デジタル画、始めました。

落書きしてます

草取り

2021-06-23 10:16:00 | 日記
小さい頃から、あれこれするのが苦手だ。

小学校の授業で、一時間毎に教科が変わるのにも、時間が来たらハイ終わりというのにも慣れなかった。
一日中算数とか一日中図工とかだったら良いなあと思っていた。
でも我慢はしていたので、学校では優等生とか言われて余計に疲れる事になった。

まあ勉強も好きなようにやめられないなら、それも苦痛だろうけど。

そういえば髙倉先生の教場では、進度もその人なりだったし、決まった稽古の時間内だったらいつ行っても良いし、いつ帰っても良かった。
でも、ひと通り稽古してそろそろお終いにしようかなと思っていると先生が「では〜を出してきて」とかおっしゃって次の稽古に進んだりする。
そういう時は決まって、ちょっと余裕があるけどまあそろそろお終いにしようかと思っている時だった
気持ちがバレバレなのがいつも不思議だった。

たくさん稽古をしたあと教場の門を出て外の風に当たる。その時の爽快感が素晴らしかった。ただ帰りの駅の階段がつらかった。膝がガクガクした。
「一通り動いて疲れた後の稽古が本当の稽古になる」とそんな言葉を覚えているのだが、そういう事だったのだろう。

早く帰りたければ「今日は用事がありますので、終わりに致します」と言えばよかった。
それで先生が気を悪くなさることは決してなかった。

今は食事の支度だけ時間に間に合えば良いから幸せだ。何かを途中でやめなくて良いのが幸せ。
というわけで、今日もまた草取り三昧を楽しみたいと思います。

教場での挨拶

2021-06-21 03:51:00 | 日記
まず部屋に入る前に挨拶。先生に挨拶、次に先輩と同輩後輩に挨拶する。

細かく言えば、廊下に正座しこれから稽古をさせていただいく部屋に対して挨拶のお辞儀をする。頭を下げた時、敷居の上に頭がかからってしまうと先生からご注意がある。
部屋への挨拶の前に先生と目が合ってしまうこともある。そういう時には困ってしまう。
普通の時には挨拶はこちらから声を掛ける。先生が他の方に指導している時には、お話が終わるのを待ってこちらから声を掛ける。
先生へ挨拶する前に稽古の途中でひと息ついている先輩や同輩と目があったら、目だけで挨拶。

自分の稽古が終わって帰る前の挨拶もまず先生にする。
最後に廊下でお部屋に挨拶のお辞儀をする。その時、下げた頭が敷居の上にかからないよう気をつける。


先生がお亡くなりになって、もう2年になる。今もっと寂しく感じてしまう。



髙倉先生

2021-06-19 22:44:00 | 日記
先生のお宅の門扉は、以前は木製の縦格子の引き戸だった。
今は同じような形の金属製のものに変わり、開け閉めが楽になっている。

稽古の時には呼鈴など押さずに勝手に開けて入って良い事になっている。
扉の前に立つと格子の間から、一間ほど先に入り口が見える。やはり木製の引き戸だ。それは今も変わらない。
一息ついたあと引き手に手を掛ける。
心の準備が要る。扉の中は別世界なのだ。教場は山の頂のような鮮烈な空間だった。

玄関の扉も勝手に開けて入る。やはり声は掛けない。開ける時ゴトゴトという音がするので誰か来た時にはすぐにわかる。

上がり框は昔風で高い。前を向いて靴を脱ぎ、膝をついて靴の向きを変えて端によけておく。
そして壁の方を向いてしゃがんで靴下を履き替える。稽古には白い靴下と決まっていた。
もちろん着物で来ても足袋を履き替える。足袋もやはり白だ。

靴下を履き替えたらハンカチを用意してカバンや荷物を決まった場所に仕舞う。
ハンカチは必ず要る。汗を拭くために。

廊下を曲がると稽古をする和室の下手に出る。
和室に入る前にそこで正座になり部屋に挨拶のお辞儀をする。先生への挨拶もそこでする。






髙倉先生

2021-06-16 11:24:00 | 日記
先生のお宅は、私の家から電車を乗り継いで1時間ちょっとのところにある。
先生がお亡くなりになった後も、教場はお家の方のご厚意でまだ開かれている。
でもここのところ世の情勢もあり休みにしている日が多い。私の足も遠退いている。

大きな駅に挟まれているのにそこだけ落ち着いた感じの駅が最寄駅だ。
ひとつしかない改札を出るとすぐ右に大学があり、大きな樹が繁っているのが見える。

ここの大学に友人の息子さんが在学していたことがあった。
その美大時代の友人がバザーにアクセサリーを作って売るというので、稽古のついでに行ったことがある。
煉瓦造の校門を入ってその会場までが遠かった。敷地の広さと樹々の多さに驚いた。
バザーは人でごった返していた。ふたことみこと友人に声を掛けた後ひとつ買って学校を出た。

ところで先生のお宅に行くには、改札を出て大学と反対側の商店街を歩いて行く。

以前は商店街の歩道が長いアーケードになっていた。雨の日は助かった。
雨の日の稽古の帰り道、先輩たちと連れ立って歩いている光景が記憶に強く残っている。
降っていない日の方が多くあったはずなのに、と思う。

長い間に店の建て替えがあり、そのつどそこだけ雨除けのアーケードが無くなっていった。
そして最後に歩道を広げる工事と共にアーケードは全て無くなった。

駅近くに大きなケーキ屋もあった。稽古の帰りにたまに寄った。
フランスから材料を仕入れてくると言っていた額屋もあった。店の外装もフランス風だったのかオシャレだった。
店自体が手頃な骨董品のような雰囲気だった古本屋も数年前に無くなった。

駅近くで私が稽古に通い始めた頃からずっと有るのは、銀行と本屋と高価な日本の骨董を扱っている店と和菓子屋くらいだろうか。

そんな道をしばらく歩いて、花屋の手前で左に折れる。この花屋は昔からある大きな店だ。
道は細く、ちょっと行くと車も入れなくなる。先生のお宅はそこからすぐのところにある。



髙倉先生

2021-06-14 21:28:00 | 日記
私たち姉妹が通った女子だけの中学校には「礼法」という授業があった。
ちなみに、人にこれを話すと「礼法って何ですか」と聞かれることもあるが、私はとりあえず「礼儀作法のことです」と言っている。

残念なことに授業内容は少ししか覚えていない。
和室での授業も時にはあったが、ほとんどは教室だった。
私はただ緊張して姿勢を正して先生のお話を伺っていた。
教科書はあったが、ほとんど使わなかったような気がする。ノートも取ったことはない。
ほかの授業ではおちゃらけな生徒もこの時間は静かにしている。もちろん寝る人もいない。

先生はいつも着物をお召しだった。着物が身体の一部のような感じだった。

講堂で行われる入学式や卒業式などの式の時、遠くからでも先生のお姿が良く分かった。
威厳があって凛として、校長先生に対するお辞儀は特に敬意が篭って美しかった。
授業内容よりもそういう事が印象に残っている。

先生は学校で教えるだけでなくお宅の一階を礼法の教場にしておられ、ほとんどの土曜日ごとにお稽古があった。
和室での立居振舞や昔からの式を細目に従い稽古していく。
私が二十歳の時、仲の良かった中学時代の同級生を誘って、ふたりで一緒に先生の教場に通い始めた。
先生にはいろいろお世話になったし、沢山のことを教えていただいたなぁと今更ながら思う。

お姿を描かせていただいたこともあった。

ある時先生から、梶田半古の墓の前で小林古径と土牛先生が写っている写真を頂いた。
自分には必要がないから、とおっしゃって渡してくださったように覚えている。
その時には深く考えずに頂戴したのだが、先生が亡くなられてからある話を聞いた。
その話というのが、先生の早くに亡くなられたご主人は梶田半古の身内の方で、ご主人の実家に伺うと梶田半古の絵がたくさんあった、という事だった。

縁って不思議なものだなぁと思う。