旧井芹川から坪井川沿い
2014/7/25(金) 晴
天候は晴れ。
屋外での熱中症も怖いが、汗をかかない屋内生活も体に好くないだろうと、自転車に跨り出かける。
11時出発。
井芹川沿いの熊鹿ロードを南に下る。風は爽やか。
熊鹿ロードの南の終点島崎辺りで今日の目標地を考える。
今月に入って南阿蘇村90km、生坪塚山古墳50km、飯田山40km、JA吉野支所30kmと走行距離を減らしてきた。
疲れを残さないために更に減らしてみようと、取敢えず旧井芹川沿いをポタリングする。
最初に目にとまったのが「横手鐘ヶ淵」(写真1参照)の説明板。
長さ17間幅5間深さ3間の淵があり、旧隈本城の時代、物資の荷揚げ場として賑ったとある。
何の変哲もないただの雨水排水路に見えるが、井芹川上流には「鎧ヶ淵」「君ヶ淵」等の 地名もあり、昔は水量豊かな川であったろうと想像する。
現在の井芹川は、昭和6~10年の改修で戸坂を流れ高橋で坪井川に合流する。 ここは、それ以前の流路である。
次に目にとまったのが「加藤清正公母御廟所・妙永寺」(写真2参照)
追記:写真の山門は2016年の地震災害で倒壊、撤去されている。(2019.3.22)
更に下った所に目にとまったのが、通路を遮るような形で存在する立派な石橋。
現在北岡自然公園として管理されている細川家御廟所に入場するための橋(写真3参照)である。
旧井芹川の流路幅を偲ばせる施設である。
通路は井芹川を埋め立て作られたもので、石橋の方がはるかに古い。
次に立ち止まったところが、加藤清正が城下町として整備した町割りと藩政時代の風情が残る界隈。
清正公が熊本城の内堀として河川改修した坪井川と明八橋(右写真4参照)を新呉服橋から見た風景。
明八橋、明十橋は、東京「日本橋」や皇居「二重橋」等を手がけた熊本出身の名石工橋本勘五郎によって明治八、十年に架設されたもの。
明十橋は、現在も使われている。アーチの形が美し い。
明十橋を後にして、桜橋を渡り熊本城内ただ一箇所の水掘り備前堀(上写真5参照)へ。
堀を手前に、迫力の飯田丸五階櫓を見上げる。
正面奥に、数奇屋丸三階御広間の屋根越しに本丸天守閣が見える。
備前堀右方に櫨方門がある。
城内に入らずに御幸橋を渡り城外坪井川沿いに熊本城長塀(下写真6参照)を眺めながら遊歩道を市役所方向へ進む。
市役所前から三年坂を通り、白川に架かる安政橋を渡る。
「清正公」さん以前の白川はこの辺りで大きく蛇行していたと古地図にあったように思うが、痕跡らしいものは見当たらない。次は古地図もって来よう。
新屋敷を通り帰路に就く。12時半自宅着。
近世の熊本を垣間見たような気分になったポタリングだった。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)6km→春日4km→新屋敷6km→熊本(自宅)所要時間1.5時間(実1.5時間) 総計16km 走行累計7,033km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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