種田山頭火の味取観音
2020/11/28(土) 曇/晴
(2020/11/29改訂)
最高気温13°。午前10時過ぎから味取観音と菊池市西寺を目的地にポタリングに出る。
山頭火の像の後ろに、句碑(写真1参照・11/29撮影)がある。
高さ2mほどの句碑(写真2参照・11/29撮影)には、「松はみふ枝垂れて南無観世音」とある。
種田山頭火説明板(写真3参照)には、
「山頭火は本名種田正一、明治十五年、山口県防府市に生まれた。早稲田大学文学部を中退し、父と共に家業に従事したが失敗し、これから流浪の生涯が始まった。熊本に来たのが大正五年、彼が三十五歳の時であった。酒にひたって家業を顧みず、上京したり帰熊したり奔放な生活を続けていた。大正十三年、出家して禅僧となり翌年、味取観音の堂守として、読経と句作の独居を続けた。観音境内の句碑に刻まれた「松はみな枝垂れて南観世音」の句は、当時の作である。しかし、ここも永くは続かず一年二ヶ月にして去り、以来、放浪生活を送り昭和十五年十月十一日、四国松山市の一草庵で波瀾の生涯を閉じた。五十九才であった。
山頭火は萩原井泉水の俳詩「早雲」によって自由律の俳句をよんだ詩人で「鉢の子」をはじめ七句集やぼう大な日記類があり、「山頭火全集」まで出版されており、日本俳句史上特異の地位を占めている。」とある。
その裏に、山頭火の句碑(写真2参照)の寄贈者大山澄太氏の名と、山頭火の句十八句(写真4参照)が記してある。
「この句碑は、三十三回忌に当たり松山市の大山澄太氏が植木町に寄贈され、味取区はじめ、町内外有志多数の協力を得て、ここに建立したものである。(昭和47年9月23日建立)
松風に明け暮れの鐘撞いて
ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いている
分け入っても分け入っても青い山
炎天をいただいて乞い歩く
生死の中の雪降りしきる
へうへうとして水を味ふ
傘にとんぼをとまらせてあるく
ほろほろ酔ふて木の葉ふる
しぐるるや死なないでゐる
法衣こんなにやぶれて草の実
こんなにうまい水があふれている
酔ふてこうろぎと寝ていたよ
うしろ姿のしぐれていくか
鉄鉢の中へも霰
雨ふる婦るさとははだしで歩るく
こころすなおに御飯がふいた
家を持たない秋が深くなるばかり
大楠も私も犬もしぐれつゝ」
尚、この文面は、像の台座との隙間にあり、右側一行目と左側三句が写真に写っていない。
紅葉(写真5は11/29撮影)は、最適の見頃か。
味取観音を後にして菊池市西寺に移動するが、その記事は後日としたい。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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