アントワネットの拘りはドレスや髪型だけでなく、インテリアや小物類にも及んだ。
第5章 「王妃に仕えた家具調度品作家たち」
↓ このコーナーで一番印象的だったのが「王妃の寝台の上掛け」。1770年頃のもので、新婚間もないアントワネットのために絹で作られた豪華な上掛け。275×220cm。これだけの大きさの上掛けを、今回はるばるフランスから運んできたことに感謝の念すら覚えた。さまざまな花を編んだ花輪の中にルイとマリー・アントワネットの頭文字を組み合わせたLMAが入っている。完成してから200年以上経過しているため、色は褪せているけれど、当時はさぞ美しい花の刺繍でいっぱいの鮮やかな上掛けだったことだろう。ハプスブルク家とブルボン家の繁栄を願って作られたであろうこの上掛け。でも新婚当時の二人には、共にベッドで過ごす時間は苦痛だったかもしれない。
↓ 1986年、プレル社が製作した王妃の寝室の夏用の壁布の模様。複製。アントワネットは本当に花模様が大好きで、どこにいても花に囲まれた生活を求めていたんだなあと感じた。
↓ 「王妃の寝室の薪台一対」1786年頃、ブロンズ製。へぇ~、アントワネットってエキゾチックなエジプト風の装飾も好みだったのか。台座部分とスフィンクス部分は別々の職人が作った。
↓ アントワネットは日本の漆器も好きだった。1778年、最初の王女を出産した際、マリア=テレジアから日本の漆の箱を贈られた。これは1779 年にヴェルサイユ宮殿に到着した。「籠目栗鼠蒔絵六角箱(かごめりすまきえ ろっかくばこ)」17世紀末~18世紀初めのもの。箱の中に愛らしいりんごが7個入っている。これを作った職人は、まさか自分の作品がはるばる海を渡り、フランスのお姫さまの所有物になるとは想像していなかっただろうな。
王妃の日本の漆器類のコレクションは、マリア・テレジアの死に際して50点の漆器が遺贈された時に始まる。マリー・アントワネットはこのように最高級の洗練された日本の漆器類を収集し、これらを私室で大切に保管した。コレクションの多くは17世紀のもの。
↓ 「楼閣山水蒔絵扇面形脚付き小箱一対(ろうかくさんすい まきえせんめんがた あしつきこばこ」17世紀末~18世紀初め。大きな扇形の箱に、可愛い小さな扇形の箱が収まっている。本当にアントワネットの審美眼は素晴らしい。彼女は本物を見分ける目を持っていた。ドレスにせよインテリアにせよ、本当に良い物を手に入れるために、労力とお金を惜しまなかった。それはそれで良いことでもあるけれど、彼女の場合、お金の出どころが自分のポケットマネーではなく、税金だったことで国民の反感を買ってしまった。
読んでくださり、ありがとうございます。
美しい塗り物ですね
この うつわたちは もともと何を目的に作られたのでしょうか
以前 金沢に行った時に 金蒔絵の器を見た記憶があります・・・使うのがもったいないような
むかし・・・私のご先祖様に「漆器屋」というのがあったようで
その何代目かの「ぼん」が 何を思ったのか 輸出!!と考えて 船に乗せて・・・赤道を越えたら漆器がバラバラになった・・・という話・・・・これをまことしやかに話す「おじさん」がおりました
漆器屋さんというのは どうやら本当らしいですが 後はたぶん・・・つくりばなしかも
なぜならそのおじさん(母の兄)は・・・・ベテランの詐欺師・・・「神父」だからです
お正月に我が家に来るたびに しょーもない話をして回りを煙に巻いて喜んでおりました
ヨーロッパに渡った漆器たち・・・・苦難にあわずに 美しいまま運ばれて、いつくしまれて、大切にされていたんですね
>この うつわたちは もともと何を目的に作られたのでしょうか
法隆寺や正倉院にも、漆器は数多く現存しており、昔は宗教儀式に用いられたとか。江戸時代、ヨーロッパとの交易が盛んになると、日本からたくさんの漆器が輸出され、またヨーロッパからも多くのインテリアグッズが輸入され、漆器職人たちに影響を与えたとあります。もしかしたらヨーロッパに渡ることを意識して作られた漆器や蒔絵もあったかもしれませんね。
伽羅さまのご先祖さまたち、とても多彩ですね。漆器屋さんもおられたのですか!赤道を越えたということは、どこを目指したのでしょう?人を楽しませてくれる作り話はいいですよね。「えぇ!それっておかしいんじゃない?」と思いつつ、相手のペースに巻き込まれ、思わず騙されてしまう。いいじゃないですか!でもなぜ赤道を越えると、バラバラなってしまったのでしょうね?