1001タイ映画、千夜一画 

タイ映画またはショートフィルム他で心の琴線に触れたアーカイブ。

PATTAYA MANIAC 2004, 93 min

2005-12-03 23:41:59 | タイ映画
プラクルアン(中心の仏という意)というのはお守りでこれをペンダントとにして人間の中心に置くことでドッペル効果を狙っているのだろうか。そういえばタイ人がクルアンと何気なく発音するときにすでに中心という概念に飛んでいくような気を感じる。これはあの気候と環境の中での迫力なので、雪国でこれを発音しても氷を溶かすことができないし、吹雪のうねりにフェイドアウトしていく。プラクルアンを最初に見かけたのが、くそ暑い道路に忽然と置かれたドブ浚い用の汚いバケツの中だった。これを恐れ多くも歩道にぞんざいに並べるとたちまち老若男女の人だかり。なんだなんだと思っているうちにどす黒かったお宝は鯖を生乾きにしたような色彩になって乞食のような小男があのバケツにどこからか汲んできた水道水にもう一度浸けて金色の光がやっと射してきた。近寄ってみると小銭が多く、プラクルアン、小さなエメラルドの仏像、金属の欠片が泥水の中に蘇る。小男はバンコクには珍しく裸足で、雑巾のような半ズボンにあのイサーン農民布巾という出で立ちは年期を感じさせる。

そうかあの仏像は川の浚渫から得られる貴重な品々なので骨董的価値があるという誤解を長くしていたものだ。そうしているうちに仏像は車などにも鎮座しているということに気が付いてあの前座席の絨毯と仏像というパターンを発見した。バンコクで暮らしていると車内というのは渋滞のせいか人生のかなりの時間を過ごすということが納得。その結果、車内の居間空間構築という先進的な発想になったのではと観察をライフワークとしてさまざまな仏教関係の装飾品があることを思い知った。まずは新車を購入すると僧侶によって交通安全の呪文をあの白粉のようなものを指に浸けて前方天井に書き記す。そうして家族の写真、家族の大学卒業写真、皇室関係の写真やらグッツ、また陶器製の百一匹わんちゃん、海賊キティちゃんの縫いぐるみなど現代美術のビエンナーレ並の想像力を発揮させている姿に感動を覚えたのも昔日の想いに。

CHOOSAK IAMSUKは強面のスキンヘッドに人の良さそうな目つきを武器に真摯なアンバランスのコメディ演技が好感をもたれている。この映画ではこうした屈強の男がプラクラン鑑定の第一人者というのがこの映画の設定だ。だが実際にどういう基準で鑑定されるのであろうか。もちろん純金製とかであれば単純にバーツ当たりのかけ算だが、なかには大変な骨董的価値のあるものもあるらしい。パタヤに限らずこうした田舎町でこうした守護仏像の鑑定名人は需要が高い。まして風水などの知識とセット販売すればもうこれは鑑定が政府官邸まで出入り自由になる可能性も多い。大物ギャングの親分だって一目置く存在になれるのは古今東西あまりかわらない。が、何時の世も女性が騒動の中心という構図は変わりそうもなく、借金に借金を重ねてしまう。
Directed by: YUTHLERT SIPPAPAK
Associated Producer: AIM-ORN GHANAPAI, PRASERT WIWATTANANONPONG
Cast: CHOOSAK IAMSUK, ORNJIRA LAEMWILAI, PICHANART SAKHAKORN, SOMCHAI KEMKLAD
Cinematographer: PRAPOP DUANGPIKUL
Editor: TAWAT SIRIPONG
Executive Producer: PAIBOON DAMRONGCHAITHAM, BOOSABA DAORUANG,, VISUTE POOLVORALAKS, JINA OSOTHSILP
Music : HUALAMPONG RIDDIM
Producer: YUTHLERT SIPPAPAK
Production Designer: SARAYUT PHUMPRAO
Screenplay : YUTHLERT SIPPAPAK
Sound: KANTANA ANIMATION


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