2022年10月15日訪問
フィレンッエ生まれで、イタリア人のレオナルド・ダ・ヴィンチ(1451~1519)
彼の絵画の作品はとても少なくウイキぺディアによれば15作程度であるとしています、
その上に、この15作の中には下絵的なものも含まれています。
しかし、フランスのルーブル美術館には『モナ・リザ』(1503~1519)を含めて
5点の絵画が収蔵されています。
イタリア人のレオナルドの絵がなぜフランスの美術館にたくさんあるの?
その秘密はミラノにありました。
1515年フランス王フランソワ1世がミラノに進行して占領しました。
10月に、フランソワ1世とローマ教皇レオ10世との間で平和会議が開催されますが、
その席になぜかレオナルドが招かれています。
1説によると、1499年以降レオナルドはフランスの要請で、
軍事顧問のようなことをしていたのではないかとのことです。
この会議開催された時期にフランソワ1世がレオナルドにフランスへ来るように
要請したのではないかと考えられています。
そこでまた疑問がおこります「なぜ、フランスはレオナルドを招請したのか?」
ということです。
それはその頃のフランスが、まだまだ文化的に・芸術的にイタリアやフランドルに比べて低い位置にいたからなのです。
フランソワはそのような現状を打開するための起爆剤として、レオナルドをフランスに招聘したといわれています。
フランソワ1世は芸術や、文化に対して高い見識を持っていました。それだけに、彼はレオナルドの芸術的な才能だけではなく学芸的な知識や、科学的な知識をも高く評価していたといえるでしょう。
実現はしませんでしたが、ロワール渓谷沿いのフランソワの居城の近くに新しい館を作る計画をレオナルドに命令しています。レオナルドは彼の生涯の研究課題であった、水の処理などを含めた計画書を作成しています。
また、レオナルドは、フランソワの宮廷にいて宮廷総合芸術担当のような役割も果たしていました。フランソワが主催したギリシアの古典、演劇、ショーなどの総合演出の役割を果たした。
このようにフランソワは、文化的に遅れていたフランスにレオナルドを利用して、フランス版ルネサンスを起こそうと考 えていたのです。