Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

断頭台の露---アントワネット、処刑の日(つぶやき)

2014-10-16 00:08:10 | つぶやき

 1793年10月16日、マリー・アントワネットは処刑された。あれから今日でちょうど221年。

 アントワネットが囚われていた牢獄、コンシェエルジュリ。

 もしアントワネットの実兄ヨーゼフ2世が、彼女を救おうと積極的に行動を起こしていたら---。もしヴァレンヌ逃亡が成功して いたら---などと今でも考えてしまう。実家から見放された彼女を、最後まで見捨てずに救おうと奔走したのがフェルゼンだった。ギロチン台に向かう時、アントワネットの胸に、どんな想いが去来しただろう?一番は幼くして両親を失うことになる子供たちへの危惧ではないかと思う。まだまだ独り立ちするには程遠い二人の子供の行く末が、心配で心配でたまらなかっただろう。アントワネットの派手好き、浪費癖について「赤字夫人」と揶揄されるけれど、実際は彼女が使ったお金よりも、ルイ14世時代からの宮殿建設費用や、アメリカ独立戦争への出費のほうがはるかに多額で、国庫を空にしていた。そんな時代に、彼女はまだものの判断力がきちんとつかぬまま、王太子妃になってしまい悲劇が始まった。

 オスカルもアンドレも1789年以降のフランスを見なくてすんだのは、ある意味幸せだったのかもしれない。バスティーユ陥落当時こそ、「自由・平等・友愛」を旗印に人々は戦ったが、その後訪れた恐怖政治時代は、オスカルが描いていた理想のフランスとは程遠いものだった。オスカルはベルナールがさりげなく「どこか外国へ行け」と亡命を促しても、「何かあったら、祖国と心中するぞ。」と答え、理想の実現のために命を使い切った。もし7月14日の戦闘を生き抜いたとして、自分がかつて愛をこめて仕えたロココの王妃が、自分が長い間片思いをしていた男性の手助けで国外逃亡を図ろうとしたと知った時、どんなに残念に思っただろう。そして---国王夫妻の処刑をどう受け止めただろう?

 マリー・アントワネット---フランス王妃にならなければ、もっと幸せな人生を送れたかもしれない。マリア・テレジアも、さぞ悔やんだろう。

 読んでくださり、ありがとうございます。 



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