飯田山・常楽寺
2020/8/18(火) 晴
今日も晴天、予想最高気温38°。久住扇が鼻山行以来、運動らしい運動をしていないので中程度の負荷で登れる山と云うことで飯田山を選択し登ることにする。
益城町を東方向に、船野山と飯田山の鞍部目指して走り、国道443を下砥川から飯田山の稜線に沿った道を迫ると(写真1参照)に到着する。
右脇に益城町教育委員会の飯田山常楽寺の説明板(写真2参照)がある。
平安末期1140年頃の開基と云うことで、この説明板に日羅のことは書いてない。
登山口左脇には、十四丁目の不動明王の石仏(写真3参照)がある。
この後、石仏13体全部の写真を撮ったが途中割愛する。
左横に「一丁石仏建立の碑」(写真4参照)がある。
「江戸時代中期には、常楽寺まで一丁(約109m)毎に石仏がおかれていた」とある。「明治の廃仏毀釈により境内の石造物はことごとく破壊された」ようで、「平成の一町石仏を建てる事にした」とある。
十二丁目と十一丁目の間に、江戸時代の石仏一体(写真5参照)がある。
十一丁目の石仏は、阿閦如来(あしゅくにょらい)(写真6参照)。
「物事に動じず迷いに打ち勝つ強い心を授ける」仏様らしい。
十丁目と九丁目の間にも、江戸時代の石仏一体(写真7参照)がある。
七丁目は、薬師如来(写真8参照)を見る。常楽寺まで半分処かと思ったが・・・。
山頂まで30分、常楽寺まで15分の表示(写真9参照)が木に巻かれている。ほぼ半分処らしい。
四丁目の石仏は、普賢菩薩(写真10参照)ここで登山路が、車も通る林道に出る。
三丁目の石仏は、文殊菩薩(写真11参照)左手に剣と右手に経巻を持っている。
三丁目の石仏を過ぎた先は、林道と、よめご坂登山路に別れる(写真12参照)
二丁目の石仏は、釈迦如来(写真13参照)
一丁目の石仏は、再度不動明王(写真14参照)
平成石仏は、十四体目から不動明王、虚空蔵菩薩、大日如来、阿閦如来、阿弥陀如来、勢至菩薩、千手観音、薬師如来、弥勒菩薩、地蔵菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、釈迦如来、不動明王、起点は水子地蔵。平成石仏は、十五体あり、数えながら登れば常楽寺の坂道も楽だ。
常楽寺の、自然石の乱れ積みの特徴ある石段(写真15参照)に到着する。
石段左側に江戸時代の石仏(写真16参照)
一丁目石仏か。この形は西福寺摩崖仏にもあったと思うが・・・。
山門(写真17参照)を潜る。
山門左側の見事な木像の阿形像(写真18参照)
山門左側の見事な木像の吽形像(写真19参照)
常楽寺本堂(写真20参照)
境内にあった日羅伝説が書いてあった説明板は、撤去されていた。この説明板の写真は過去ブログ(下記)にあるが、その撮り直しも目的の一つであったが残念。
境内右側に白山神社の鳥居(写真21参照)がある。
ここを潜り山頂に向かう。
途中、林道と交差(写真22参照)する。
更に急登すると飯田山山頂白山神社(写真23参照)に着く。
神社横の池は、この暑さで空になっている。
山頂広場(写真24参照)は、草丈が伸びている。今日の眺望はあまり良くない。
少し歩き足りない気もしたが、熱中症にならない内に早めに下山しよう!
無事に下山出来たことを、天に感謝する。
総所要時間2.5(実2)時間 歩行した標高差約330m
飯田山常楽寺
2015/2/1(日) 晴
今日のポタリングの目的は、益城町「飯田山常楽寺」の由緒書「日羅」についての再取材とする。午前10時半出発。天候は快晴。気温は低めだが、空気は澄んで山が青い。
県道28電車通り東へ走り、健軍電停先の県道226を右折。野間橋、間島橋、矢形橋と加勢川3支流を渡り嘉島町から益城町の田んぼ道を飯田山目指して東南方向へ走る。国道443に出て下砥川から飯田へ。
溜池の所から坂道になり、この先1.5km標高差240m程を自転車を押して歩く。
この登山道には常楽寺本堂まで14体の石仏が登山者を見守って御座る(写真1参照)全石仏に1丁から14丁まで番号がふってある。
新しい石仏に混じって旧来の石仏(写真2参照)も鎮座する。しかしその石仏には右上から袈裟懸け方向に叩き割られたような痛々しい傷が見て取れる。「1585年薩摩兵に焼かれる」とあるので、そのときの破壊か?
山門前の参道は乱れ積みの自然石(写真3参照)
山門の左に吽形、右に阿形の仁王様。どことなく愛嬌があるような気がする。
本堂右手前に由緒書(写真4・5参照)はある。
日羅:葦北国造刑部靫部阿利斯登の嫡子、538年宣化天皇の命により任那に渡る。
百済国第二位の達卒になる。
583年敏達天皇に請われて帰国。
朝鮮半島に対する政策について「攻めるべきではない防衛を固めよ」と奏上。
付き人(百済人徳爾ら)により暗殺される、と日本書紀にあるという。
そのまま読むか、批判的に読むかは読者しだいというところか。(この段参考HP:紫堂(ゆかりどう)→古代史研究室)
本堂(写真6参照)には、テープではあるが読経がながれていて神聖な雰囲気に、参拝してよかったと思う。
下山は林道を下る。ロードバイクでのこの急坂は、危険と感じる。途中一旦休憩。
熊本市街地が一望できる(写真7参照)写真中央に江津湖、遠景は金峰山、左手中央に白く光っているのは、サントリー九州工場。
帰路は、県道232を北上し、国体道路経由で帰宅する。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)22km→飯田山常楽寺22km→熊本(自宅)
所要時間5時間(実4時間) 総計44km 走行累計9,700km
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