Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

カレーライス

2018-08-15 | Weblog
本が好きだったことを知っている
絵が得意だったことを知っている
優しかったことを知っている
カレーライスを
「美味しいね、お姉さん」
と、言ったことを知っている

でも
顔を知らない
声を知らない

だけど、何でかな
涙が出るのは

顔を知らなくても
声を知らなくても

忘れない
知り続ける
平和を望み続ける









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2018-08-15 | Weblog
8月15日、水曜日。
午後20時55分。
曇り。


1時間くらい前には雨が降っていたと思うけど
今はやんでいるようです。
窓を開けると、濡れたベランダがあって雨の匂いがします。


お盆が通りすぎようとしています。
ご先祖様などオショロさまは無事にお空の国に帰ってくれたかな?
今日はお寺に行ってきました。



今日の
今日は何の日は、何でしょうか?


終戦記念日


ですね?
とても大事な日です。
とてもとっても大事ですね。


今日は、いつもよりも多く
何度も手を合わせていた気がします。
お仏壇で
テレビの前で(正午の黙祷で)
お寺で
手を合わせて真剣な気持ちで合掌でした。



終戦記念日
73年前


父方の祖父母
母方の祖父母
そしてご先祖様達は、どこで、どんな状況で
どんなシーンで終戦を知ったのでしょうか。


そして
どんな気持ちになって
どんなことを思ったりしたのでしょうか、
聞いてみたいけれど
今は、どの祖父母もお空の国の人になってしまったので
もう聞くことはできません。
もしも聞けたなら…いろんなことを聞きたいです。


祖父母の兄弟は3人
母方の祖父(母の父)
合計4人のご先祖様が戦死されているので
とても身近な問題に感じます。


お仏壇には大きめな位牌があって
若くして亡くなってしまった(戦死してしまった)
ご先祖様の戒名を毎日目にしているし


お墓参りに行くと
墓石には、亡くなられた異国の地名というか
“○○島戦没”
“○○上等兵”
のような文字が彫られてあって
その文字の存在感を時々思ったりします。


“上等兵”
という“位”(くらい)は
戦死してからいただくものらしいです。


戦死したご先祖様達は
どうやって亡くなられたのかは
母方の祖父しか分からないです。


母方の祖父が亡くなったことや
その大まかな風景は
最後まで一緒にいた方が(兵隊さん)
証言に来てくださって分かったそうで
親切で
本当に、本当に、ありがたいことです。



祖父母から戦時中の話は、あまり聞いたことがなくて
今となっては聞いておけば良かったなと
かなり思います。(後悔)


それでも
ほんのちょっとだけ聞いたことはあって
それは空襲の中、必死で逃げた話でした。


当時、我が家の祖父母は名古屋に住んでいたそうで
空襲は田舎よりもやっぱり酷かったようです。


逃げ惑う中
銀行の金庫らしきものを見つけた祖母
金庫の扉が開いていて
祖母は金庫の中に入れないけれど
背中に背負った赤ちゃんを守るため
背中の赤ちゃんだけを金庫の中にかばう姿勢でじっとしていた…
という話を


聞いたことを覚えています。
視線を下に向けて話した後、祖母は
「怖かったよ」
と深く言って
黙ってしまったことも覚えています。


祖母はお兄さんが戦死されていて
それは、実は“今日”
知りました。

ずっと知らずにいて
祖母のお兄さんに申し訳ないなと
思いました。
本当の本当に、申し訳ないなと…。



母方の祖父のお母さん(曾祖母)は
祖父やその弟さんが戦死したことを知らされた時には
ちょうど戸外にいたようで
そばにあった杭を「なんで?なんで?…」と泣きながら
ずっと
地面に打たれた杭を揺らしていたら抜けてしまったらしいです。


それくらい揺らし続けていたのだろうと
そんな話も聞きました。
当時の田舎のワンシーンです。
こんなワンシーンが日本中に沢山、あったのでしょう。


平和が良いです。
心の底から
魂から
そう思います。


お空の国で
みんな安らかで幸せだと良いなぁ。

お休みなさい。







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shine

2018-08-14 | Weblog
お天道様はいつでも空に
夜になればお星様とお月様

お花はいつでも季節に
雨になれば花びらに雫の宝石

思い出はいつでも心に
風となって歌となって光となって

疲れた時も
しんどい時も
輝くの









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showa swimmer

2018-08-14 | Weblog
8月14日、火曜日。
午前8時15分。
曇り気味。


曇り気味とはいっても、所々に青空がみえています。
でも、太陽が居られる所には雲がかかっているらしく
日差しは強くはないです。


いろんな雲が流れていきます。
いろんな雲がいろんな色と質感でずっと観ていたくなります。
なんとなく、今日もスコールのようなものがありそう?な気配です。



雨が降ると気温が下がるというイメージだけど
そんなでもない気がしました。
湿気があることにはちがいないせいかな?
湿気は不快指数に関係あるものなのだなぁと思いました。



窓を開けたりカーテンをめくる度
雲の景色が見応えがあって面白いです。
やっぱりあんな観ていて飽きない雲の景色を観ていると
フェルメールの絵を思い出します。
“デルフトの眺望”を思い出します。


フェルメールさんの絵も好きなものがいくつかります。
“デルフトの眺望”、好きなのです。
爽やかな空が沢山あって良いです。
雲が素敵です。


今は東京に仕事の関係で移住してしまった友人Sは
完全なるフェルメールファンで
オランダまで絵を観に行ったという話をも思い出します。


友人は、“ミルクを注ぐ女”だったかな?
“牛乳を注ぐ女”だったかな?
その絵が好きとか言っていたような記憶もあるけれど
友人の一番のお気に入りかは分かりません。
“牛乳が美味しそう”
と言っていたのも思い出します。(友人は牛乳好きな人)




今日の
今日は何の日は何でしょうか?


国民皆泳の日
専売特許の日
水泳の日
裸足の記念日
グリーンデー


なのだそうです。
間違っていたら、申し訳ないです。m(_ _;)m


水泳の日
水泳は体育の授業で始まると憂鬱だったっけなぁ。
小学校から高校まで水泳の授業は本当に苦手で
水に顔をつけるのが
息ができなくなるのが怖かったのですよ。


祖父と父は水泳が得意だったのに
そのDNAはどこへやら…
と、この台詞は人生で何度か言われたり言ったりしてきました。
これは確実なるカナヅチな母のDNAです。トホホ。


祖父は、大正生まれ
しかも初期です。
プールの横で、大人数でスイマーの方達がいて
その中の1人が若かりし頃の祖父で
大胸筋?が発達していて現役スイマーな感じが漂っていて
…という写真があって


僕が知っている祖父は
いかにも職人気質なおじいちゃんで
その写真がなければ
本当に水泳をやっていたのかと疑問に思ってしまうイメージなのだけど


水泳
という文字をみると
そんな祖父の姿や
父の水泳活動の話(水泳をやりたくて学校を選んだ話)や
どこへやらDNA…あぁ母だ
なことを思い浮かべます。


この間までパンパシ水泳?(名称が違っていたら申し訳ないです)
がありましたけど
ああいう景色を観ていても
祖父と父が今、若者だったら
あんな風だったのかなとか思って観ます。(実力はちがうだろうけど)


と、同時に
昭和初期だろう頃に
祖父はプールの横で水泳仲間と集合写真撮っていたということが
意外?というか
初期初期に水泳というスポーツがあったのかとか
プールがあったのかとか


失礼なことだったら申し訳ないのだけどm(_ _;)m
そんな昔にあったのだなぁ〜って。


今頃、若返ってお空の国で
祖母が観ているそばで、父と泳いでいるかな?
お盆だから我が家にいるかな?



日本はお盆休み真っ只中
海に川に湖にプール
ケガに事故に熱中症などなでには気を付けて

良い日を!







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アルバム

2018-08-13 | Weblog
空が鳴った
雷が轟いて
雨が降った

人々は空を見上げて
または俯いて
いつの間にか夢を見ながら
水溜まりの間を駆けていった

明日を迎える前に
夏の1頁を思い出し
心のアルバムに貼る









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