2021/11/12(金) 曇
このところ急に寒くなって、今日の最高気温予報15°と動きたくなくなる気候になった。そうなると、なんとなく体調が思わしくなくなるので、降雨のリスクはあるが、曇天の下午前9時半過ぎからポタリングに出る。
主目的を「下田のイチョウ」とし、前後を放牛石仏(地蔵)19・69・93・103・64・83・87・62・2体目探訪の予定で出かける。
先ず水前寺4丁目渡瀬公民館傍の地蔵尊堂(写真1参照)を探訪する。
3体の地蔵尊(写真2・3参照)が鎮座する。
放牛石仏(地蔵)19体目は、向かって左側のようだ。
放牛石仏(地蔵)19体目を後にして、熊本大学医学部の南方にある春荘寺(写真4参照)に移動する。
目的の放牛石仏(地蔵)69体目(写真5参照)は、山門の横に鎮座する。
地蔵堂の中には10体ほど?の地蔵尊像(写真6参照)があるが、放牛石仏(地蔵)69体目は中央にあって一際大きい。
説明板(写真7参照)には、「放牛は、寛文(1670年代)のころ熊本古大工町の鍛冶職の子としてうまれた。
少年時代、父がある事で武士に殺され、それを目の辺りに見た彼は、世の無情を感じ僧となった。
彼は三十年間の修業後、非業の死を遂げた父の冥福を祈るため、石仏建立の願を立て、享保七年(1722)から一七年までの十年間に百七体の石仏を建てた。この石仏は六十九体目である。」とある。
放牛石仏(地蔵)69体目を後にして、画図町下無田木部塘にある放牛石仏(地蔵)93体目(写真8参照)を探訪する。中ノ瀬橋加勢川左岸の旧浜線沿いにある。
放牛石仏(地蔵)93体目(写真9・10参照)は、地蔵像を線刻した板碑と並んで鎮座する。ここの地蔵尊も大切にされているようだ。
放牛石仏(地蔵)93体目を後にして、嘉島町鯰にある放牛石仏(地蔵)103体目(写真11参照)を探訪する。
放牛石仏(地蔵)103体目(写真12参照)は、光背に「處放〇昌百三体・・・」台石に「村中」とあり、立像石碑である。
放牛石仏(地蔵)103体目を後にして、黄葉し始めた国指定天然記念物「下田のイチョウ」を観る。昨年は黄葉の時期に遅れたが、今年は間に合った。
その後、木原不動尊(写真13参照)に移動する。放牛石仏(地蔵)64体目は山門右側に鎮座する。
放牛石仏(地蔵)64体目(写真14参照)は、地蔵尊2体と石塔1体と並んで建つ。
光背右側に「六十四体享保十四年九月・・・」左側に「他力放牛」の陰刻(写真15参照)がある。
放牛石仏(地蔵)64体目を後にして、宇土市松原町の西安寺(写真16参照)に移動する。
西安寺沿革書(写真17参照)には、「西安寺は正安三年(西暦1301年)に大慈寺三世、鉄山士安禅師によって開創。・・・」とある。鎌倉時代末期開創の古刹である。
本堂右側に地蔵尊(写真18参照)が並ぶ。
その右端が、放牛石仏(地蔵)83体目(写真19参照)に鎮座する。宇土市の指定文化財になっているようである。
その頭上にいわれ書(写真20参照)がある。「江戸時代に熊本城下の鍛冶屋町に貧しい鍛冶職の親子がいました。親の名は七左衛門といいます。貞享3年(1686年)1月4日、二人の男の子が表口でけんかをしていました。
七左衛門が何度も注意しましたがやめませんので、手にもっていた火吹き竹を息子に投げつけました。それが不運にも家の前を通りかかった侍の大矢野源左衛門の顔に当り、父親はその場で無礼討ちとなりました。息子は父が殺されたのは自分の不幸(孝)のせいと嘆き、出家して放牛と名を改めました。30余年の修行の後、享保7年から享保17年にかけて父の菩提を弔うため107体の地蔵を建立しました。
西安寺敷地の地蔵は第83体目(享保15年12月・1730年)に建立。近くには第64体目が、木原不動尊正面石段右側にある。」とある。
「二人の男の子が表口でけんか」という部分が他の説とは違うが、大意は一緒である。
県道50(旧国道3)の加勢川橋の南詰上流側に地蔵尊堂(写真21参照)がある。
堂内に9体の地蔵尊(写真22参照)が鎮座する。
その中の後列中央が放牛石仏(地蔵)87体目(写真23参照)。光背部右側「享保十六年」左に「八十七体」とある。
放牛石仏(地蔵)87体目を後にして、河尻神宮近く天明新川右岸の放牛石仏(地蔵)62体目(写真24参照)に移動する。
放牛石仏(地蔵)62体目(写真25参照)は、帽子を被り、マスクを着け、腹掛けをしているので、ほぼ尊像が見えない。小堂には、もう1体の小さな地蔵尊が同居なさっている。
現在時刻14時、放牛石仏(地蔵)62体目を最後に帰途に就く予定であったが、10月19日に探訪出来なかった近見3丁目の放牛石仏(地蔵)2体目(写真26参照)を探訪した。
ブロック造りの小堂の正面に車が駐車してあって、放牛石仏(地蔵)2体目(写真27参照)の正面からの写真は撮れなかったが、腕を伸ばして辛うじて斜め上部から撮れた。
Web上の情報では、2体目の台座は104体目のものであるとある。
帰宅は15時と、早目だった。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)32km→放牛石仏(地蔵)83体目(宇土市)20km→熊本(自宅)
所要時間5.5時間(実4.5時間) 総計52km 走行累計43,868km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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