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セキュリティー問題

2018-02-06 18:10:40 | 経済

「ネット恐喝」を駆使したランサムウェア攻撃の成功に伴い、今後、サイバー犯罪者は利益を最大化できる標的に狙いを定めてくるでしょう。そしてランサムウェア拡散のため、引き続きスパムメールやフィッシングメールに依存した活動で被害者を確保するでしょう。特に効果的な恐喝の手口として、工業施設の稼働10や生産ラインを混乱させるランサムウェア攻撃を企て、「産業用IoT(Industrial Internet of Things、IIoT」を持つ企業を攻撃対象にしてくるはずです。実際、「WannaCry」や「PETYA」による大規模攻撃11の二次被害として工場や生産ラインの停止が発生しており、今後、こうした大規模被害が意図的に行われるのは時間の問題でしょう。加えて、「一般データ保護規則(General Data Protection Regulation、GDPR)」の施行に伴い、GDPR規制対象の個人情報がサイバー犯罪者に狙われる可能性もあります。個人情報を漏えいさせた企業は、最大で年間売上高の4%もしくは 2,000万ユーロ(26億5,373万円。2017年12月07日時点のレートで換算)のいずれか大きい方の額の制裁金が課されることになります。サイバー犯罪者は、企業が課されるGDPRの罰金額に目をつけ、一般公開されている財務情報から身代金の額を決定し、GDPRの制裁金を逃れる代わりに身代金を払うように脅迫するかもしれません。今後、GDPRが情報窃取や身代金要求の動きを増加させる恐れがあります。さらにはかつて偽セキュリティソフトやランサムウェア攻撃で「著作権違反12」や「法執行機関からの警告13」の手口が利用されたように、GDPR違反の警告を偽装したソーシャルエンジニアリングの手法が登場する可能性もあります。個人のインターネット利用者や企業は、Webおよびメールの対策を最前線に、ランサムウェアの「ネット恐喝」などのさまざまな脅威に対処できます。機械学習型検索、挙動監視、不正変更監視、脆弱性対策といったソリューションも、これらの脅威を阻止します。感染に物理的なファイルを利用しない「ファイルレス活動」14の手法がランサムウェアに多用され、従来型ソリューションによる検出が困難になる中、これらの機能は有効な対策となります。


Facebookは仮想通貨の広告を禁止

2018-01-31 15:36:14 | 経済

仮想通貨「不誠実な会社多い」…FBが広告禁止

【ニューヨーク=有光裕】米フェイスブックは30日、インターネット上の仮想通貨やネット上で発行したコインによる資金調達などの広告を全世界で禁止すると発表した。

詐欺や不正の助長を防ぐのが狙いとみられる。約20億人の利用者を抱える同社の方針は、仮想通貨市場に大きな影響を与えそうだ。

 同社は「広告を出しているのに誠実に運営していない会社が多くある」と禁止理由を説明している。

 具体的な広告事例として「リスクがない仮想通貨を知りたい人は、ここをクリックして」「退職金でビットコインを買おう!」「新しいコインが、今なら15%引きに!」などを挙げた。

 ビットコインなどの仮想通貨は全世界で1000種類以上あるとされ、投資が広がっている。日本では仮想通貨の取引所大手「コインチェック」から仮想通貨「NEM(ネム)」が流出する問題が起きたばかりだ。市場が未成熟な面がある。

 


Facebooが

2018-01-31 14:50:30 | 経済

仮想通貨「不誠実な会社多い」…FBが広告禁止

【ニューヨーク=有光裕】米フェイスブックは30日、インターネット上の仮想通貨やネット上で発行したコインによる資金調達などの広告を全世界で禁止すると発表した。

詐欺や不正の助長を防ぐのが狙いとみられる。約20億人の利用者を抱える同社の方針は、仮想通貨市場に大きな影響を与えそうだ。

 同社は「広告を出しているのに誠実に運営していない会社が多くある」と禁止理由を説明している。

 具体的な広告事例として「リスクがない仮想通貨を知りたい人は、ここをクリックして」「退職金でビットコインを買おう!」「新しいコインが、今なら15%引きに!」などを挙げた。

 ビットコインなどの仮想通貨は全世界で1000種類以上あるとされ、投資が広がっている。日本では仮想通貨の取引所大手「コインチェック」から仮想通貨「NEM(ネム)」が流出する問題が起きたばかりだ。市場が未成熟な面がある。

 


Facebookについての

2018-01-29 17:08:28 | 経済

Facebookがニュースから「撤退」

 私は昨年12月、ニューヨーク大学で講演した。2017年のジャーナリズムにおけるイノベーションを振り返る中で、フェイスブックとニュース事業の関係について功罪両面を論じたが、上映したスライドの最後の1枚にはたった1文、こう書いた。「フェイスブックはニュースに関わりたくないような気が、私にはする」――。

 忘れがちだが、Facebookの(主要ページでユーザーが日々閲覧する)「ニュースフィード」は、そもそもニュースのためにあるのではなかった。少なくとも、その編集者たちは違うと定義していた。フェイスブック上では今、文字通り数十億の人々が、友だちが見たり読んだりしたいような#(「ハッシュタグ」と呼ばれる検索機能)付きの投稿を無料で行っている。一方、(ニュースフィードにとっては)本物のニュースは、次から次へと来ては去る出来事に過ぎなかった。

 2015年にFacebookは、友人や家族による投稿の表示を、報道機関などのフェイスブック上のページよりも増やすと発表。16年にも、ニュースフィードでの「友人・家族優先」を宣言した。17年には、マーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)がコミュニティー(共同体)作りにフェイスブックが果たす役割について積極的に発信するようになり、「フェイスブック上での対話の大半は社交的なもので、イデオロギー的なものではない。友達同士の冗談や、離れて暮らす家族が連絡を取り合うためのものだ」とも記した。

 そして今年1月11日、Facebookは「人々を互いに、より近づける」として、メディアや企業などによる投稿の優先度を下げて、友人や家族の表示を増やすと発表した。ニュースフィードの責任者アダム・モッセリ氏は「ニュースフィード上のスペースには限りがある。友人や家族の投稿や更新をもっと載せて会話を弾ませようとすれば、メディアや企業などによる動画その他の投稿は減らすことになる」と述べた。

 フェイスブック経由のアクセスに依拠していたメディアにとっては、これは悪い知らせだ。

 世界最大のニュース同時配信機能を持つFacebookが、ニュースにさほど力を入れなくなることで、どのような影響があるだろうか。いくつかの点を検証しよう。

 まずこれは、デジタルメディアよりも伝統的な報道機関にとって悪くない知らせである。米国の日刊紙の大半は、不本意ながらではあるが、広告収入よりも、読者からの購読料や会員費に依拠せざるを得ないとの結論に達している。グーグル、フェイスブック両社がデジタル広告市場を席巻する中、今度はフェイスブックが多くのページビュー(PV)を止めるというのだ。これは、ページビューに伴う広告収入が入らないことに直結する。収入の全部または大半をデジタル広告に頼る戦略を立てていた企業はすでに苦境にあるが、フェイスブックの今回の措置で困難は一層鮮明かつ差し迫ったものになる。

 この変化が、新聞にとって「良い」とは言っていないことに注意してもらいたい。ただ優良な新聞には確立されたブランドと定評ある紙面、そして収益モデルがあり、大衆向けのデジタルメディアに対し、競争力を持つ。デジタルメディアの淘汰(とうた)は予想されていたことで、17年後半には「マシャブル」の身売りや「バズフィード」の経営危機でその一端が垣間見えていた。フェイスブックの動きは、その流れを大きく加速しよう。

 Facebookのユーザーは、ニュースフィードからニュースがなくなったことを残念がるだろうか。

 仮に、現在、ユーザーがFacebook上で見ているニュースの30%が消えたとしよう。いったい何人がなくなったことに気づき、まして残念に思うだろうか。

 ニーマン・ラボのシャン・ワング記者がフェイスブックのユーザー数百人を調査して発見したのは、ニュースフィードできちんとしたニュースを見る人は、ほとんどいないということだ。約75%が、ニュースフィードのニュース記事トップ10のうち1本しか見ない、あるいはまったく見ないと回答している。

 私の予想では、ユーザーの圧倒的多数は違いに気づかないし、フェイスブックでニュースを見られなくなることを、他の何かで埋め合わせることもしないだろう。ニュースフィードの気まぐれな配信に頼っていたような人が、積極的に金を払ってまでニュースを得ようとするようになるとは考えにくい。

 今回の変更で、Facebook上に残るニュースはどうなるのだろうか。

 メディアによる投稿のうち、少なくともいくらかは今後もニュースフィードに現れる。友人や家族同士で気に入ったニュースをシェアすることもできる。ではこの残存するニュースに、どのような変化が起きるだろう。

 モッセリ氏もザッカ-バーグ氏も、ニュース記事掲載の基準は、その記事がユーザーの「参加」を促すものかどうかになる、としている。言い換えれば、「いいね!」やコメントが付くような記事であるかどうかということだ。ニュースの価値が好き嫌いやコメント数で決まるというのは、実際にはきわめてイデオロギー色が濃いことといえる。

 人々をゾンビのように一日中スマホ画面を眺めて暮らすようにした会社(フェイスブック)から、情報に対して受け身一方ではいけないと説教されるのは笑止千万だ。新聞は読者欄の投稿数で評価されるものではなかったし、本の価値が欄外への書き込み量で決まることもなかった。

 より実際的な見地からも、Facebookの方針は読者の感情を揺り動かすようなニュースを奨励するものと言える。それではここ数年、過度に党派性を帯びたFacebookのページが不正確な情報をまき散らしたのと同じ道をたどることになる。