1001タイ映画、千夜一画 

タイ映画またはショートフィルム他で心の琴線に触れたアーカイブ。

Sexphone_タイの典型的な恋愛映画

2005-03-01 21:19:31 | タイ映画
 題名とジャケットにつられて買ってしまったが、こういう青春恋愛映画は本当に苦手。ラジオ番組のADとして真面目に働くデューの悩みは隣に住む美しいが少々自分勝手な行動が目立つタイと豪のハーフの娘Jの毎夜のカラオケの騒音。幼なじみで顔見知りだが、たぶん教育を海外で受けたJの振る舞いはタイ社会の伝統と習慣を重んじるデューにとっては無視できない存在。しかしその彼女の爛漫な振るまいが寂しさからというのを気がつき少しづつお互いが気になる存在になり理解を深めていく。そしてあるきっかけで恋人に、そして喧嘩別れをしながら最後には・・・というお決まりな恋愛映画ストーリ。昭和30年代のキューポラの町のような青春恋愛映画は「貧しくても希望をもって美しく生きていこう」という気概があったが、貧しさも少しは脱したし、オーストラリアに行けるような小金もあるバンコク地域限定の希望に非指定地域の若者達は共感を勝ち得るのだろうか。まさか、みんなが中流の夢を見始めているんではないだろうな。
主題歌「恋したら」は本当に虫酸が走る代物で、屈折した青春を送っている日本の若者にはピントこないだろうが、ここには本当に「白馬の王子様」登場願望の女性達の割合は先進国よりは高いのか、こういう曲がカクテルラウンジでも流れれば客そっちのけで・・・この国の娘さん達は本当にこの手の甘い歌が好きだ。
 クロントイ近く、線路脇のオープンバーの夜中には業界関係者のたまり場がある。「タイでヒットを出そうと思ったら方式がある」と語るのは友人。「まずは映画を作ってそのテーマソングをFMで始終ながしてもらうのね」「内容なんてどうでもいいの。この国で何人の人がラジオを聞いていると思う?仕事をしながら、勉強をしながら」「(そう銀行だって)ギョウカイハミンナツナガッテイルカラね」と私の下手な英語。「特に先輩後輩の間が厳しいでしょう。だからあの人のような人間がの鶴の一声で、どこの放送局も右向け、右なのね。もちろんヒットしたら付け届けは忘れないし、あの人を怒らしたらこの業界では仕事はできない」と表のような裏話だが、彼は売れっ子TVディレクターの言葉だけに説得力がある。つまり、流行や人気というものがまだ大手レコード会社や映画会社の意向で操作できる確率が高いという資本家側にとってはオイシイ世界なのだ。(電車が通るのでたまに大きな声になる。)
こういうつまらない映画でもタイの環境オブジェとして眺めるののは最適。私には沈没願望があって特に気に入っているストーリーが、ムーバーンと呼ばれているどこにである一戸建て集合住宅に沈没してしまうこと。沈没だから一切の日本人的行事には参加しないし商工会議所や日本人会なんてとんでもない。読売新聞も定期購読してはいけないし情報はネットで夜中にこそこそがベスト。といってタイ化は絶対に避けなければいけないしロイカトインのメロディに乗って手にタイ風のしなを作って体が動いてもいけない。つまり完全にタイからも日本からも無視されるような存在になって読書に打ち込むこと。一時これを手術後の静養で実践していたことがあるが、印象に残っているのは読書でも何でもなくお手伝いさんの久枕の心地よさと行商の声。真っ黒な衣装でいつも野良犬に吠えられ続けながら商売をしているのは染屋。といっても黒一色しか染められなく、それもグレースケールはできない。染め粉の入った空き缶を「カンーカーン、カンカン」と不定期に叩きながら「染めやぁー」とでもいっているのかもしれない。あとはリヤカーに乗ったゴミ屋さんは昔の車のクラクション。日本だと廃品回収業というなんだか大変に長たらしい命名に甘んじているがこちらは簡単。「コンカヤ」つまり「ゴミ人」とか「ゴミを集める人」。役所でも確かたいそうな名前は付けられていないで最後に「カヤ」という独特の文字が書いてあったと記憶する。いちばん耳障りなのがあの憎き「アイスクリーム」の宣伝ソング。モノホニーの単旋律のサブドミは気持ち悪くなるような旋律なのでいつまた始まるかと、通り過ごした後も安心できないほど音楽家にとって天敵な物売りの音だ。という沈没でも隣近所のおつき合いは欠かせない。こういう可愛い娘が隣に住んでいるのなら多少の不自由は...なんという甘い考えは捨てたほうがいい。特に中流で甘やかされて育った娘は日本でもタイでも同じように行儀が悪いし扱いにくく、常識が欠如している。さて何を書こうと思ったのか忘れたが、あ、そうだタイ沈没には是非こうしたムーバンがお勧めということ・・ではなくこういう娘はどうして普通表の道は歩いていないんだろう。

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