マリー・アントワネットの首席侍女を務め、ギロチン台に上ることなくフランス革命期を生き抜いたカンパン夫人。彼女が残した「回想録」をもとにした伝記「カンパン夫人~フランス革命を生き抜いた首席侍女~」を読んだ。
↓ イネス・ド・ケルタンギ著 白水社
カンパン夫人はアントワネットより3つ年上。ファーストネームはアンリエット。父親ジャックは外務省の首席秘書官にまで上り詰めた。父方と母方の家族とヴェルサイユで同居し、同じ屋根の下で大勢で暮らした一家は裕福でなかった。ジャックは「自分の子どもに、土地や持参金などの財産を残すことはできない代わりに、しっかりとした教育を身につけさよう。」と決意し、幼いアンリエットに海外から家庭教師をつけイタリア語・英語・ピアノ・ハープ・などを学ばせる。もともと学習意欲が高かったアンリエットの才能がメキメキと開花。しかも驕ることのない穏やかな性格。彼女の評判は街中に広がり、宮廷にまで届く。散文でも詩でも、3カ国語ですらすらと朗読するという話を聞き、宮廷は「ぜひルイ15世の3人の娘たちの朗読係に。」と希望。1768年、アンリエットは16歳で家族のもとを離れ、ヴェルサイユ宮殿に上がる。
最初はルイ15世の娘たちの読書係、アントワネットが御輿入れしてからは、王太子妃と年齢が近いこともあり、アントワネットの侍女に任命される。知性に加え、アンリエットは聡明で口が堅く控え目で真面目。宮廷独特の細かいしきたりを守り、アントワネットが望むことを察することができたので、早くからアントワネットの信望が厚かった。てきぱきと仕事をこなし聞き上手で、時には王太子妃に助言することもあった。ルイ15世が崩御し、アントワネットが王妃になってからは首席侍女となる。アンリエットはアントワネットの紹介で、王家に3代に渡って仕えるカンパン家に嫁ぎ、以後カンパン夫人と呼ばれる。オスカルは近衛兵隊時代、カンパン夫人と何度か会って話すことがあったはず。
カンパン夫人は約20年間、アントワネットのそばで王妃の栄光と転落を見てきた。革命中もフランスにとどまり、ナポレオン期には女子教育のため学校を設立し69歳まで生きる。彼女が書いた「回想録」は、フランス革命の貴重な資料にもなっている。
いろいろ興味深いエピソードがあるのだが、その中から1つを紹介。「ベルばら」で、アントワネットがプチ・トリアノンにごく限られたお気に入りの貴族だけを連れていき、王侯貴族を風刺した戯曲「セビリアの理髪師」を上演することを決定。それを危惧するオスカルが描かれている場面がある。
↓ 「あの脚本を読んで、国民たちがわれわれ貴族をどう思っているか 考える人間は、王后陛下の周りには一人もいないのか!」と、事態を危惧するオスカル。
この戯曲は貴族たちの品行や習慣を、いかにも大衆受けしそうな嘲笑を交えて描いており、当初上演禁止が決定されていた。しかし宮廷人たちが「この本の朗読を聴きたい」と言いだし、ポリニャック伯夫人はこの作品の熱烈な庇護者を気どった。ルイ16世はあちこちから「是非上演してほしい」とせがまれ、決断を迫られる。この時の様子をカンパン夫人は次のように記録している。
ある朝カンパン夫人は王妃から「午後3時に来るように。」とのメモをもらう。但し書きに「昼食をとってから来るように」とあったので、会合が長引く恐れがあると察した。指定の時間に内殿の書斎に上がると、そこには国王夫妻がおり、椅子とテーブルの上には分厚い原稿とノートが数冊置かれていた。王はこれはボーマルシェの戯曲だと説明した。カンパン夫人は戯曲を読み始めたが、国王は何度も中断して抗議の声を上げた。「なんと悪趣味なことだ。」「では上演はいたしませんの?」と王妃は尋ねた。「ありえない、絶対に。」と王は言い切った。
国王の判断や上演禁止令にもかかわらず。王妃の取り巻きであるヴォードルイユ伯爵は上演を決定。ただし場所は伯爵の田舎の邸宅で。上演は1784年4月27日。完全に国王はナメられている。というより禁止措置を試みれば、たちまち「圧政」とか「暴君」などと言われてしまう歪んだ宮廷社会。お芝居を見た観客たちは自身や他人、そして宮廷を嘲笑することはなんと痛快かと大喜びした。「その後ほどなくして、ひそかな陰謀ー詐欺師たちがめぐらし、腐敗した社会の陰で計画された陰謀ーが、王妃の人格を攻撃し、王権の尊厳や敬意の念を直撃しようとしていた。」と革命の数年後、カンパン夫人は記している。
カンパン夫人は口が堅いと書いたがペン先も堅かったようで、アントワネットとフェルゼンの関係について、回想録では一切触れていない。首席侍女だから知らないはずはない。けれど何一つ記していない。改めて聡明な人だったなと思う。
読んでくださり、ほんとうにありがとうございます。
この本、気になっていたので記事にしていただき、嬉しいです。ありがとうございました! 王妃さま、あれだけたくさんの人に囲まれていても、本当に心を許せる人ってわずかだったんだろうなと思うとせつなく悲しいですね。
>王妃さま、あれだけたくさんの人に囲まれていても、本当に心を許せる人ってわずかだったんだろうなと思うとせつなく悲しいですね
チュイルリー宮殿、タンプル塔に幽閉されていた時期は、国王一家に仕える者たちの中にも密告者がいたため、非常にピリピリして過ごしたそうです。カンパン夫人が亡命せず、ギロチン台に上がらないで済んだのが奇跡です。カンパン夫人の献身的な姿が、オスカルと被って見えました。うまく感想が書けずすみません。
ナポレオン時代を、女子教育発展のために生きた夫人。波乱万丈の生涯でした。こんなスゴイ人が、あの時代にいたのですね。