Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

「ハプスブルク家の食卓」 (4)

2015-06-23 00:52:17 | つぶやき

 食欲旺盛だった女帝マリア・テレジアとまったく逆で、自らの美を保つために極度のダイエットに走った皇妃と言えば、「あぁ、あの--。」とピンとくる方も多いはず。その生涯は現在、帝国劇場でミュージカルとして上演されている。彼女の名はエリザベート。

 美しい人である。カメラのない時代は、お気に入りの宮廷画家の力量次第で、いくらでも実物以上に美化して仕上げることのできた王侯貴族たちの肖像画。カメラの登場により、容赦なく本来の姿を切り取って写し出す。だがこの人はそんなことは全く関係なく、美しい姿を今に伝えている。

 身長172cm、体重50kg以下、ウエスト50cmをキープすることに病的なまでに固執し、美容に良いとされる運動や美顔術は何でも取り入れた。ウィーンのホーフブルク宮殿内には、彼女の体操室が残っている。

 エリザベートの朝食は通常、果物・焼き菓子・クロワッサン・ミルク・卵・バター・ハム・生クリームとコーヒー。夕食は焼肉・サラダ・アイスクリームなど。最初は専属料理人の作るこうした料理を食べていたが、そのうち有名なケーキ店の「デーメル」「ルンペルマイヤー」から出来合いの商品を届けさせて食べたり、自らこうした店に出かけ食事していた。

 そうかと思えばダイエットのためと言って、ミルク2~3杯、あるいはオレンジ6個だけで1日を済ませることも多く、宮廷料理人がいかにその腕をふるっても、料理が無駄になることもあった。ダイエット法は、果物だけの「ジュース療法」、ミルクと乳清だけの「乳清療法」、さらに「肉ジュース療法」などを交互におこなった。この時代、宮廷菓子部門のスタッフには、皇妃のダイエットに応えられる特別な技術者が採用された。例えば皇妃はハイスピードでバターから水分を絞り出した(現在のバターに近い)製品を望んだ。当時のバターは手で押すと水分が出てくるのが一般的だった。こうして作ったバターはお茶の時間に、パンに付けて使われたため別名ティーバターとも呼ばれた。しかし実はこのティーバター、脂肪含有量は80%以上で、ダイエットには不向きだった。

 栄養的には全く無価値のひとしい乳清を、エリザベートはダイエットのために飲んでいた。乳清とは牛乳からカゼイン(凝乳)を除去した液体。そのためカルシウム不足になり、1870年からは骨粗しょう症の症状を訴えていた。それでも宮廷医師団は誰も彼女の食餌療法に異議を唱えなかった。言ったところで、皇妃は自分の信念を曲げようとしなかったから。

 奇妙なのが「肉ジュース法」。これは子牛のもも肉をプレスして搾り出した血を飲むもの。彼女はこれを肉ジュースと呼び、1867年から長期にわたって愛飲した。そのためのプレス機をフランスからわざわざ取り寄せた。

 エリザベートと食事を共にした皇帝フランツは、あるとき食卓に運ばれた皇妃用の赤い飲み物が「子牛の生血」であると知り、さすがに不快感を示したと言う。1890年頃のパリでは、牛の生血は薬になると考えられていた。しかし古くからユダヤ教やイスラム世界では、動物の血は不潔なものとみなされており、現代医学からしても、ウイルス感染の危険性が高い。

 皇妃は子牛の生血を飲むだけでなく、その生肉で毎晩のようにパックをしていた。そのために何十頭もの子牛が殺された。エリザベートはオリーブ油の入ったお風呂に入り、なめらかな肌を保つことにも専念した。1回の食事はせいぜい20分程度なのに、運動にはかなりの時間を割いて、美容体操・器械体操・乗馬に徒歩といった過激な運動を行っていた。特に器械体操の後は必ず体重計に乗り、その結果次第で摂る食事の内容を考えた。

 皇妃の主なたんぱく源は卵とミルクだった。そのためシェーンブルン宮殿庭園内のチロル庭園では、牛と鶏が飼育されていた。彼女が船旅をするときは、これらの動物も獣医と共に移動していた。動物たち、船酔いはしなかったかな?旅先でもヤギや乳牛の群れに出会うと、必ずミルクを所望した。そのため女官はミルクを入れるための銀製ポットを持って、散歩に同行した。

 皇妃の専属料理人、菓子職人、料理運び係、食卓準備係も彼女の旅に同行し、菓子職人は携帯用オーブンを持参していた。旅からウィーンに戻ると、うつ状態が始まり、極度の貧血や胃腸障害に苦しみ、便秘にも悩まされた。そのため長期にわたって下剤も服用している。やがて「リュウマチ性関節炎」「坐骨神経痛」「骨粗しょう症」などにかかり、たんぱく質不足から浮腫も表れていた。

 エリザベートについては、次回も書かせていただきます。読んでくださり、どうもありがとうございます。



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