Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

続・仲良くケンカしな

2014-05-21 23:52:23 | コラム

愛媛サポーターによる「讃岐は邪魔」フラッグ  村井チェアマンが不快感「看過できない」(時事通信)

割り勘をすることをゴー・ダッチ、飛行機が揺れればダッチ・ロール、果てはダッチワイフまで...
英語の慣用句でのオランダの扱いは親でも殺されたのかという勢いです。
それもそのはず、かつてイギリスが海洋国として三度覇権を争い戦った相手がオランダでした。

また梅毒についても似たようなことが言えます。
イギリスではフランス病、フランスではナポリ病、イタリアではスペイン病と呼び、戦争の相手国からもたらされたと考えられていたようです。
小学生の菌のなすりつけあいを彷彿とさせますが、事実、コロンブスがスペインに持ち帰ったというのが有力説です。

しかし、かつてそんなヨーロッパもかつて十字軍として団結しイスラム帝国と戦う事もありました。
そして、現在もユーロとして西ヨーロッパ諸国は経済的に強く結びついています。

ケンカするほど仲が良いといいますが、こういう相手への悪口もいわば気心の知れた者同士でこそ成り立つ面があります。

なので、上記事の件でもあまり過敏なのも趣がなくなるように感じます。
愛媛サポーターも讃岐サポーターも同じサッカーを支えるファンという意味では仲間です。
プロレスと同じで、その中でお互いの立場を演じ楽しんでいる面を忘れてはいけません。
それを本物のケンカと勘違いして、大まじめに制止したのでは、せっかくの台本が文字通り台無しです。

四国民を『セブンイレブンひとつない田舎っぺ』といおうものなら、愛媛と讃岐の両サポーター一丸となってしばかれてしまうでしょう。
悪口を言い合ってもやっぱりどこか同じ価値観を共有した仲間なのです。
もっとも、最近ようやく四国でもセブンイレブンを見かけるようになったらしいですけど。

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一角獣の言い分-愛ゆえに-

2014-05-19 23:02:30 | コラム

AV女優・紗倉まな、男子東大生に恋愛指南 「過去の男性経験も、その相手を形作っている。水に流して未来に進むしかない」(twitterの投稿より)

ルキノ・ヴィスコンティの映画『家族の肖像』のラストシーンにこういうセリフがありました。
放蕩ばかりの若者達にたいして主人公の老人がこう伝えます。
「君たちを家族と思うことにした。そう思えば、どんなことも許すことができる」

愛とは許すものです。
無償の愛といえば、キリスト教の中心的な概念です。
日本でも悪人正機説の浄土真宗は似たものを感じます。

許す愛とは宗教的あるいは家族的な愛に置き換えられると思います。

一方で愛するがゆえに許せないこともあります。
例えば、恋人の浮気が許せる人はあまりいないと思います。

許せない愛は主に恋愛に置き換えられそうです。

でも、どうもこっちの愛はひとつめの愛と比べるとイメージが良くありません。
言ってみればただのワガママのような気がします。

しかし、これはこれでやっぱり愛のカタチだと思います。
何でもいうことを聞いてくれる優しいだけの男性に魅力を感じる女性はあまり多くありません。
それなら恋人に「君は僕だけのものだ」「こうして欲しい」と多少ワガママを言われたほうが嬉しいです。

とどのつまり恋人に求めるものは結局は全てエゴです。
「おっぱいが大きい」「背が高い」あるいは「人格が尊敬できる」だって、全て自分の恋愛感情を満たすためのエゴといえます。

ただ、その裏返しとして上記事のような問題も起こります。

恋人の過去も「許す」のが真の「愛」なのだと言うのが今の主流です。
そんな恋愛すら家族的な愛になった世界は素晴らしいですが、ちょっと退屈かもしれません。
ある意味でその人の個性とはその人が許せないものの集合体であり、エゴで成り立つものと言えますから。

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続・女性と毛

2014-05-18 23:58:23 | コラム

普段、アンダーヘアの処理をしている女性39.8% していない60.2%(マイナビウーマンの記事より)

その昔、女性のアンダーヘア写真の是非が議論されたことがありました。
陰毛のことをオブラートに包んで「ヘアー」というようになったのもこの頃だったと記憶しています。
「陰毛は性欲をみだりに刺激するのでダメ」というのが取り締まる側の見解でしたが、実際問題刺激されるものでしょうか?

少なくとも欧米ではセクシーとは思われていないようで、ヌードモデルは皆さん綺麗に剃っています。
感覚的には日本人にとっての女性のワキ毛に近い扱いです。

もっとも女性にとってワキ毛がタブーの扱いになったのは割と最近のことのようです。
ルキノ・ヴィスコンティの映画『イノセント』ではラウラ・アントネッリさんの豊かなワキ毛が見られます。
一昔前のヨーロッパ貴族という役柄でしたが、当時はワキ毛を剃る習慣がなかったようです。

それでいえば、日本でも眉毛に関しては時代によって取り扱いが変わりました。
江戸時代は『引眉』といって眉毛を生やさないことが女性のたしなみだったフシがあります。
今でも時代によって眉毛は薄い方が良い時ととナチュラルが好まれる時とで結構揺れ動いています。

上記事のとおり、日本ではほとんどの女性がアンダーヘアーを放牧しています。
男からすれば、かなり親しくしないと見せてもらえない女性の秘密のひとつです。
それならないよりはあったほうが知る楽しみが増えるというのはあるかもしれません。
濃い薄いから生え方までアンダーヘアーにも色々個性はありますので。

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モディリアーニの絵は実物の方が可愛いと思う僕はセンスがないのかも…

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永遠の二十七歳組

2014-05-17 23:00:59 | コラム

伝説になるためには27歳で死ぬことが大物ミュージシャンの条件?!(cakesの記事より)

星新一さんのショート・ショートにこんな話がありました。
ある小説家だったか画家だったかを夢見る青年が浜辺で思い悩んでいると、岸に流れ着いたびん詰を拾います。
開けてみると、その中からなんでも願いを叶えてくれる悪魔が出てきました。

そこで青年は自分の作品を有名にしてほしいとお願いします。
果たして願いは聞き入れられたはずが、直後に青年は死んでしまいます。

しかし、話はこれで終わりません。
世にでる前に夭折した悲劇の芸術家という肩書で彼の作品は話題を呼び一躍有名になったのでした。

上記事にもある通り、あまりにも早すぎる死で伝説となったミュージシャンは多いです。
特に27歳で亡くなる人がやたらと多いので『The Forever 27 Club』といわれます。
皮肉ですが、その後作品作りに行き詰まり世間に忘れられていくより、その劇的な幕切れでかえって長く人々の記憶に留まることはあり得ることだと思います。

事実、特にロック系に多いのですが、2枚目のアルバムが最高傑作でその後下降線をたどるとよく言われます。
年齢で言ってもせいぜい30代の半ばまでで、その後に良い作品を残せる人はほとんどいません。

これにはいくつか理由が考えられます。
まず、正規の音楽教育を受けていない人が多いので、もともと音楽的な引き出しが多くありません。
さらにバンドのイメージもありますから作風の幅も自ずから制限されてしまいます。
その結果としてかなり早い時期に音楽的に行き詰まるバンドが多いのだと思います。

実際、劇伴やプロデューサーまでこなせるレベルの作曲家だと40代以降も傑作を生み出す人は多い印象です。
だた、経験や知識のみからでは決して生まれない瞬間のひらめきを感じさせる作品こそ魅力的だと個人的には思います。

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フォーエバー27クラブ。一番左エイミー・ワインハウスさんも残念ながらその一員となってしまいました。

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コンプレックスの裏返し理論

2014-05-16 23:50:41 | コラム

香山リカさん「善意に置き換える欺瞞」 会見での安倍首相(日刊スポーツの記事より)

メディアでは心理学者や心療内科のお医者さんがコメンテーターとして活躍されているのを見かけます。
そこでよく思うのですが、見た目や雰囲気があからさまに変わっている人が多くないでしょうか?
端的にいうと、常に笑顔だったり逆に無表情だったり、ひとつの表情に凝り固まっている人が多い印象です。

さて、彼らの学識に基づくコメントには感心することも多いですが、一方でちょっとズルいと感じる面があります。

それはこの手の学者さんたちが使う「コンプレックスの裏返し理論」です。
例えば、上記事の先生は筋肉ムキムキなとあるお笑い芸人さんをさして「身体を鍛えるのは弱さの裏返し」といいます。

しかし、これは言い出したら最後何にでも当てはまります。
「化粧をする女性は自分の容姿のコンプレックスの裏返し」といえるでしょう。
それならお金儲けが好きなのは貧乏コンプレックスで、恋人の理想が高い人は恋愛コンプレックスです。

きっとどれもそこそこ当たっているのでしょうけど、キリがないのです。
人には色んな欲求や夢や希望がありますが、それにいちいち「○○の裏返し」と言うのは単純に失礼だと思います。
それに趣味程度の事なら単純に好きでやってることも多いと思います。

メディアに出て発言しないと気がすまない当の先生はきっと人より自己顕示欲が強い証拠です。
僕自身も毎日せっせとブログ記事を投稿しているのですからあまり人のことも言えません。

例えばそれは、子供の頃に親の愛情を十分に受けていなかったせいなのでしょうか?
生まれつきの性格というのもあるでしょうし、もっと複雑な原因で人の心は動くものなんじゃないかと僕は思います。

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三本足のネコ

2014-05-15 23:36:58 | コラム

「人間の勝手で殺していい命なんてあるはずがない」…東京五輪までに犬猫殺処分ゼロに、女優の浅田美代子さんらが会見(中日新聞の記事より)

昭和の御代には野良犬もけっこう道端をほっつき歩いていることがありました。
学校などに迷い込みうっかり校舎の中に入ってきたりすると、ちょっとしたお祭り騒ぎです。

以前勤めていた会社の社長さんは小学校の頃から新聞配達をしてい勤労少年でした。
聞けば、昭和の30年代頃は武蔵小金井の辺りでも野犬がよく出没したそうです。
朝、群れを作って追いかけてくる野良犬達を棒で払いながら自転車で配達していたそうです。

そんな野犬もいつのまにか見なくなりました。
要は保健所の殺処分が昔より徹底したということなのだと勝手に納得しています。

東京の練馬に住んでいた頃、近所の八幡神社に行く度に見かける野良猫がいました。
後ろ足の片方がなく、びっこを引いて歩いていました。
足の付根からすっかりなくなっているので、人に切断されたのだと思います。
それからしばらくして実家に帰ってくると、やはり近所で同じように三本足の野良猫を見かけました。
こちらもきっと同じような境遇だったのでしょう。

後ろ足を怪我か病気したところを善意の人に治療されたのなら良いのですが、それ以外の想像はあまりしたくありません。
保健所に見つかれば殺処分でしょうし、詳しいいきさつはわかりません。

しかし、そのネコも半年ほどで見かけなくなりました。
一人暮らしのアパートと実家の近くで出会った三本足のネコですが、会う度に当時の自分と重ねあわせ、励ましあっていた気分でした。

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ヰタ・セクスアリス

2014-05-14 23:27:45 | コラム

風呂場のぞきの少年 10代姉妹が捕まえる-滋賀(佐賀新聞の記事より)

小さい頃住んでいた社宅の子どもたちの間で水疱瘡が流行ったことがありました。
一階下のノリコちゃんもようやく発疹も治まり、彼女の家で遊んでいると、お母さんが入ってきました。
ノリコちゃんに水疱瘡の薬を塗るので、しばらく隣の部屋で待っていてほしいとのことです。

言うとおりにおとなしくしていた僕ですが、思ったより長い間待たされました。
すると、ちょっといけない妄想が頭にもわもわと浮かんできました。
ふすま一枚挟んだ部屋の向こうではノリコちゃんはあられのない姿で薬を塗られているのです。
それを想像するといてもたってもいられませんでした。

そこで、ばれないようにふすまをそっと開け、そこから中を覗くことにしました。
案の定、ノリコちゃんは案の定まだ薬を塗られているところで、うつ伏せにされ可愛いおしりを無防備に出しています。

その様子に見とれていると、目ざとくも見つかり「見ないで!」と叫ばれました。
僕は思わずドキッとして顔を隠します。
彼女のお母さんはというと、そんな子どもにデバガメ根性があると想像もしなかったようで笑っていました。

その後、さすがに後ろめたくて、しばらく彼女と口を利けなかったように記憶しています。
子供心に「あんまり長いからどうしたのかと思って覗いたんだ」と自分に言い聞かせて罪の意識を紛らわせてました。

まだ、3、4歳の頃のことだと思いますが、男の子の性の目覚めは早いのです。

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祖父の見た夢

2014-05-13 23:26:51 | コラム

認知症の女性、7年ぶりに夫と再会 元アナウンサー(NHKニュースより)

母方の祖父・一俊は僕が物心ついた頃には痴呆症が始まっていました。
子供の頃に台風の日には近くの池に半紙を浮かべて飛ばす遊びをしたこと、木のてっぺんからその池に飛び込んだことなど、何度も話してくれたので今でもよく憶えています。

自分の子供達が揃って勉強が良く出来たことも自慢話のひとつでした。
その中で僕の母だけ勉強が苦手だったのですが、そこだけ少し間を置いて「…運動が得意やったな」と言葉を濁すのも今ではいい思い出です。

しかし、そんな叔父叔母達が唯一不思議がっていたのが、妻カツヱの話を一切しないことでした。
明治男ですから、あまり自分の嫁のことをいうのも気恥ずかしいこともあるのかもしれません。
とはいえ、内心では祖母に深い思いがあったことは皆知っていました。

祖父は自分の商売のかたわら、宗教に熱心に打ち込んでいました。
もとから信心はあったようですが、特にその思いを強くしたのは、ある夢を見たことがきっかけでした。
聞くところによれば、祖母が真っ白な顔をして布団に横たわって亡くなっていたのだそうです。
そこでそれが正夢とならぬよう神様の助けをかりようとしたのでした。

しかし、残念なことにそれは現実のものとなってしまいました。
祖母は五十代半ばで、楽しみにしていたテレビドラマが始まるまでと布団に横になり、そのまま永眠したのです。

僕自身不思議に思っているのですが、身近にいる人はほとんど夢に出てきません。
そのかわり、小中学校の頃のクラスメイトや会わなくなった過去の知人たちばかりが登場します。
痴呆を患った祖父も、祖母を身近に感じていたために同じことが起こっていたのかもしれません。

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サッカーによる現代社会の隠喩

2014-05-12 23:16:30 | コラム

W杯メンバー発表! 本田 香川 長友 岡崎 清武 長谷部 内田 吉田 柿谷 大久保 齋藤 青山 伊野波ら(ゲキサカの記事より)

しがないサッカーファンとして今日の代表メンバーの代表の発表はかなりドキドキしながら聞いていました。
イチオシの大久保選手がサプライズ選出されたのを喜ぶ一方、やはり落選した選手たちの心境を思います。

さて、サッカーも我々の社会も組織の運営という点では似たところがあります。
指揮監督をするトップがいて、各人が現場で役割分担を与えられて、チームとして一つの目的に向かって協力して動きます。

現代の社会は高度で複雑になってしまい、何をするにもその道の専門家に頼らなければいけません。
テレビが壊れれば電気屋に、揉め事が起これば弁護士に、身体を壊せば医者に行かないことには解決できません。

便利になった一方で、その全体を見通せる人や一個人の個性に頼る時代ではなくなってきています。

これは実はサッカーの戦術でも同じことが言えます。
今のサッカーは非常に戦術が高度になってきていて、カウンター系とポゼッション系のチームがせめぎ合っています。
一方で、選手は戦術を徹底するための身体能力の高さと勤勉性や適応力が重視される傾向があります。

例えば、メッシやクリスチアーノ・ロナウドと言ったスター選手がいます。
どちらも素晴らしい選手ですが、メッシは局面での打開力、ロナウドは安定した技術と身体能力を活かした決定力の高さが売りです。

一方で、ジダンのようなコートの真ん中で司令塔的な役割をする選手は絶滅危惧種です。
ジダンの全盛期ですら彼のプレイスタイルはクラシカルだと言われていました。
戦術が高度化した時代では、こういった選手はそれほど必要とされなくなったようです。

それはいわば、創造性より順応性が必要とされる時代といえるかもしれません。

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死にたい瞬間

2014-05-11 23:00:17 | コラム

後絶たぬ鉄道自殺 ホームドア普及でも歯止めかからず(産経新聞の記事より)

日曜の昼過ぎ、京浜急行の下り電車に乗っていた時のことです。
目的の駅に到着する少し前のところで電車が停止をしました。

何事かと思っていると「一つ前の車両で人身事故があった」というようなアナウンスが入りました。
この事自体は電車に乗っていればそれほど珍しいことではありません。
車内でも携帯電話を取り出しメールや通話で連絡している人がいるくらいのものでした。
僕も急ぎの用でもなかったのですが、一体どのくらい車内で待たされるのかとすぐ先にある駅前の風景を恨めしく眺めていました。

しかし、電車は案外早く動き出しました。
時間にして恐らく数分もかからなかったと思います。
大した『人身事故』でもなかったのだろうとほっと胸をなでおろしつつ、ドア付近に立って窓の外を眺めていると、そこには信じられない光景がありました。
なんと血みどろの男性が隣の線路の上で倒れているのです。
ホームから飛び込んだわけではなく踏切から線路に入りこみそのままはねられた様子です。

あまりのことにすぐに窓から離れ目を背けましたが、それを目撃した人たちで車内は軽く騒然となりました。
残念なことですが、心無い人の中にはその様子を携帯電話で実況するものもいました。

僕自身、心身の不調に加え嫌なことも重なりうっかりいけないことも頭もよぎりますが、自死はどんな状況であれ、やはり『むごい』ものです。
悲しいとかかわいそうとも少し違う、むごい、というのがその現場を見て一番強く思ったことでした。

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