけども
哀しみや苦しみがどこかにあったら
手を差し出せるような世界があったら
世界であったらと
心は消えないものならば
一灯、ともっていられたらと。



思ったけれど
毎日、反省することばかりです。
毎日、小さな自分にガッカリしています。
心に一灯とか思っても
小さな自分の毎日なので恥ずかしくなること多々です。
アイタタ…です。


昨日も、いくつかアイタタがありました。
友人の家に我が家で収穫した金柑の実とブロッコリーなどを届けたのだけど
ポストに入れただけで友人には会わなかったのだけれど


お互い様と意識では思っていても
僕は友人からの感謝を期待していたようで
労働から帰ると真っ先にメールが来ているか携帯をチェックしたりして
メールは来ていなくて
で、ガッカリする僕…。


感謝を期待するなんて僕って“ちっさいなー”と
我ながら思ってしまいました。
感謝は期待するものではなーい。のに。(←僕自身を叱ってます)
(その後、お礼のメールは来ました)


あとはあれです。
職場の上の方に対してのグチを言ってしまう。
そんなのおかしいーダンダン(←地団駄を踏む)とか
これがね、いけないね…。
でも、言わないと溜まってしまうし
上手に誰にも迷惑かけずスマートにストレス解消できたら良いなぁ。


心について考えると
ゴールはないですね。
時間がずっと続いていくように
人の心もずっと続いていくのでしょうね。


今日も1日の始まりです。
そして今日も花の春を愛でながら

良い日を!







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