宮廷の煩わしいしきたりや人間関係を逃れ、プチ・トリアノンでお気に入りの仲間に囲まれて、自由な時間を持ったアントワネット。ここにいるときは、ゆったりとしたシュミーズ・ドレスを着て自分らしく振舞うことができた。
ありのままの彼女を描きたい、描いてほしい。ルブラン夫人とアントワネットの意見が一致し、ルブラン夫人は飾らない王妃の肖像画を描く。しかし完成した絵を見た人たちからは非難轟々。「王妃たる者が、下着姿をさらすとは!」飾らない自分の姿を見てほしい、知ってほしいというアントワネットの願いは伝わらなかった。
湿気がなくてカラッとしているとはいえ、夏のフランスできついコルセットをつけたまま、生活をするのは結構大変なのでは?「8月半ばのヴェルサイユの気温はどれくらいだろう?」と思って調べたら、日中の最高気温は30度に達していた。当時アントワネットのシュミーズ・ドレス姿を見て「いいなあ。私も着てみたい。」と思った人は多かったはず。実際検索してみると、結構いらっしゃる!しかもそのお姿で肖像画まで残している。
貴族なら許されることも、王妃なら許されない。フェルゼンとの愛然り。アントワネットが王妃でさえなければ、結婚後にフェルゼンと出会って愛し合っても、何も咎められなかったはず。しかし王妃という立場では、それは認められない。シュミーズ・ドレスも同じことだったのかもしれない。
シュミーズ・ドレスの愛好者は、アントワネットの周囲にいた。
↓ 1783年、仲良しのポリニャック伯爵夫人。このお姿で、プチ・トリアノンでアントワネットと過ごしていただろう。
↓ ルブラン夫人。絵を描くのに、ローブ・ア・ラ・フランセーズを着ていては、思うように表現できないはず。
↓ こちらはルブラン夫人とお弟子さん。
↓ 18世紀の肖像画
↓ 1780年、ルイーズ・アウグスタ嬢
↓ 1785年、このお方、ウエストが細い!
↓ 1784年、ゴードン嬢
↓ 1788年、アンナ・プロタソーワ伯爵夫人
↓ 1793年、デュプラン嬢
↓ 1795年、エミール・セリジア嬢
そして…フランス革命が勃発し、マリー・アントワネットのもとを去ったルブラン夫人が1780年、アントワネットを思い出しながら描いたのがこの絵。豪華絢爛なローブ・ア・ラ・フランセーズではなくシュミーズ・ドレスを着て、シンプルなヘアスタイル、宝石類を一切着けていない素のアントワネット。こんな姿を見られたのは、ごく限られた人だけだった。この絵はアントワネットが処刑されたのち公開され、娘のマリー・テレーズに贈られた。
ナポレオンは自分を偉大な英雄として演出し、人民に自分の絶対的な権力を示すため、事実とは異なる肖像画を何枚も描かせた。もしアントワネットとルブラン夫人が国民の目をくらますため、作為的な絵を描いていたらどうだったろう?例えば彼女が病院や高齢者のもとを訪ね、人々を励まし勇気づけている絵を描かせ広く国民にアピールしたなら、あれほどまで民衆はアントワネットを恨まなかったかもしれない。そういう意味で彼女は政治的な策略ができず、不器用な女性だったように思える。けれどルブラン夫人はアントワネットの邪心のない性格に惹かれたから、彼女の肖像画をずっと描き続けたのだろう。最後の肖像画はその集大成。余計なものをすべて取り去ったアントワネットの凛とした佇まいが印象的。本物の絵をいつか見てみたい。
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