初めて社中外のお茶会に参加した二年前を振り返ります。mixiに当時書いた日記の再掲ですので、マイミクの方はご了承ください。
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秋晴れの勤労感謝の日、港区国際交流茶会なる団体のお茶会に参加。場所は、なんとあの和宮に縁の茶室、貞恭庵。芝増上寺の境内にある。
ハワイ旅行もご一緒したY嬢の師匠が、毎年、ここで席を持たれていて、弟子のY嬢もお点前を披露されるというので、同僚のM嬢と乗り込んだ。
自分の教室のお茶会体験はあっても、外部の、しかもちゃんとした茶室での茶会はうん十年ぶり。その時はまだ学生だったので、懐紙を持ってないこともストッキングで失礼したことも若さ故で許されたが、今回はそうはいかない。一応はお茶を習っている身。年齢だって若さ故というのは、憚られる年。あまりに見当違いをしては、私のみならず、呼んでくれたY嬢にだって申し訳ない。
そこで茶道関係の本を買い込み、いろいろ調べていった。
まず持ち物。いわく、「お茶会では数寄屋袋に必要なもののみ持って席入りします」「和の世界では布のバッグが正式。殺生は避けます」。
す、すみません。数寄屋袋も布製フォーマルバッグも持ってません。
よーし、と京都に行ったついでに、お茶席用の利休バッグなるものを買ってきた。数寄屋袋は貯まった高島屋のポイントカードを使って日本橋で購入。京とお江戸のコラボだぜ。
最も悩ましかったのは着ていくもの。書物のたまわく「茶会では色無地に袋帯」「帯は金糸銀糸を避ける」。一方、Y嬢へのヒアリングでは、カジュアルな席なので好きな着物で、とのこと。着物を着るようになってからとみに敬愛する檀ふみ氏によると、紋付き色無地は上級者と見られ、正客の席にあてがわれる危険があるから紋のない小紋あたりがお勧め、とのこと。結局、檀ふみ氏のアドバイスに従い、ネットで格安に落札した紋はない江戸小紋にフォーマルな帯を合わせることにした。
<真中がワタクシ>
ここまで念入りにプランニングしたのに、ああそれなのに。
実際には数寄屋袋など持って入る余地もなく、荷物は茶室の外に全て預ける。利休バッグの人など見られず、革のバッグの人もいる。
そしてなんと、私が正客の席に座らされてしまったのだ。狭い茶室に、後から入る人が詰まらないようにと案内したら、たまたま私の順番が正客の席になってしまっただけなのだが、もし私が着物を着て利休バッグなんか持っていたものだから、「こいつ、できる」と思われたのだとしたら、あれだけ緻密なプランニングの意味がなかったではないか!
ちなみに正客というのは、茶席に集った客を代表して、亭主にその日の茶室のしつらえについて問答する役割がある。原則として、亭主自らは説明せず、あくまで客に問われたことに応えるという奥床しさ。したがって、正客はどういう意図をもって今日のしつらえをしたのか、亭主の意を汲まなければならないのだ。
正客の座に自分が案内されたのは、座ってから気がついた。この状況はものすごくまずい。私に続けて入ってきた着物姿のおば様に、「初心者ですからこの席は遠慮したく」と座の交換をお願いしたが、「あら、私達は他の流派ですから。それにもう席を換えるなんて無理ですし」と断られてしまい、あせる。
そうこうしているうちに、Y嬢のお手前が始まってしまった。もうこなったら旅の恥は掻き捨てるしかない。
幸いなことに、何も知らない外国人の方でも参加できるようにと、席そのものは非常にカジュアルで、師匠が自ら道具の説明もしてくれた。足利義政の和歌とか、なんだ由緒あるらしい志野焼のお茶碗とか、細川元首相の焼いた井戸茶碗だとか、お家元からじかにいただいた煙草盆とか、なんだかすごいことは私にもわかる。隣のおば様は大変喜んで、「もう次の方が待っているので」と制せられるまでいろいろ質問していた。もしかしたら私を見て、本当に頼りにならないと判断して助けてくれたのかもしれない。
いやいや。まさかこんなところでいきなり正客体験するとは思わなかった。正客の役割をちゃんとまっとうできなかったということより、まず正客の席に座らないように対処できなかったことが、私の未熟たるゆえんだろう。良い勉強になりました。
お茶の経験の長いM嬢とペニンシュラホテルでプチセレブなランチをとりながら、深々と反省をした祝日でした。
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秋晴れの勤労感謝の日、港区国際交流茶会なる団体のお茶会に参加。場所は、なんとあの和宮に縁の茶室、貞恭庵。芝増上寺の境内にある。
ハワイ旅行もご一緒したY嬢の師匠が、毎年、ここで席を持たれていて、弟子のY嬢もお点前を披露されるというので、同僚のM嬢と乗り込んだ。
自分の教室のお茶会体験はあっても、外部の、しかもちゃんとした茶室での茶会はうん十年ぶり。その時はまだ学生だったので、懐紙を持ってないこともストッキングで失礼したことも若さ故で許されたが、今回はそうはいかない。一応はお茶を習っている身。年齢だって若さ故というのは、憚られる年。あまりに見当違いをしては、私のみならず、呼んでくれたY嬢にだって申し訳ない。
そこで茶道関係の本を買い込み、いろいろ調べていった。
まず持ち物。いわく、「お茶会では数寄屋袋に必要なもののみ持って席入りします」「和の世界では布のバッグが正式。殺生は避けます」。
す、すみません。数寄屋袋も布製フォーマルバッグも持ってません。
よーし、と京都に行ったついでに、お茶席用の利休バッグなるものを買ってきた。数寄屋袋は貯まった高島屋のポイントカードを使って日本橋で購入。京とお江戸のコラボだぜ。
最も悩ましかったのは着ていくもの。書物のたまわく「茶会では色無地に袋帯」「帯は金糸銀糸を避ける」。一方、Y嬢へのヒアリングでは、カジュアルな席なので好きな着物で、とのこと。着物を着るようになってからとみに敬愛する檀ふみ氏によると、紋付き色無地は上級者と見られ、正客の席にあてがわれる危険があるから紋のない小紋あたりがお勧め、とのこと。結局、檀ふみ氏のアドバイスに従い、ネットで格安に落札した紋はない江戸小紋にフォーマルな帯を合わせることにした。
<真中がワタクシ>
ここまで念入りにプランニングしたのに、ああそれなのに。
実際には数寄屋袋など持って入る余地もなく、荷物は茶室の外に全て預ける。利休バッグの人など見られず、革のバッグの人もいる。
そしてなんと、私が正客の席に座らされてしまったのだ。狭い茶室に、後から入る人が詰まらないようにと案内したら、たまたま私の順番が正客の席になってしまっただけなのだが、もし私が着物を着て利休バッグなんか持っていたものだから、「こいつ、できる」と思われたのだとしたら、あれだけ緻密なプランニングの意味がなかったではないか!
ちなみに正客というのは、茶席に集った客を代表して、亭主にその日の茶室のしつらえについて問答する役割がある。原則として、亭主自らは説明せず、あくまで客に問われたことに応えるという奥床しさ。したがって、正客はどういう意図をもって今日のしつらえをしたのか、亭主の意を汲まなければならないのだ。
正客の座に自分が案内されたのは、座ってから気がついた。この状況はものすごくまずい。私に続けて入ってきた着物姿のおば様に、「初心者ですからこの席は遠慮したく」と座の交換をお願いしたが、「あら、私達は他の流派ですから。それにもう席を換えるなんて無理ですし」と断られてしまい、あせる。
そうこうしているうちに、Y嬢のお手前が始まってしまった。もうこなったら旅の恥は掻き捨てるしかない。
幸いなことに、何も知らない外国人の方でも参加できるようにと、席そのものは非常にカジュアルで、師匠が自ら道具の説明もしてくれた。足利義政の和歌とか、なんだ由緒あるらしい志野焼のお茶碗とか、細川元首相の焼いた井戸茶碗だとか、お家元からじかにいただいた煙草盆とか、なんだかすごいことは私にもわかる。隣のおば様は大変喜んで、「もう次の方が待っているので」と制せられるまでいろいろ質問していた。もしかしたら私を見て、本当に頼りにならないと判断して助けてくれたのかもしれない。
いやいや。まさかこんなところでいきなり正客体験するとは思わなかった。正客の役割をちゃんとまっとうできなかったということより、まず正客の席に座らないように対処できなかったことが、私の未熟たるゆえんだろう。良い勉強になりました。
お茶の経験の長いM嬢とペニンシュラホテルでプチセレブなランチをとりながら、深々と反省をした祝日でした。
そうそう、カジュアルなお茶会って、お着物も結構自由なようなんですよね。今どき、季節ごとTPOごとに何枚も揃えているという人も少ないわけで…。まあ、その敷居の低さに私は助けられたのですが。
それにしても正客とは!ビックリ体験でしたね。でも楽しい会になってよかったですね。
「カジュアルな」といわれても、どの辺まで許されるのか、そのさじ加減が難しくて・・・。それを判断するにはもっとキャリアが必要と痛感しています。中途半端な知識だと、かえって自分で自分をがんじがらめにしてしまうものですね。知って体験して、そして初めて自由になるのが、「道」といわれるものの奥深さなのかもしれません。
お茶会に行きたいな~なんて思っていても、あの正客回避合戦、どうにかならないものでしょうか。
でも、とってもいい経験をなさいましたよね。お稽古とちがって、身をもって知る機会ってそんなにありませんものね。
お茶とのご縁がなくなってもう何年もたちますが、私もいっぱい失敗して、いっぱい痛い思いをしたおかげで、間違ったり恥をかくのも悪くないと思えるようになりました。堂々と正直で、そして素直であればいいのだ、と。
知ったか振りが一番いけませんですね。
ワタシは昨年初お茶会(濃い茶・薄茶)を経験しましたが
懐紙だけ持参で、後は野となれ山となれでした(笑)
もう、分からないトコ・不思議なコトはどんどん聞きました。
正座が苦手なので正座椅子も持参のちゃっかりものです(爆)
根が小心者なのと、見栄っ張りなせいで「お茶習っているのに」と、書物からの情報で準備しちゃいましたが、こんなに思った通りいかないとは。
咄嗟の対応ができるようになるのはまだまだ先のようです。
おっしゃるように、要は素直に自分の知らないことを認めることが大事なんですよね。
初心者は、自分は、何がわかっていないかを、そもそもわかっていないから、やみくもに怖いんですよね。この増上寺の私がそんな状態。してみると素直にいる必要性がわかったこと私は多少、成長できたのでしょうか?…単におばちょんになって図々しくなったわけっないといいのですが。