<付記7bb: 傷痕を数えてみる・続き>
毎朝、鏡を見ると、まず一番大きい額のホクロが気になる。
いくら化粧をしても隠せない、撃針銃で撃たれた痕である。
皇太子妃雅子の命令で、私が皇居に拉致監禁された時、侍女にやられたものだ。
それから、鼻の下にある小さなホクロも、元は無かったのだが
皇族の誰かが同じ位置にホクロがあるという理由で、五歳頃に薬剤を塗った針を刺されて作られた。
片頬に拡がっているのは、その後にまた撃針銃で撃たれてできたもので、極小さい黒い点が一列に並んでいる。
左目の上の傷は、十八歳頃に、皇宮護衛官に何らかの薬剤を塗った針で刺されて、一時、「お岩さん」のように瞼が腫れあがったのが、
治った後も瞼の形が崩れたまま元に戻らず、それ以来、左右の目の大きさがわずかに違う。
目だけではない。小学校へ入学して間もない頃、皇宮護衛官に麻酔銃で脚を集中的に撃たれたために、自宅で大怪我をして、外科手術をした際、膝の骨を少し削られた。最近では、立て続けに神経性ガスをやられて、ふらふら倒れた時、宮内庁の医者がやらなくてもいい点滴をするのに、私の手の甲に太い注入針を突き刺したので、それが現在も痣になって残っている。
つまり、私は全身が上から下まで、「カタワ」なのである。
米国本土へ連れて行かれた七歳の時、私の身体には、無数の注射針の傷痕と、砒素による黒痣と、銃撃による火傷があった。
誰にやられたのかと訊く白人の調査官に、私は、自分の国に虐待されているのだと答えて、泣いた。
誰にやられたのかと訊く白人の調査官に、私は、自分の国に虐待されているのだと答えて、泣いた。