すっかりさぼってしまった間にたまったネタを、思い出しながら書いてます。
まずは先月の歌舞伎観劇のこと。
梅雨だけど、幸い雨には降られなかったので、ここぞとばかりに昨年、竹蔵龍ねえさんのところで、勢いで購入したままだった紗合せに挑戦。
(購入したいきさつは、こちらからお読みください)
<紗合せに、シンプルなミントグリーンの帯を合わせて>
<裏地はこんな感じ。立葵?夏っぽい柄。>
柄は立葵ではないかと思う。日本画ではなく油で書いた抽象画っぽいタッチが面白い。
今回はシンプルな帯に合わせたけれど、葵の花柄の帯なんぞに合わせたらおしゃれ。
そう思うと、葵柄の帯がほしくてほしくて、ついネットで検索してしまう私。万年金欠というのに。
しかし、葵は葉の柄は多く扱われていても、意外に花をモチーフにした帯は少なく、幸い(?)今のところ出費に至らず。
黒かと思っていた地の色は、日の光の下で見たら濃紺。紺色は意外に単衣ではもっていなかったので、ちょっと得した気分。
ただ、それほど透け感の強い生地ではないので、着ている本人は、透け感を楽しむというまではいかない。
それから初めての紗合せだけど、着てみた印象は…あつい。結局二枚の布を合わせているのだから、「紗」というより「あわせ」。
蒸す日に着るのはかなりつらいっす。合わせた布の透け感を楽しむのは、自分ではなく、他人さまと割り切らないと着られないっす。
さて、歌舞伎の感想を。
一、頼朝の死
源頼家 : 染五郎
小周防 : 孝太郎
畠山重保 : 愛之助
大江広元 : 歌 昇
尼御台所政子 : 時 蔵
真山青果ってやつはーーー!!なんてまだるっこしいの話なの!?
役者さんたちに不満はあらねど、だれもが文句をいいながら、なかなか進展しない話にいらつく(^^;)。
これが書かれた当時は、こうした人間の心理(だけ)をセリフで言い募る形式が、今っぽかったんでしょうが、私は苦手~。
染五郎、愛之助とイケメンがそろっていたのに…やはり歌舞伎(にせよ、なんにせよ)はイケメンというだけではダメじゃのうと、変な納得をしてしまった。頼家を得意としている梅玉さんの頼家役と比べてみたい。
時蔵丈は、どちらかというと嫋やかな女性役のイメージがあったので、政子のイメージはなかったのだけど、さすがの迫力でした。
二、梶原平三誉石切
鶴ヶ岡八幡社頭の場
梶原景時 : 吉右衛門
梢 : 芝 雀
俣野景久 : 歌 昇
飛脚早助 : 錦之助
六郎太夫 : 歌 六
大庭景親 : 段四郎
なぜか、この演目は何度見ても、だれのものを見ても、ものすごーく眠くなってしまう。
楽しみにしていた吉右衛門さんのものも例外ではなく、切れ切れの舞台シーンした思い出せません…(^^;)。
わずかな記憶をたどってみると、他の人が演じる景時と違い、吉右衛門丈の景時は、より明るくておちゃめな人柄の印象が残っている。見終わったとき、なぜかふと、梶原景時は最初っから刀がほしくて、うまくしてやったのではないか?なんてことを思ったんだよなあ。
三、連獅子
狂言師右近後に親獅子の精 : 仁左衛門
狂言師左近後に仔獅子の精 : 千之助
歌舞伎の魅力は数多くあれど、世代を越えて受け継がれる芸を楽しむことは、かなり大きな比率を占めるものであると日ごろから思っている。その魅力を堪能できたのがこの舞台。
千之助くん、子供と思えないほど踊りが堪能。ちょっとびっくりしましたよ。踊りに余裕があるというのか、決めるところは決めて、観客の目を十分に意識して踊っていた気がする。
仁左衛門丈は、千之助くんへの愛情と思いに溢れる踊りでしたね。そこまで露骨に思いを出すのか?と少々驚くほど。
「連獅子」は、親が仔獅子を崖から落として鍛えるという愛情を表現した演目。孫の千之助くんが、こんなに立派な踊りができるほど成長し、同時に一緒に踊れるまで仁左衛門丈がお元気でいらしたこと自体が奇跡のように思える。そう考えたら、涙がにじんできてしまった。
わたしも精進して、元気に歌舞伎を見続けよっと!
まずは先月の歌舞伎観劇のこと。
梅雨だけど、幸い雨には降られなかったので、ここぞとばかりに昨年、竹蔵龍ねえさんのところで、勢いで購入したままだった紗合せに挑戦。
(購入したいきさつは、こちらからお読みください)
<紗合せに、シンプルなミントグリーンの帯を合わせて>
<裏地はこんな感じ。立葵?夏っぽい柄。>
柄は立葵ではないかと思う。日本画ではなく油で書いた抽象画っぽいタッチが面白い。
今回はシンプルな帯に合わせたけれど、葵の花柄の帯なんぞに合わせたらおしゃれ。
そう思うと、葵柄の帯がほしくてほしくて、ついネットで検索してしまう私。万年金欠というのに。
しかし、葵は葉の柄は多く扱われていても、意外に花をモチーフにした帯は少なく、幸い(?)今のところ出費に至らず。
黒かと思っていた地の色は、日の光の下で見たら濃紺。紺色は意外に単衣ではもっていなかったので、ちょっと得した気分。
ただ、それほど透け感の強い生地ではないので、着ている本人は、透け感を楽しむというまではいかない。
それから初めての紗合せだけど、着てみた印象は…あつい。結局二枚の布を合わせているのだから、「紗」というより「あわせ」。
蒸す日に着るのはかなりつらいっす。合わせた布の透け感を楽しむのは、自分ではなく、他人さまと割り切らないと着られないっす。
さて、歌舞伎の感想を。
一、頼朝の死
源頼家 : 染五郎
小周防 : 孝太郎
畠山重保 : 愛之助
大江広元 : 歌 昇
尼御台所政子 : 時 蔵
真山青果ってやつはーーー!!なんてまだるっこしいの話なの!?
役者さんたちに不満はあらねど、だれもが文句をいいながら、なかなか進展しない話にいらつく(^^;)。
これが書かれた当時は、こうした人間の心理(だけ)をセリフで言い募る形式が、今っぽかったんでしょうが、私は苦手~。
染五郎、愛之助とイケメンがそろっていたのに…やはり歌舞伎(にせよ、なんにせよ)はイケメンというだけではダメじゃのうと、変な納得をしてしまった。頼家を得意としている梅玉さんの頼家役と比べてみたい。
時蔵丈は、どちらかというと嫋やかな女性役のイメージがあったので、政子のイメージはなかったのだけど、さすがの迫力でした。
二、梶原平三誉石切
鶴ヶ岡八幡社頭の場
梶原景時 : 吉右衛門
梢 : 芝 雀
俣野景久 : 歌 昇
飛脚早助 : 錦之助
六郎太夫 : 歌 六
大庭景親 : 段四郎
なぜか、この演目は何度見ても、だれのものを見ても、ものすごーく眠くなってしまう。
楽しみにしていた吉右衛門さんのものも例外ではなく、切れ切れの舞台シーンした思い出せません…(^^;)。
わずかな記憶をたどってみると、他の人が演じる景時と違い、吉右衛門丈の景時は、より明るくておちゃめな人柄の印象が残っている。見終わったとき、なぜかふと、梶原景時は最初っから刀がほしくて、うまくしてやったのではないか?なんてことを思ったんだよなあ。
三、連獅子
狂言師右近後に親獅子の精 : 仁左衛門
狂言師左近後に仔獅子の精 : 千之助
歌舞伎の魅力は数多くあれど、世代を越えて受け継がれる芸を楽しむことは、かなり大きな比率を占めるものであると日ごろから思っている。その魅力を堪能できたのがこの舞台。
千之助くん、子供と思えないほど踊りが堪能。ちょっとびっくりしましたよ。踊りに余裕があるというのか、決めるところは決めて、観客の目を十分に意識して踊っていた気がする。
仁左衛門丈は、千之助くんへの愛情と思いに溢れる踊りでしたね。そこまで露骨に思いを出すのか?と少々驚くほど。
「連獅子」は、親が仔獅子を崖から落として鍛えるという愛情を表現した演目。孫の千之助くんが、こんなに立派な踊りができるほど成長し、同時に一緒に踊れるまで仁左衛門丈がお元気でいらしたこと自体が奇跡のように思える。そう考えたら、涙がにじんできてしまった。
わたしも精進して、元気に歌舞伎を見続けよっと!
7月大歌舞伎、私は来週観にいきます!楽しみです!
紗合わせ、涼しく見せようとすると、すっきりした、ある意味、無難な柄になってしまうのかもしれません。でも、紗合わせは、遊ぶ余地の多いものだと思うのです!自分の指定で柄と紗の模様を組み合わせたり…。暑いから、たぶんやらないですが…(^^ゞ
仁左さまの親獅子は崖から突き落とすと言うより、子供用プールにぽちゃんと落とした仔獅子を心配しているって感じでしたね、笑
そうそう、結局は袷だから
5月の末から6月半ばまでかなあと思ってます。
染みがあったりB反だったりの絽に紗を掛けたり
意外と作るのに融通が利きます (^-^)v
突き落としたのがプールとすると、ニサ様の毛振りシャンプーはプールで?(^^ゞ
いずれにしても、孫への愛情たっぷりの獅子でしたね。
紗合わせですが、まあ、この日が特に暑かったこともあるけれど、着る前の涼やかな印象とのギャップは衝撃的でした(>_<)
なんとか間に合いました。しかし、やはり構造から考えたら、もう少し早い時期に着るべきなんですね。濡れる心配がなければ、梅雨寒などには最適でしょうね。
私のは、絽に紗を合わせてますが、紗同士ならもう少し、涼しそうですね。