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1789年10月5日、飢えと食糧の高騰に苦しむ約6,000人のパリの女性たちが、ヴェルサイユを目指して雨の中、片道6時間かけて行進する。宮殿に到着した彼女たちは、国王一家を捕まえようと躍起になっていた。翌10月6日、アントワネットは中庭に押しかけた女性たちを前に、危険を承知でバルコニーに立つ。
↓ この時の様子を、当時のマリー・テレーズとルイ・シャルルの養育係だったトゥルゼール夫人(1749年~1832年)が記録に残している。夫人は革命のさなか、国王一家と共にヴェルサイユ宮殿からパリのチュイルリー宮殿に移り、子どもたちの教育を担当した。下の肖像画は、ルブラン夫人が描いたもの。
トゥルゼール夫人の回顧録より。
国王の部屋の窓が開いた。中庭に押しかけた女性たちは、王妃に面会することを要求。(窓が開いたことで)自分達の要求が通ったとわかり興奮気味だった。王妃は王女と王太子を伴って、バルコニーに姿を見せた。群衆たちは猛り狂って王妃を見つめた。そして叫んだ「子どもたちは、あっちへ…。」
↓ 王妃は子どもたちを宮殿内に帰し、一人でバルコニーに戻ってきた。命の危険を顧みずバルコニーに立つ王妃の威厳ある雰囲気と勇気はすぐに群衆たちに伝わり、彼らは悪意ある気持ちを忘れ「王妃、万歳!」と熱狂的に叫んだ。
夫人の手記には、アントワネットのお辞儀について何も書かれていない。怒り狂った女性たちがアントワネットの放つオーラに圧倒され、憎しみを忘れて思わず拝んでしまったとしたら、アントワネットには天性の品格や他者がひれ伏してしまうような存在感が備わっていたのかもしれない。
別の人の記録には、国王一家がヴェルサイユ宮殿を離れる時の様子が書かれている。
(1789年10月6日)午後1時25分、国王一家を乗せた馬車がヴェルサイユを発った。途中、群衆は「パン屋の主人とそのおかみさん、そして奉公人を連れ戻したよ。」と歌った。ルイ16世は宮殿を去る時、大臣の一人に「かわいそうな私の宮殿を、美しいまま保っておいてくれ。いつの日かきっと戻ってくるから。」と頼んだ。しかし彼は二度と戻ってくることはなく、ヴェルサイユ宮殿は国王の居城としての役目を終えた。
再びトゥルゼール夫人の回想録から。
↓ 1時半頃、名残惜しそうに国王は馬車に乗り宮殿を発った。そして…もう二度と宮殿を見ることはなかった。彼は後部座席に王妃と共に座った。私は前の席に腰かけた。(ルイ16世の妹の)エリザベス内親王は窓際だった。
トゥルゼール夫人は革命軍によってその後、幽閉状態から解放され83歳まで生きた。機会があれば、彼女が書いた回想録を読んでみたい。彼女の目に映った国王一家はどんな感じだっただろう?最後まで国王一家に忠誠を誓い、革命期でもそばを離れなかった非常に勇気ある女性。選んだ道は違うけれど、オスカルに通じるものを感じる。
読んでくださり、本当にありがとうございます。
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