私の春風----そう、オスカルにとってその娘は頬に心地よく当たる、優しい4月の春風のような存在だった。ロザリー。今から10年前、パリの下町で彼女は体を売ろうとして、偶然通りかかったオスカルの馬車の前に立ちはだかった。オスカルは女だから当然ロザリーの要望に応えることはできないし、その方面の趣味もない。その時は「こんな幼い少女が、生きていくためにこのような手段に出るのか?そこまで民衆の生活は疲弊しているのか?」と心底驚いた。10代前半の少女が身を売らなければ生活できないほど、フランスは困窮している。のちにオスカルはロザリーを自宅に引き取り、時間があれば勉強を教えたり、ヴェルサイユ宮殿で王妃や貴族たちとダンスや会話をしても困らない美しく品のあるレディにするため、言葉遣いやマナーなどを叩き込んでいった。ロザリーもオスカルの想いやりに応え学問、教養やマナーを学ぶ傍ら、オスカルの身の回りの世話をし、ジャルジェ家の家事を手伝った。末っ子のオスカルにはロザリーが実の妹のように思え、自分を慕う彼女に幸せになってほしいと切に願っていた。
そんなロザリーはひょんなことから幼馴染の新聞記者ベルナールと再会し、彼の怪我の介抱をしたことから恋が芽生え、結婚するためにジャルジェ家を離れた。
それから5年。オスカルはパリに用事のある時は、時々ロザリーの家に寄って彼女の近況や、パリの庶民の生活について尋ねていた。ロザリーが語るパリの様子は、ヴェルサイユにいては決してわからない生々しいものだった。「このまま人民の不満が高ぶれば、いずれ革命が起きるだろう。」と感じさせるものがあった。今日は高等法院で昔の馴染みと会った後、ロザリーの手料理をご馳走になるため久しぶりに彼女の家にやってきた。ドアを開けると昔のまま「あぁ、オスカルさま、オスカルさま!」と大きい声で喜んで抱きついてくるロザリー。暮らしぶりは質素だが、ベルナールと共に穏やかな生活を送っていることが、その表情から伺える----と思いきや、今日はどこか様子が違う。何かオスカルに愚痴を聞いてもらいたいようである。
「オスカルさま、私、大人の社会見学をしたいのです。」いきなり何を言い出すかと思えば、大人の社会見学?どうしたのだ、ロザリー?
「私、知っています。最近オペラ座の近くに、若く美形の近衛隊員を揃えたホストクラブができたんですってね。」近衛隊長であるオスカルは、噂でこのクラブのことは聞いていた。フランスの財政は今や借金だらけ。近衛隊員たちの給与や手当をまともに払えない状況が、ここ3カ月ほど続いている。彼らの多くは裕福な貴族の子弟なのですぐ困窮することはないのだが、それでも無給状態が3カ月近く続くと、小遣いに事欠くようになる。そこで彼らは非番の日を利用して、近衛隊員がおもてなしをするホストクラブ「General de Brigade(准将)」で働き臨時収入を得ていた。このクラブ、美しい貴族の兵隊がホストなので、一般のクラブより若干飲み代は高いが、それでも連日連夜、近衛隊員と楽しい時間を過ごしたいと願う若い貴族の乙女であふれていた。深夜を回るとパレ・ロワイヤルで商売を終えた売春婦たちが、今度は自分たちが男性にもてなしてもらいたくて、毎晩必ず何人か訪れていた。しかもこのご時世にも関わらず、彼女たちは羽振りが良く、お気に入りのホストの誕生日や記念日には必ず訪れ、シャンパンタワーをオーダーしては派手に騒いでいた。
なぜ今、ロザリーはそのようなところに行きたいと言い出すのだろう?傍目には裕福でなくても幸せな生活を送っているように見えるのだが---。オスカルは不思議に思った。
「ベルナールはいい人です。仕事で忙しいけれど家事を手伝ってくれるし、私の気持ちを尊重してくれる。ええ、夫として良くしてくれます。でも時々『おまえは私のママンに似ている。』と言っては、私に何か母親のようなものを求めてくるのです。あの人が小さい頃、セーヌ川に身を投げて亡くなったお母さまのことは聞いています。だから---私もあの人が子供の時得られなかった母の愛を感じてもらえるよう、努力してきました。でも---やっぱり私はあの人の妻であって、母ではないのです。たびたび母の役割を求められることに、最近はちょっと参っているんです。」いったいロザリーはのろけているのか、愚痴をこぼしているのかよくわからない。そこでオスカルは聞いてみた。「ベルナールはおまえにどんなことを望むのだ?」
「例えば靴下を履かせる、脱がせる、服のボタンを留める、着替えさせる。私の膝枕で休むなど、最初は可愛いなあと思ってやってあげていたのですが、あまり頻繁になってくるともう嫌になってきて-----。」
何だ、そんなことか、まるでままごとみたいな夫婦だなとオスカルは思ったが、そんなことは口に出して言えない。だけどそれがホストクラブとどう結び付くのだ?
「オスカルさま、私だって女です。いつも母親や妻の役割ばかり求められるのは嫌です。たまには私のことを女性として扱ってくれる男の人に会いたい。ええ、決して浮気するつもりはありません。自分が女であることを確かめたいのです。」
幼いころから男として育てられたオスカルから見れば、ロザリーは十分周囲から女性とみなされているように感じるのだが、どうやら本人はそう思っていないらしい。こんな従順でかわいい顔をしていながら、なかなか出るときは出るものだ。肝が据わっている。これはちょっとなだめたくらいでは引き下がらないだろう。オスカル自身も、自分の部下たちがホストクラブでどんな様子なのか確かめたくもある。仕方ない、ロザリーを伴って一度そのGeneral de Brigade とやらへ行くとするか。しかしなぜまたオスカルの階級名を店の名前にしたのか不可解だった。
「ロザリー、おまえがそのクラブへ行きたい理由は分かった。けれど人妻であるおまえを、そんなところへ連れて行きたくない。もしベルナールにこのことが知れたらどうする?」
「だからオスカルさま、お願いです。私と一緒に行ってください。一度でいいのです。オスカルさまと一緒だとわかれば、あの人は私を責めないでしょう。」
なんだか自分がいいように使われている気がしないでもないが、実はオスカルもホストクラブには興味・関心があり、一度行ってみたかったのは事実。しかし一人で行くのを躊躇していた。もしアンドレに知れたら、彼は何と言うだろう?「部下の様子を見てきた。」と言えば、「ああ、そうか。それでどうだった?」とさらりと流してくれるだろうか?いや、なぜ今ここでアンドレのことを気にする?彼には内緒で行けばいい。
「ロザリー、いいか。一度だけだぞ。それからどんなに気に入ったホストがいても、絶対に入れ込んではいけない。わかったか?」
「わかりました、オスカルさま。私の願いをお聞き届けいただき、ありがとうございます。オスカルさまには絶対ご迷惑をおかけしません。では日取りを決めましょうか。」
そう言うとロザリーは、さっそくベルナールの仕事のスケジュール表を取り出した。「来週の火曜日の夜、あの人は取材でアラスに泊まりで出かけます。オスカルさまのこの日のご都合はいかがですか?」なんなのだ、この段取り決めの早さは?ロザリー、おまえは意外と実務的な面もあるんだな。
「その日は日勤なので、夜は空いている。よし、来週の火曜日にしよう。」
「まぁ、うれしい。本当にありがとうございます、オスカルさま。」ロザリーの顔がぱっと輝いた。あぁ、わからないものだ。結婚して幸せかと思えば、実は小さな不満がくすぶっているものなのだな。まさかロザリーがホストクラブに行きたいと言うなんて。人は分からないものだ。
そんなロザリーはひょんなことから幼馴染の新聞記者ベルナールと再会し、彼の怪我の介抱をしたことから恋が芽生え、結婚するためにジャルジェ家を離れた。
それから5年。オスカルはパリに用事のある時は、時々ロザリーの家に寄って彼女の近況や、パリの庶民の生活について尋ねていた。ロザリーが語るパリの様子は、ヴェルサイユにいては決してわからない生々しいものだった。「このまま人民の不満が高ぶれば、いずれ革命が起きるだろう。」と感じさせるものがあった。今日は高等法院で昔の馴染みと会った後、ロザリーの手料理をご馳走になるため久しぶりに彼女の家にやってきた。ドアを開けると昔のまま「あぁ、オスカルさま、オスカルさま!」と大きい声で喜んで抱きついてくるロザリー。暮らしぶりは質素だが、ベルナールと共に穏やかな生活を送っていることが、その表情から伺える----と思いきや、今日はどこか様子が違う。何かオスカルに愚痴を聞いてもらいたいようである。
「オスカルさま、私、大人の社会見学をしたいのです。」いきなり何を言い出すかと思えば、大人の社会見学?どうしたのだ、ロザリー?
「私、知っています。最近オペラ座の近くに、若く美形の近衛隊員を揃えたホストクラブができたんですってね。」近衛隊長であるオスカルは、噂でこのクラブのことは聞いていた。フランスの財政は今や借金だらけ。近衛隊員たちの給与や手当をまともに払えない状況が、ここ3カ月ほど続いている。彼らの多くは裕福な貴族の子弟なのですぐ困窮することはないのだが、それでも無給状態が3カ月近く続くと、小遣いに事欠くようになる。そこで彼らは非番の日を利用して、近衛隊員がおもてなしをするホストクラブ「General de Brigade(准将)」で働き臨時収入を得ていた。このクラブ、美しい貴族の兵隊がホストなので、一般のクラブより若干飲み代は高いが、それでも連日連夜、近衛隊員と楽しい時間を過ごしたいと願う若い貴族の乙女であふれていた。深夜を回るとパレ・ロワイヤルで商売を終えた売春婦たちが、今度は自分たちが男性にもてなしてもらいたくて、毎晩必ず何人か訪れていた。しかもこのご時世にも関わらず、彼女たちは羽振りが良く、お気に入りのホストの誕生日や記念日には必ず訪れ、シャンパンタワーをオーダーしては派手に騒いでいた。
なぜ今、ロザリーはそのようなところに行きたいと言い出すのだろう?傍目には裕福でなくても幸せな生活を送っているように見えるのだが---。オスカルは不思議に思った。
「ベルナールはいい人です。仕事で忙しいけれど家事を手伝ってくれるし、私の気持ちを尊重してくれる。ええ、夫として良くしてくれます。でも時々『おまえは私のママンに似ている。』と言っては、私に何か母親のようなものを求めてくるのです。あの人が小さい頃、セーヌ川に身を投げて亡くなったお母さまのことは聞いています。だから---私もあの人が子供の時得られなかった母の愛を感じてもらえるよう、努力してきました。でも---やっぱり私はあの人の妻であって、母ではないのです。たびたび母の役割を求められることに、最近はちょっと参っているんです。」いったいロザリーはのろけているのか、愚痴をこぼしているのかよくわからない。そこでオスカルは聞いてみた。「ベルナールはおまえにどんなことを望むのだ?」
「例えば靴下を履かせる、脱がせる、服のボタンを留める、着替えさせる。私の膝枕で休むなど、最初は可愛いなあと思ってやってあげていたのですが、あまり頻繁になってくるともう嫌になってきて-----。」
何だ、そんなことか、まるでままごとみたいな夫婦だなとオスカルは思ったが、そんなことは口に出して言えない。だけどそれがホストクラブとどう結び付くのだ?
「オスカルさま、私だって女です。いつも母親や妻の役割ばかり求められるのは嫌です。たまには私のことを女性として扱ってくれる男の人に会いたい。ええ、決して浮気するつもりはありません。自分が女であることを確かめたいのです。」
幼いころから男として育てられたオスカルから見れば、ロザリーは十分周囲から女性とみなされているように感じるのだが、どうやら本人はそう思っていないらしい。こんな従順でかわいい顔をしていながら、なかなか出るときは出るものだ。肝が据わっている。これはちょっとなだめたくらいでは引き下がらないだろう。オスカル自身も、自分の部下たちがホストクラブでどんな様子なのか確かめたくもある。仕方ない、ロザリーを伴って一度そのGeneral de Brigade とやらへ行くとするか。しかしなぜまたオスカルの階級名を店の名前にしたのか不可解だった。
「ロザリー、おまえがそのクラブへ行きたい理由は分かった。けれど人妻であるおまえを、そんなところへ連れて行きたくない。もしベルナールにこのことが知れたらどうする?」
「だからオスカルさま、お願いです。私と一緒に行ってください。一度でいいのです。オスカルさまと一緒だとわかれば、あの人は私を責めないでしょう。」
なんだか自分がいいように使われている気がしないでもないが、実はオスカルもホストクラブには興味・関心があり、一度行ってみたかったのは事実。しかし一人で行くのを躊躇していた。もしアンドレに知れたら、彼は何と言うだろう?「部下の様子を見てきた。」と言えば、「ああ、そうか。それでどうだった?」とさらりと流してくれるだろうか?いや、なぜ今ここでアンドレのことを気にする?彼には内緒で行けばいい。
「ロザリー、いいか。一度だけだぞ。それからどんなに気に入ったホストがいても、絶対に入れ込んではいけない。わかったか?」
「わかりました、オスカルさま。私の願いをお聞き届けいただき、ありがとうございます。オスカルさまには絶対ご迷惑をおかけしません。では日取りを決めましょうか。」
そう言うとロザリーは、さっそくベルナールの仕事のスケジュール表を取り出した。「来週の火曜日の夜、あの人は取材でアラスに泊まりで出かけます。オスカルさまのこの日のご都合はいかがですか?」なんなのだ、この段取り決めの早さは?ロザリー、おまえは意外と実務的な面もあるんだな。
「その日は日勤なので、夜は空いている。よし、来週の火曜日にしよう。」
「まぁ、うれしい。本当にありがとうございます、オスカルさま。」ロザリーの顔がぱっと輝いた。あぁ、わからないものだ。結婚して幸せかと思えば、実は小さな不満がくすぶっているものなのだな。まさかロザリーがホストクラブに行きたいと言うなんて。人は分からないものだ。
もともとは二次創作を書こうと思って始めたブログなのですが、書いているうちにどうも自分は創作向きでないことを悟り、今はストップしています。
「ベルばら」を読んでいるうちに、「あれはどうなっているのか?」「こんなとき、当時はどうしていたのか?」など様々な疑問が湧き、本を読んだりして好き勝手に書いてきました。こんなブログですが、よろしければ今後ともお付き合いください。