諸々の事情がありブログの更新をお休みしていた。
(自分のブログのみならず、人様のブログを見るのもだいぶ減ってしまい…)
春に異動があり、仕事の内容が変わり、バタバタしている中で、右手の拇指の付け根の骨がずれてしまうということが判明(拇指CM関節症というそうです)。
原因は、加齢と、PCの使い過ぎということで、PCを使う頻度を最小限することに。
足の骨折といい、今年は骨にいろいろあるなあ。そんなお年頃なのかも。
手は、定期的な治療が、やっとひと段落したので、ブログもぼちぼちながら再開。
あらためてよろしくお願いします。
その間も、ぼちぼち着物は着ていたので(足は骨折してたけど)ご報告をば。
まだ足にギプスをしていた3月末。Facebookで「東日本大震災チャリティ茶会」のご案内を見つけた。
場所は、以前にお茶会に参加したことがある護国寺。
とおっても楽しかったので、これは良い機会と、早速申込み。
1か月も経てば、足も治っているだろうとタカをくくっていたのだが…
結局、4月も下旬になってもギプスがとれず、参加できないんじゃないかと焦っていた。
なんとか直前の診察で、ギプスはとれたのだが、
し、しかし、「まだ完全に骨がくっついていないので正座はしないで」と申し渡されてしまったのである。
お茶会といえば、苦行ともたとえられる正座の連続だ。
やっぱりあきらめるしかないのか…
そこで思い付いたのが「正座椅子」。
許されるのかどうか、わからないが、そもそもお茶席はお茶を楽しむべきもの。足の痛みを我慢したり、けがを悪くしたりしていては、お茶席の精神に反するではないか!
…と、勝手な理屈をつけ、正座椅子を持ち込みいざ参戦!
どうしてそこまでお茶会参加にこだわったか?
それは義父の葬儀で今年の初釜に参加できなかったから。
いや、正確に言うと、せっかく用意していた訪問着一式を着られなかったから、着る機会がほしかったのだ。
念願(?)かなって着用したのがこの姿↓
白地に赤い花柄なので、お茶会には派手かも?と思ったけれど、渋い色身だったので思ったほどは派手ではなかった。
失敗だったのは道行で、私は普通に合わせのものを着ていったのだが、ほとんどの方が薄物の道行でしたよ。そうか、4月も末になると薄物なのか―。
さて、お茶会である。
この年になるまで知らなかったのだが、私の実家は真言宗だったらしい。
それを知った直後ぶ、護国寺も真言宗のお寺であることを知ったので、以前に来たときより、微妙に親近感を覚える。
一緒に行く予定の同僚が、朝ご家族のトラブルで昼にならないと来れないという連絡がある。
えー!一人でお茶席回るんですか?
動転するが、仕方がない。
多少でもなじみのあるところに、と、習っている裏千家のお席から回る。初めてお茶席に出た時に比べ、多少は場慣れしたのか、そうおたおたせずに席に入ることができた。
いきなり正客の席についてしまうこともなかったし(笑)。
なんでも経験してみるもんです。
今回のメインイベントは、「真言声明(しょうみょう)」
音楽をつけたお経とでもいえばよいのでしょうか。
私は昨年、偶然京都のお寺で声明を聴く機会があり、すっかり魅せられてしまっていたので、このイベントも聞き逃すまじと、そうそうに御堂でスタンバイ。
解説もあり、それによると、西欧のグレゴリオ聖歌にも、声明とほとんど同じ曲があるのだそうだ。
祈りの節回しというのは、洋の東西を問わず共通なのかもしれない。
長くなったので、お茶席の様子はまたあらためて。
ちなみに、今回のお席はこんな感じ↓
石州流が、東京でお茶席を持つのは、なんと70年ぶりだとか!
大変珍しいお席でした。請うご期待!!
濃茶席〔楓の間〕 石州流東京大口派 山根宗芳
薄茶席〔月窓軒〕 裏千家 白梅会(中島宗基業躰主宰)
薄茶席〔不昧軒〕 表千家 富田静枝
聞香席〔忠霊堂〕 香道御家流 霽月会 長濱閑雪
点心席〔茶 堂〕 三友居(謹製 義援点心)
(自分のブログのみならず、人様のブログを見るのもだいぶ減ってしまい…)
春に異動があり、仕事の内容が変わり、バタバタしている中で、右手の拇指の付け根の骨がずれてしまうということが判明(拇指CM関節症というそうです)。
原因は、加齢と、PCの使い過ぎということで、PCを使う頻度を最小限することに。
足の骨折といい、今年は骨にいろいろあるなあ。そんなお年頃なのかも。
手は、定期的な治療が、やっとひと段落したので、ブログもぼちぼちながら再開。
あらためてよろしくお願いします。
その間も、ぼちぼち着物は着ていたので(足は骨折してたけど)ご報告をば。
まだ足にギプスをしていた3月末。Facebookで「東日本大震災チャリティ茶会」のご案内を見つけた。
場所は、以前にお茶会に参加したことがある護国寺。
とおっても楽しかったので、これは良い機会と、早速申込み。
1か月も経てば、足も治っているだろうとタカをくくっていたのだが…
結局、4月も下旬になってもギプスがとれず、参加できないんじゃないかと焦っていた。
なんとか直前の診察で、ギプスはとれたのだが、
し、しかし、「まだ完全に骨がくっついていないので正座はしないで」と申し渡されてしまったのである。
お茶会といえば、苦行ともたとえられる正座の連続だ。
やっぱりあきらめるしかないのか…
そこで思い付いたのが「正座椅子」。
許されるのかどうか、わからないが、そもそもお茶席はお茶を楽しむべきもの。足の痛みを我慢したり、けがを悪くしたりしていては、お茶席の精神に反するではないか!
…と、勝手な理屈をつけ、正座椅子を持ち込みいざ参戦!
どうしてそこまでお茶会参加にこだわったか?
それは義父の葬儀で今年の初釜に参加できなかったから。
いや、正確に言うと、せっかく用意していた訪問着一式を着られなかったから、着る機会がほしかったのだ。
念願(?)かなって着用したのがこの姿↓
白地に赤い花柄なので、お茶会には派手かも?と思ったけれど、渋い色身だったので思ったほどは派手ではなかった。
失敗だったのは道行で、私は普通に合わせのものを着ていったのだが、ほとんどの方が薄物の道行でしたよ。そうか、4月も末になると薄物なのか―。
さて、お茶会である。
この年になるまで知らなかったのだが、私の実家は真言宗だったらしい。
それを知った直後ぶ、護国寺も真言宗のお寺であることを知ったので、以前に来たときより、微妙に親近感を覚える。
一緒に行く予定の同僚が、朝ご家族のトラブルで昼にならないと来れないという連絡がある。
えー!一人でお茶席回るんですか?
動転するが、仕方がない。
多少でもなじみのあるところに、と、習っている裏千家のお席から回る。初めてお茶席に出た時に比べ、多少は場慣れしたのか、そうおたおたせずに席に入ることができた。
いきなり正客の席についてしまうこともなかったし(笑)。
なんでも経験してみるもんです。
今回のメインイベントは、「真言声明(しょうみょう)」
音楽をつけたお経とでもいえばよいのでしょうか。
私は昨年、偶然京都のお寺で声明を聴く機会があり、すっかり魅せられてしまっていたので、このイベントも聞き逃すまじと、そうそうに御堂でスタンバイ。
解説もあり、それによると、西欧のグレゴリオ聖歌にも、声明とほとんど同じ曲があるのだそうだ。
祈りの節回しというのは、洋の東西を問わず共通なのかもしれない。
長くなったので、お茶席の様子はまたあらためて。
ちなみに、今回のお席はこんな感じ↓
石州流が、東京でお茶席を持つのは、なんと70年ぶりだとか!
大変珍しいお席でした。請うご期待!!
濃茶席〔楓の間〕 石州流東京大口派 山根宗芳
薄茶席〔月窓軒〕 裏千家 白梅会(中島宗基業躰主宰)
薄茶席〔不昧軒〕 表千家 富田静枝
聞香席〔忠霊堂〕 香道御家流 霽月会 長濱閑雪
点心席〔茶 堂〕 三友居(謹製 義援点心)
しかし、訪問着着る機会がおありでいいですね。
寿も身近なところは既に一巡してるし、歌舞伎も三階席だし。で、私はなかなか着る機会がなく、「モチグサレ」状態です。(宝かどうかは別。)
実は、お茶では、訪問着より紋付の色無地や江戸小紋のほうが正式ってされているので、それほど着る機会はないんです(正々堂々と着られるのは初釜かな…)。このときは、なかば強引に(笑)。やはり訪問着は少数派でございました。
でも、持ち腐れ防止のため、訪問着でお茶会ってどうでしょう?今後お茶会にお誘いしますよ!