Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

天地の境目

2014-11-04 | Weblog
11月4日、火曜日。
午前6時58分。
晴れ。


いつもの如くソファで眠り
一旦起きて
窓辺を通った時
ちょうどお日様が現れ
ものすごく、綺麗な空でした。


さっき、テレビで『里山』という番組がかかっていたのだけど
ふいに聴こえてきたのは
『ゲンノショウコ』


ゲンノショウコを映像で観られて
仄かに朝から嬉しかったな。(やっぱり、胃腸に良いらしい)


薬草の映像が観られて嬉しいなんて…
話題がおじいちゃんおばあちゃんのテリトリーに踏み込んでないか?(>_<)
こんなブログで良いのだろうか…(心配)
…と思ってもこれが自分だから仕方ない。
結局のところ、へんな人間なのだろうな。f^_^;


へんな人間なのだろうなぁなんて気にしても
次の瞬間には
『まぁいいか、へんな人間で生きてる方が自分らしいか』
と思ってしまうから
多分、正真正銘のへんな人なのかも。(>_<)


そんな風に、へんな人間だなと思うシーンは
日常においてしょっちゅうあります。


世の中で流行っているものにはあまり興味を持たないし
草花や空ばっかり眺めているし
自分で自分のことが今だかつてよく分からないし
未だに新発見なことがありますし
とにかく、『へんなやつ』なのです。


11月の初めの頃というのは
色んなことがあります。


家族が減ってしまったこともあるし
階段から落ちたこともあるし、
音楽を聴きにいったことも
印象に残ることが多いです。


ここ連日思い出すのは、
おととしだったと思うけど…
人生初めての観劇に行かせて頂いた時に
自分の席に向かって階段を下っていたら
うっかり足を踏み外したらしく
数段落下。


銀色の手すりに頭をぶつけて止まり
意識が飛んでしまったけれど
恥ずかしさと、ここで救急車騒ぎを起こしてはいけない!
…と咄嗟に思い何とか立ち上がった僕。


みるみるタンコブは膨らみ
足は内出血、
痛みがズキズキ…の世界だったけど
お芝居をとにかく楽しみたかったので
絶対に痛みに耐えねばと
精一杯、力一杯の平気な顔をして
何事もなかったようにその後席につく…
ということがあったっけ。


思い出すととても恥ずかしいけど
へんな人間だなと思うけど
印象に強く残る日となりました。


階段から落ち打撲した直後、立ち上がるあの速さ…
失敗ばかりトホホなことばかりにすっかり慣れた
へんな人間だからこそできたのかも?


かなり痛かったけど
帰った後も何ごともなく
観劇は楽しかったですし
総じて、忘れられない日となり

へんな人間でいるのも
時々、良いことがある。
それもまた人生、
受け入れるのも人生…ですね?^^















『天地の境目』

ときどきなのか
いつもなのか
冷静な自分がいて
一瞬の後に
腹をくくってその世界にいると
余分な感情は消え失せたかのように
平らな地に何も持たず立っている

そんな時空を迎えにいって
得たものは
ささやかなる自分
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あるばしょへ

2014-11-03 | Weblog
11月3日、月曜日。
午前5時07分。
外はどんな天気なのだろう?(←見るの忘れてしまいました)


今日、11月3日は
文化の日ですね。


文化の日とは?…と思ったので
携帯の中の辞書だけれど調べてみたら
『文化国家としての発展を願う日』だって。


じゃあ、『文化』って何だ?
…と思い携帯の中の辞書でまた調べてみました。


①世の中が開けて進化すること。
②学問、芸術、宗教、法律、習慣、技術、知識など
人類がある目的に従って理想を実現していく過程で学習し
作り出したあらゆる成果。
狭義には、精神的価値の成果をいう。


なのだって。
『ある目的』
この言葉がここだけ微かに浮いて見えるような気がしますね?
ものすごく気になります。


僕は、中高とずっと文化部所属だったからか…
『文化』という言葉も
『ある目的』という言葉も
とても気になります。


なぜ、気になるのかな?
ずっと文化部だったというのは…(吹奏楽、合唱部でした)
あまり関係ないかな?


文化があることは素晴らしいこと。
想像する、創造する、考える、
夢、現実、理想。


理想通りにいく人生なんて少ないだろうけど
ゆっくりでも亀の歩みでも遠回りでも
『ある目的』
に向かい
僕らは、それぞれのカラーを持ち
遥かずっと先にあるだろうその場所まで


もしも
途中で心なくしそうになり
挫折しても
叩かれ罵倒されたとしても
歩き疲れても
もう駄目だ…となってしまったとしても


神様が
『信じて行け、私の子供たちよ』
と、ささやき


青空に、流れる雲に、吹く風に
揺れる草に、咲く花に、舞う鳥に
人々の微笑みに、聴こえる音に
季節の匂い、赤ちゃんの微笑み
動物たちの純心
などなど…


あらゆる手段を使い
こっそりその姿を変え現れたら


いつまでも不屈の精神で
『ある目的』へ行こう。
僕らは、私たちは、
必ず
そこへ行ける。


どんなに時間が掛かっても、
百年かかっても
千年かかっても。


なんて…文化について考えていたら
眠くなってウトウトしてしまいながら…
でも、遥か未来へ僕たちが行けたら良いなと
思うばしょを

朧気に、夢に見た。














『あるばしょへ』

いこう
いつまでも

いこう
千年先までも

あきらめることなく
全ての人が
溢れる心に満たされ

青空は
誰一人として漏らすことなく
光を降らせる

あきらめないで
静かに燃える灯を胸に抱き
いこうよ







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野菊

2014-11-02 | Weblog
11月2日、日曜日。
午前7時38分。
青空が雲の向こうにうっすら見えます。


数日前、秋の紅葉具合を調査をするべく
『紅葉が始まっているかちょっと見に行ってみようかツアー』(←勝手に命名)へ
行ってきました。


ツアーなんていってるけどなんてことはない、
いつぶつけるとも分からない僕のヘッポコ運転でいく
ランチや休憩や買い物もも含め3,4時間だけの
のんびりドライブです。


年に一度のお楽しみ
春の桜の咲く頃に行くお花見ツアー(僕のヘッポコ運転で)と
まるっきり同じコースを行ったけれど


結局、紅葉はあまりしていなかったけど
でも、山の緑が日に照っているのも
空気遠近法で描かれた絵のような風景も
とても綺麗だね、なんて言いながら


山すそにある道の駅で
天ぷらうどんを昼食にいただいたり(母は山菜蕎麦)
地元新鮮野菜買ったり
お土産に味噌まんじゅう買ったりなどして楽しかったのだけど


そんなドライブ中、度々、話題にあがっていたのが
『ご先祖様』でした。


ヘッポコ運転でいくそのツアー
そのコースは父の父の父の実家…日出おじいさん(←なぜこの変換になるのか??)
曾祖父の実家がある町を通るのです。
川沿いの、ダムがあったり、山がすぐそこにあったりする
そんな町です。


そこを通る度、ご先祖様の話になって
訪れたことのない曾祖父の実家に住む人々のことを想像しようとして
全然、想像できずに、町を通りすぎます。


年賀状でのやりとりはあるのだけど
その親戚とは会ったことがないのですよ。
顔とか似てるのかなぁ…
なんて考えたりしますけど、どうなんだろう?
似てたりすると、やっぱり嬉しいのかな?


町をいくつも通るヘッポコ運転ツアー(←名称が変わってるな)、
もうひとつ
ご先祖様の町を通ります。


もうひとつの町は
母の父の父の父の実家の町で
これもまたややこしい
母の曾祖父の実家ということなのだけど


それ以上のご先祖様のルーツを知らないから
どちらの町も
『ご先祖様の町』…という印象があって
このヘッポコツアーは何て言うか…
時々、何とも説明し難い気持ちになるツアーなのです。


ご先祖様の存在を感じる(ルーツを知る)というのは
説明しようのない気持ち
ある種の安心感のようなものがあるというか…?


僕の知ってるルーツは
母の曾祖父母までが最高だけど
実のところは、どこまでも遡られる。


ご先祖様はずっとバトンを太古から渡してきて
僕だけでなくみんな
そんな太古から
ずっと昔から続いてきたものを受け取って
今、この時代
この日この瞬間、この姿で生きています。


僕ら私たちだけでなく
草木一本、虫一匹までも
ずっとご先祖様はいて
バトンを渡し繋がってきて…


と、
考えていると、自然と
太陽に向かって
空に向かって
手を合わせたくなります。(←僕、まるでお年寄りだね)


これを感謝っていうのかな?
町を通る時、家族を想うように
ご先祖様(ルーツ)を想います。


彼らがいなければ
僕らはいなくて
今この瞬間もなかった。
湧いてくる、感情、気持ち。


ふと、数日前のことを思い出した
日曜日でした。^^











『野菊』

道端に咲く野菊も
緑の山も
大きな杉も

多分、あの頃のまま
今は僕らの瞳に映る

もう百年経ったら
野菊は咲いているのか
見ることはできないけど

きっと
野菊は覚えている
山はそこにいる

めぐり巡ってとこしえの輪に
小さな鈴が鳴る









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行灯

2014-11-01 | Weblog
11月1日、土曜日。
午前10時36分。雨。


ハロウィンだった昨日は、午後には雨が降り出したけど
夜には止んでいました。

雨の良い匂いがして
深呼吸するそばでは虫の大合唱が鳴り響いていて
居心地が良かったので
匂いと音だけでなく
五感を目一杯使ってみようと思い


なるべく自分を頭の天辺から指先、爪先まで張り巡らせてみようとしてみたのだこけど
ますます居心地の良い
雨がやんだ夜の瞬間がそこにありました。


そういった時間、もしかしたら数分間だけの
数秒間だけのことだったにしても
五感に響く風景というのは
大事なものなのだろうなと、頭のどっかで思いながら
雨の匂いを吸い込みました。


祖父母の部屋には小さな日めくりカレンダーがありまして
時々だけど
『今日は何の日』が載っていることがあります。


それによると、今日は
灯台記念日
軽量記念日
なのだって。(ちがっていたらスミマセン!)


『1』が沢山並ぶ11月1日だから
もっと色んな、今日は何の日がありそうだなと思うけど
興味深いのがありそうなのだけど
とりあえず、この2つがあることが分かりました。


灯台のある風景。
想像で浮かんでくるのは
静かな海、青空
古くて白い灯台
時々、緩やかな潮風。

灯台の中は螺旋階段。
上った先から見えるのは
空と海と
遥か彼方をゆっくり進んでいく船。
微かに波の音。


幼い頃だろうけど
灯台が建つところに行ったことがあると思います。
思い浮かぶのは
その時の印象なのかな?


海は、震災以降
あいかわらず行ってないです。
遥か、遥かに遠く海を見ることができる坂や
ビルの屋上からは
微かに水平線が見えるところがあるので

一本、空と海を隔てる水平線をチラリと見て
『海が見えた^^』
…と、こっそり喜んだりすることは
ほんの時々あります。


そんな坂から見える2,3秒と
ビルの屋上から見える時もほんの数秒間だけなので
灯台を見ることはないです。


灯台、雨の今日も建っていて静かに海を、海を往き来する船を
見守っているのだろうなぁ。


世の中の、お父さんお母さんのようですね?
おじいちゃん、おばあちゃんや
お姉さんやお兄さん
先生や先輩や上司や、もしかしたらお友達とか
色んな、灯台のような人々がいるのでしょうね?


僕も、よく心配してますもん。
姪っ子、甥っ子としばらく会わずにいると
『元気かな?』から
周りの人たちと仲良くやっているかなとか
哀しいことないと良いけどなとか
『ステキな大人になってほしいな』まで…
時々、思っています。


姪っ子甥っ子だけでなく
家族、親戚、友人、
思い浮かぶ顔
空に行ってしまった人たち
さまざまな生き物たちも


そんなこと思ったり考えます。
僕は、灯台などではなく
昼行灯なのですけど。f^_^;


そういやあ、昨日は姪っ子③と久しぶりに会って
元気そうで
とても嬉しいと同時に
安心しました。^^













『行灯』

普段、言葉にはしないけど
態度に出すこともないけど

大切なもの
大切なひと
大切な思い出

あるけれど僕は
明るい日の中で灯る
行灯のように

時々、想っています
その時々が
遥か沖まで
照らすことができるなら

生きることが上手くなくても
いいかな
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