デジタル画、始めました。

落書きしてます

伯父が亡くなった時

2021-06-13 08:16:00 | 日記
これについては何度か書こうと思ったのだが、あまり気分の良い話ではないからだと思うが、始める言葉が出てこなかった。
見出し画像も思い付かなかった。

父や母の時には 苦しそうな時もあったけれど、いよいよ最期の時には穏やかで静かな亡くなり方だった。
だからお疲れ様でした。これで苦しみも終わりましたね」と思えたのだ。

昨日、娘が居なくなった2階の部屋の片付けをしていたらこんなモノに目が行った。



小さかった娘が作ったモノだ。
蛇腹のついた曲がるストローで作ったブランコに女の子が乗っている。
ブランコの足をそれぞれ両手で持って捻ると女の子が前後に搖れる仕組みになっている。たぶん一回転くらいはしたはずだ。

これが、薄暗い部屋の奥で夕方の日の光に照らされて 生き生きして見えた。
伯父が亡くなった時についての見出し画面はこれにしようと思った。

理由はわからない。ただ、なんとなくコレなら書けそうと思った。

伯父は幸手の病院で亡くなった。
独り者の伯父はその病院の隣の介護施設で丸2年お世話になっていた。
話は出来るが痴呆があった。施設での後半は手摺を使って歩いていた。
最期は、転んだ後 痛がるので隣の病院で診察したら大腿骨にヒビが入っていたとかで、そのまま入院した。

病院で治療といっても結局ベッドに括り付けられての点滴だった。
私の外出中に病院から連絡があり「点滴の針を自分で抜いてしまうので、腕を拘束して良いか?」と聞かれたのだ。
ほかの選択肢を訊ねもせず「それを許可してくれなければ、もう知りませんよ」ということかと私は思いこんでしまった。
そんなわけで伯父の最期は両腕を拘束されての点滴治療となった。

かわいそうな事をしたと思う。
病院に行くと、拘束されて点滴を受けている伯父の顔は 酸素マスクの下で酷く怯えていた。
私の方を すがりつくように見つめている。伯父の恐怖が分かった。
その時には従姉妹とふたりだったのだけれど、伯父にかけるそれほどの言葉も見つからず、いたたまれず逃げるように病院を出た。
少し死期を早めることになっても点滴も拘束も外してもらえないかと医者に言って見るべきだったと今は思う。

次の日病院から、伯父の死を知らせる電話があった。
すぐに病院に向かった。目を開いた伯父の顔は歪んでいた。

そのあとの伯父の顔の記憶がない。簡単な葬儀もしたのだけれど、棺に入った伯父の顔は全然覚えていない。