1001タイ映画、千夜一画 

タイ映画またはショートフィルム他で心の琴線に触れたアーカイブ。

Province77  LAはタイの77番目の県

2005-06-04 16:08:47 | タイ映画
東京に帰ると山手線や大久保のドンキでいきなりあの実存主義的なタイ語を耳にする機会が多いが、LAではもう5万人以上のタイ人が在住している。そんなある日、英語も話せないし勿論読めもしない秘書が突然「ロスに移住する」と告げてきた。話を聞いてみると、実の母親が整形手術のために米国からタイに里帰りしていて移住を薦められたという。つまりアジアの共産ドミノ危機時代にイサーンに駐留していた米兵と恋に落ち、米国に渡ったタイ女性の人生と決断の物語が秘められていたのである。普通の女性では決して西洋人とは接触しなかった時代の負の慣習がシングルマザーとなった娘を経済的な有利な地に引き寄せようという「正の見えざる手」が自然に作用していたのである。

今でもパタヤには軍事演習が終わると「米国海軍歓迎」という横断幕が垂れ下がり、アイビーカットの米兵との一夜に女性が人生をかけてサービスするという現実があるが、考えてみればベトナム戦争時代には相当数のタイ女性が米国へ渡ったはずだ。米国とアジアとの近さを感じたのがフィリピン人とのチャットだ。マニラだと思ってアクセスした相手が実はLAの薄べたらい映画セットのようなアパートから話し相手を求めているのだが、タイ語の世界は外国人に伺い知るのは本当に言葉の壁が立ちふさがる。

やがて二世の時代になり言葉とともに出身国のアイデンテティが薄れるなか、ドロップアウトして居心地の悪い青春時代を迎えた若者達とタイから流れてきた元警官との合意を描いたのが「プロビンス77」だ。プロデューサーのマイクは子役時代から今までタイのテレビや映画に俳優として実績を積んだ芸能エリートだが、タイの77番目の県はロスだという発想は、ハリウッド発のタイ映画として面白い。

タイ・トヨタのテストドライバーの経験を生かしたカーアクションや現役DJとしてのヒップホップへの造詣の深さはいいとしても映画作品としては本当に特色なく、多額な借金を抱えてしまった。当初はヒップホップもオマケと日本への配給権を7千万円と吹っかけていたCDもいまでは町のレンタルのお店で静かに人生を過ごしている。タイ国内映画としてなら盛り沢山=サービス精神とみなされて市民の支持を得ただろうが、内容の多さが災いした上に、格好を付けてしまったのが大きな敗因だろう。小学校時代からタイの極右教育を施され、誤って人を殺してしまった元警察官の屈折が自由奔放で地元黒人グループと対立するロスの不良青年には気がかりな存在だが、次第に出身国のアイデンティティに目覚めていくという面白い発想なだけに、作品で生かされていないのは多分彼の育ちの良さと温厚な性格が災いしているのだろう。

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