Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

6月4日--ルイ・ジョセフの命日

2015-06-04 21:53:55 | つぶやき

 1789年6月4日午前1時、ルイ16世とアントワネットの第2子、ルイ・ジョセフはわずか7歳8カ月の短い生涯の幕を閉じた。

 Wikiから、彼の人生について抜粋すると---

 王子が誕生した時、バリ市は待望の男子誕生を祝って音楽時計や新生児用品一式を国王夫妻に贈った。それほど期待されて生まれてきたルイ・ジョセフだったが、乳母の一人ジュヌヴィエーヴ・ポワトリンヌから、結核を移されてしまった。1786年4月、ルイ・ジョセフは高熱を出す。これが結核の初期症状だった。王子の背骨が曲がるようになり、結核であることが判明。同年10月から歩行が困難になり、鉄製のコルセットを装着するようになった。

 1788年1月より、熱で体力が消耗し始め、病状が急速に進行。脊椎カリエスで、王子の寿命がもう長くないことが、アントワネットらに告げられた。

 三部会期中の1789年6月4日、わずか7歳半でルイ=ジョゼフ王子はムードンで死去した。ルイ16世は数日間悲嘆に暮れ、三部会の議員からの質問に立たなかった。議員は王を非難し、王は「この三部会には子を持つ父親はいないのか?」と応酬した。後にマリー・アントワネットは、「この頃、私たちの息子の死さえ彼らには伝わっていなかったのだ……」と述懐した。

 王子は幼いながらも、とても聡明な子だったという。それは池田先生の劇画からも見てとれる。オスカルは彼をとても可愛がっていた。もし彼が健康な体で、あと100年早く生まれていたら、フランスは別の運命をたどっていたかもしれない。アントワネットの子どもたちは皆、苦難の人生を送っている。ジョセフの弟シャルルの最期は悲惨だった。姉マリー・テレーズが生きながらえたのは奇跡的と言えるだろう。普通だったら王家の血を引き、その子孫を残す可能性のある者は抹殺されてもおかしくないから。

 ルヴラン夫人が描いた王子の肖像画。

 ルイ・ジョセフ王子が亡くなって約40日後、オスカルとアンドレも落命する。1789年の6月から7月、「ベルばら」のキャラたちは皆、濃密な時間を過ごしている。

 読んでくださり、ありがとうございます。



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