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戦中&戦後の想い出

2017-02-03 16:41:10 | 家事
自叙伝らしきもの。その3

(脳梗塞を患って、その後の3月1日に改めて書き始める)

小学校に3年の時、日本の敗戦で、疎開から帰って来たが、工業都市だったので激しい空爆で、焼け野原の状態だった、我が家は不思議と焼残った、風で焼夷弾等は流されたらしい、住宅地の方は散々な目に為っていた、電柱は辛うじて電線にぶら下がり、その電線も彼方此方垂れ下がっていたので用心しながら道を通行しなければならなかった、焼夷弾の確か六角形だったと記憶しているが、それや爆弾の欠片は方々に転がっていて不発弾かもしれないと、びくびくしながらの登校だった、履物は無く服も在り合わせなので、後になって写真を見ても、裸足の同級生や草履で服もそれぞれで、しかも小さくて窮屈そうにしている、しかし、顔は意外と明るいのが、救いの様な気がする、本は無く古い教科書を先生の指導で、黒く所々消した、寒いときは、皆で天付き体操をして体を暖かくしていた、教科書は誰かに取られると(?)階段の下に板で隠して在るのを失敬した、でも、戦時中サイレンが鳴って家に慌てて帰ったり、避難訓練をしていた時より気持ちは明るかった、新制中学(私は三期生)に為ったときは、木材が無いのか、校舎は未完成で毎日遠足をさせられていた、その方が皆喜ku樓C乃錣燭・・琉蕕了・屬魯肇蹈奪海播擶燭咾鬚靴董・親鮎貂遒蠅簇遒┐魃燭鵑波コ遒蠅修虜酳、・訖・虜猯舛琉貮瑤飽戮辰燭蕕靴ぁ・悗猟磴せ笋呂修糧遒魃燭屬里蓮・海魄悊④困襪茲Δ飽戮襪里如・羶箸猟靴擁屬蠅・燭箸盖せ・舛・④・辰拭・・辰禿┨餮譴箸靴董∪簑个忙箸辰討和臺僂世辰拭覆發舛蹐鹽・・・慇犬了笋話里蠅發靴覆こ姐餮譴痢鳳儻譴魑泙剖気┐蕕譟・溶任辰討靴泙辰拭・気┐訐萓犬皹儻譴鯀漢鈎里蕕覆・辰燭里任修了・里澆硫笋・技佞如・山・離鼻Ε譟Ε漾Ε侫,鬟蓮Ε法Ε曄Ε悗噺世錣擦蕕譴討い拭∋笋燭繊△擦辰・・个┐審嬶修量樵阿呂垢以僂錣襪掘・岨悊蓮糞譟砲・蕁平掘砲砲修靴董陛・僉亡岨悊悗畔僂錣襪掘∧拔・隆超④覆鵑萄澆辰燭發里任呂覆ぁ⊆匆餞超①Χ軌藉超④呂気辰僂蝓・斥佑任△辰薪傾弔眄簑亳・匱圓任△辰神萓犬皸賁襪砲靴突・凌諭△海譴任脇澆せ笋禄△い討い・里紡臺儷賚・靴拭・・w)w)新生高校への進学は新システムとかの、アチーブメントテストとかで分けの分からないままで地区全員で一斉に受験した、浪曲を授業の半分を費やしていた英語教師で私の学級の担任の先生から登校一番先に知らせが在ったのでとかで、「おめでとう」といきなり言われて、照れくささと嬉しさが入り混じった複雑な気持ちがだった。

中学時代はバレーボールのキャプテンをしていて、近郷近在ではたいがい優勝をして其の都度朝礼で皆の前で改めて、校長から賞状を貰うのが誇らしいより照れくさかった。

山の天辺近くに建ちつつあった校舎は遠回りして遊びながら帰るのは、最適だった。

隣の市で試合が在った時急に選手宣誓をしなくてはならなく為った時はほんの数分前に大会役員から連絡があり何を言ったらよいのか、舞い上がって片手を挙げ部長先生のアドバイスでなんとか、格好をつけた。部費が無いと結う理由で、部は一度解散する羽目になったが、部員を説得してネットやボールは我が家に持ち帰り、それから再出発しての優勝だったので、多くの先生から廊下で褒められても喜べなかった。

《思い出しながら書ける内に書いた文章・今はその気力が無くなってしまったので、書き残しておいて良かった今は全て悲観的に為って何も出来なく為ってしまった「無気力なのに現役並みの日常生活に疲れ果ててしまった。」》

想い出

2017-02-03 10:25:09 | 家事
新生高校への進学は新システムとかの、アチーブメントテストとかで分けの分からないままで地区全員で一斉に受験した、浪曲を授業の半分を費やしていた英語教師で私の学級の担任の先生から登校一番先に知らせが在ったのでとかで、「おめでとう」といきなり言われて、照れくささと嬉しさが入り混じった複雑な気持ちがだった。

中学時代はバレーボールのキャプテンをしていて、近郷近在ではたいがい優勝をして其の都度朝礼で皆の前で改めて、校長から賞状を貰うのが誇らしいより照れくさかった。

山の天辺近くに建ちつつあった校舎は遠回りして遊びながら帰るのは、最適だった。

隣の市で試合が在った時急に選手宣誓をしなくてはならなく為った時はほんの数分前に大会役員から連絡があり何を言ったらよいのか、舞い上がって片手を挙げ部長先生のアドバイスでなんとか、格好をつけた。部費が無いと結う理由で、部は一度解散する羽目になったが、部員を説得してネットやボールは我が家に持ち帰り、それから再出発しての優勝だったので、多くの先生から廊下で褒められても喜べなかった。

《思い出しながら書ける内に書いた文章・今はその気力が無くなってしまったので、書き残しておいて良かった今は全て悲観的に為って何も出来なく為ってしまった「無気力なのに現役並みの日常生活に疲れ果ててしまった。」》

幼児のころ

2017-02-01 20:14:26 | 家事
戦後に生家(商店街)が焼け残ったのでそこへ闇市が出来大変でした、多くの犯罪も見ました、小学低学年時代でした、だから俺はそんなものに染まらないぞと新制中学時代に心に決めました、76歳に為った今もその心は変わりません、国家公務員に為った息子にも「父→私→息子へと」その教訓を守らせて居ます。

人の寿命

2017-01-31 19:19:50 | 家事
人間の最高寿命に「限界」があった 125歳まで生きる確率は1万分の1
「将来、人類の寿命は150~300歳まで伸びる!」などという夢のような話がもてはやされた時期があったが、やはり、夢物語だったようだ。
米アルバート・アインシュタイン医科大学のチームが、人の寿命の「限界」を発見したとする研究をまとめ、科学誌「ネイチャー」(電子版)の2016年10月5日号に発表した。
20年前の「122歳」が最高齢記録の頂点だった
これまで、寿命は現在より飛躍的に伸びるとする研究の多くは、老化に関係する遺伝子など寿命の阻害要因を除去すれば長生きできるはず、というものだ。たとえば、2015年11月3日付の科学誌「セル・メタボリズム」に発表されたワシントン大学などの研究論文によると、酵母細胞には寿命や老化に関係する遺伝子が238種類あり、そのうちの1つを除去すると酵母細胞の寿命が60%伸びたという。この技術を人間に応用すると、遺伝子操作だけで平均寿命が80歳から128歳にまで伸びるというわけだ。
こうした研究に対し、今回発表された論文は、冷徹な統計学に基づいている。研究チームは、論文の添付文章の中で、まずこう述べている。
陸上男子100メートル走の記録で、エリート・アスリートは数ミリ秒を削ることはできるかもしれない。しかし5秒、いや2秒さえ削ることは決してできないだろう。人間の体はそのようにできていない。寿命も同じで、生物学的な限界がある。1997年にフランス人女性ジャンヌ・カルマンさんが前人未到記録の122歳と164日で亡くなったが、彼女の記録は、ウサイン・ボルト選手の記録同様、金字塔として残り続ける可能性が高い」
研究チームは、世界40か国以上の人口統計データを詳細に調べた。その結果、20世紀初頭から医学の発達、栄養状態の改善、衛生教育の普及などで平均寿命はどんどん伸びた。最高寿命も1970年代から急速に上昇したが、1990年代に頭打ちになり、ついに「終点に達した」ことを発見した。最高寿命の上昇は、ジャンヌ・カルマンさんが亡くなった1997年が頂点だった。それ以後、彼女より長寿の人は現れていない。世界最高齢の人が115歳前後という状態が現在まで続いている。
「群を抜いて長寿な人はむしろ少なくなっています」
研究チームのブランドン・ミルホランド教授は、AFP通信の取材に対し、「最近は、老齢期まで生きる人が増えていますが、群を抜いて長寿な人はむしろ少なくなっています。115歳より長生きする人は出てくるかもしれませんが、今後、世界の誰か1人でも125歳まで生きる確率は、1万分の1にも満たないと考えられます。過去数十年間の医学の進歩は、人々の寿命を底上げすることに役立ちましたが、最高寿命を伸ばすことには寄与していません」と語っている。

興味・関心

2017-01-29 10:19:43 | 家事
<家事労働(かじろうどう)とはマルクス経済学用語の一つ。これは家庭内において主婦が行っている家事というものも労働であるという概念である。労働というのは本来はそれに応じて賃金が支払われるのであるが、家事労働の場合は賃金が支払われない無償労働であるということが問題ということである。従来は家事というのは職場の外で行われることであり、これは労働とみなされていなかったが、資本主義社会においては家事というのは労働力の再生産に不可欠な行為であり、資本主義経済を成り立たせるためにも不可欠な存在であることから労働であると主張されるようになってきた[1]。労働というのは自給自足の社会においては家庭を意味する本質的な事柄であったのだが、社会が分業化されることにより労働というのは社会参加して賃金を獲得するための手段へと変わっていき、家事という労働のみが家庭に残っているということから、現代では家事労働というのが家庭の本質的な意味であると見られる[2]。