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気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

『hba1c?BMI?そんなもん知るか!』開き直ってホーカーズで食いまくる旅【前編】

2022-12-21 18:19:10 | 旅行

コロナ禍で気軽に海外に行けなくなって2年半

 

勿論生涯を通じてふりかえれば

1990年1月から1993年8月までの3年と8ケ月

2004年10月から2005年12月までの1年2ケ月の2回

パスポートを使わずに過ごした時期もあったのですが

 

今年の5月に2年2ケ月ぶりにPhilippineに行けたものの

それからまたまた半年あまりのブランク

いや~辛かったぁ~

 

ということで、仕事の用事もできたので(実は無理やりつくった)

2022年12月7日

3年半ぶりにSingaporeに行ってきた時の記事です

 

最初にSingaporeまでの交通手段の検討

 

一番簡単なのは関空から直行便のSQ(Singapore airline)なのはわかってるんだけど

格安航空券サイトで27万円

 

乗り換えなら普段よく使ってるANAに

安いベトナム航空やCX(キャセイパシフィック)、その他のLCCもあるんだけど

Transitで泊まりとなるのは、まだコロナで検疫が面倒だな

往路がその日のうちに到着できるOZ(アシアナ航空)決定

 

KIX11:50発なので普段だったら空港リムジンで簡単に行けるのに

関空のリムジンバスは、大阪市内以外はまだほとんどが運休中

 

平日で朝の通勤ラッシュの最中に、近鉄、南海とキャリーバック引きずって乗り込むのも面倒だなと

上本町からのリムジンバスと近鉄特急に決めたのですが・・・

 

乗り遅れたら大変と7:36発の特急なのに7:10頃に到着してみると

まだ普通の快速急行もガラガラ

特急券を予約しなきゃよかった~ 

それにしても、昔は朝の特急は満席があたりまえだったのに

結構空席が多くてビックリ

コロナでリモートワークとかが普通になっちゃったのかな?と、勉強になりました。

で、上本町から近鉄のリムジンバスに乗ったのですが

荷物をもってトイレに行くのも面倒だなとバスで用を足そうと思ってたら

トイレがついてなくて大焦り

運転手さんに「ちょっとトイレ行ってきてもいい

と尋ねても「もう発車時刻ですから」と言われ

『いざとなったら・・・』とアレコレと

最悪の事態もシミュレーションしたものの

 

でもなんとか尿意をもよおすことなく空港に到着してホッとしました~

 

T1(第一ターミナル)は

節電要請によるものか薄暗い照明にビックリしながらチェックインして

そこそこ利用者もいるなとギリギリで駆け込むのも面倒だなと出国手続きを済ませたのですが・・・

 

入管から出たら この有様

これ↑ 免税店待ちの行列なんですよ~

 

というのも、搭乗ゲート近くの免税店はすべて休業中

昔はなかった倉庫を改造したような店には

中国人の爆買いを期待した 超高級な獺祭だらけ

(常温保存でいいのかなぁ?とか日本酒は長期保存するものじゃないのに

ところがいまは台湾、香港、韓国の乗客ばかりなのでこの店はガラガラ

 

でもリーズナブルな品揃えのコンビニは出国ゲートの免税店並みの大行列でした。

 

アシアナのラウンジも制限があるらしく

代わりにと2,000円のクーポンを渡され

 

出国後ではラウンジ六甲(クレジットカードでも使える)で

アルコールたったの2本まで(選択肢も缶ビールかカップのワインのみ)

 

半年前の羽田では普通にラウンジが使えてたけど、

関空はそれはそれは悲惨な状況なのでご注意くださいね。

 

搭乗ゲートやエプロンもガラッガラでこの有様

ということで空腹のまま仁川行で満席のアシアナに乗り込み

 

しょぼい機内食が出たものの仁川ではラウンジに駆け込み

親の仇とばかりにビールとフードを食べ漁り

Singapore行に搭乗

機内エンターテイメントもたいした映画がなく、それも字幕は韓国語か中国語だけで

やっぱアシアナなんか選んじゃダメだったなぁと思いつつ

約6時間半後に無事Singaporeに到着

 

久しぶりのSingaporeでもう入国カードは無くなったのかなと思って

ワクチンの接種証明を見せたところ

入管の意地悪そうなインド系の♀の審査官が

英語で併記されてるのに「日本語読めない!」と言われ

 

空港スタッフの中華系のオジサンが手招きしてくれて

空港備え付けのタブレット操作をひとつひとつ丁寧に教えてくれて

デジタルのArrival Cardを作成して無事入国できたのですが・・・

最近、とみに増加しているインド系の移民

まあ出自からか、モラルや国民性の違いなんだろうとおもいつつ

気分を害することが多くてついムッとしちゃいました

 

その後、今回あえて地下鉄でも便利そうなホテルを選んだため

地下鉄に乗ろうと電子マネーのカードに課金しようとしたところ

「2018年で有効期限切れてますよ」と言われ大ショック

でもやっぱMRTの電子マネーカードはとっても重宝するので

2030年まで有効のカードを購入(S$10で、S$5がカード購入代です)

『そっか~、そんなに長い間来てなかったんだっけ?』とパスポートを確認してみると・・・

もう以前からSingaporeは入国も出国もスタンプを押してくれていないのを発見!!!

(入国カードとパスポートに内臓されてる電子チップで管理されてるみたいです)

日本の入国・出国もスタンプ省略されちゃってるし

これからは個人でしっかりメモしておかないと

過去の履歴さえわからなくなっちゃってますのでご注意くださいね。

 

翌朝、一応仕事の打ち合わせのため

Lavender stのAperia MallのFood courtで朝食

何年か前に 取引先のドイツ人が

「今日のお昼はイタリアンでどう?」って言うから 

その気でいたら

な、なんと”サイゼリア”でした~(このビルの3Fにあるんです

でもお気に入りは やっぱりココのHawkers

エアコンの効いてるところはアルコール販売してないところが多いのと

朝食時間に営業している店が少ないので

ほんとは大好きな中華の”焼肉”(Roated Pork)が食べたかったんだけど

尋ねるとお昼からの営業だったので

仕方なく雲吞河麺セット

 

その後、取引先の大の仲良しスタッフと久しぶりの再会を喜びながら

お昼は、これまたSingaporeでは必ず食べる海南鶏飯(ハイナンチキンライス)

 

その後近くを歩いてみると

日本風カレーライスの店ができてたり

(こちら↓は 取引先の入っているビル)

そのビルの1階に居酒屋”IZA BAR”なるものもできてたけど

こんなとこにまで人が来るかなぁ?って場所

次に来るときまでもってるかなぁ

 

早々と仕事を終わらせて Hotelに戻り

荷物を放り込んで 

Little IndiaのTekka Centreまでの経路を調べ

Hotelのロビーから外に出てみると

コジャレタBISTROやBARがあったけど

こんな場所には全く興味がないので パス

 

突然のシャワーに傘もってないしなぁと雨宿りしながら

軒先歩きしながら小さなHawkersを発見

Hawkerの数も少ないなと そのままLittle Indiaに向かいました。

 

いつもLittle Indiaへは車に乗せて連れて来てもらうかMRT(地下鉄)を使うため

こんな場所があるんだなぁと再認識

『インド人はやっぱ牛がウロウロしてないと故郷気分が出ないのかなぁ?』

なんていつもの勝手に妄想

 

この↓モニュメントと広場は 相当新しそうなので

たぶんここ1.2年の間にできたみたい

シンガポールは、なんせ周辺からの労働者で成り立っているため

いまでも移民を受け入れているのですが

マレーシア、タイ、インドネシア、ベトナム、ラオス、ビルマ、バングラデシュと

次々と賃金の安い国に頼っていたのが

それぞれの国も発展して賃金が高くなり

近年は、人口の多いインドからの移民がその大多数を占めるようになっているようで

Little Indiaは彼らの胃袋のような場所

昔はSingaporeの暑さに耐えられなくて

エアコンで寒いほどのレストランでしかご飯食べられなかったのに

 

5・6年前にここで本格カレーを汗だくになって食べ

そのまま歩いてホテルまで戻ってからシャワーを浴びたら最高に気持ちよくて

それからすっかり病みつきになっているので

いまやSingaporeで最も楽しみにしているHawkersなんです~

 アーリア系&モスリム系の人達で賑わってるでしょ~

 

それこそバングラ以西中近東までのさまざまな国や地方のカレーや食物で溢れてて

ちょっと小汚い感じも本場そのものって感じで楽しめますよ

因みに写真は撮ってませんでしたが

ほとんどの人が手で食べるため

手洗いがいっぱいあるんです。

(トイレは有料だけど、手洗いはタダなのでご安心を)

 

この日は、大好きなマトンカレーとカレー玉子のセットに

トレーを抱えて中華コーナーに移って缶ビール

(ハラール=モスリムなので、そちらのコーナーにはお酒おいてないので

 

いつもはタンドリーチキンかチキンテッカを酒の肴にするんだけど

すっかり忘れちゃってました

↑ これでもライスは少なめにって言ったんですよ~

 

そんな訳で、お腹はいっぱいになってたんたけど

ビリヤニ(インド風カレー炊き込みご飯)を食べてなかったのが心残りで

今回は滞在日数も少ないから食べとかないと

チキンビリヤニをTake Outしちゃいました~

カレーの香りがプンプンするビニール袋をぶら下げながら

お腹もくちたのでホテルに戻ることに

 

途中でドリアンも買っちゃおかなぁ と思いつつ

ホテルへの持ち込み禁止のことが多いので諦めて

まだビール飲み足りないなぁ と

結局往路でみつけたHawkersに立ち寄って

Roated Porkと中華風煮卵で一杯

ここのHawkersは中華系のみなので 

今年から食器の片づけが義務化された棚も

Non Halalだけでした

 

そうそう、Singaporeの川

昔は海から艀で荷物を運ぶ運河でもあったのですが

なんせ水のないSingapore

下水さえ再利用しようとしてる土地なので

いまや河口を堰き止めて貯水湖にしちゃってるんですよ

(マーライオンやマリーナベイサンズの湾も淡水の貯水湖になってます)

 

そのため、川のボートは全て電動になってるんだそうです。

(ガソリンや重油のエンジンだと、排ガスや油で汚染されるので)

 

この日は前日の寝不足もあって早寝することにして

翌朝6:30に起床(日本時間は7:30)

ホテルの部屋からの眺めはこんな感じ↓

タイムゾーンの関係で Singaporeって朝はまだ暗いんですよ

 

その後、Hotelのプールに入ろうかな?と思いつつ

季節なのか 歳とって鈍くなってるのか

プールに入りたくなるほどの暑さを感じなかったので

この日は取引先に行くつもりはなかったので

(いまいるドイツ人が軽蔑にしか値しない最低の人物で、顔を見るのも嫌なので

 

朝食のためにバスでOld Airport RoadのHawkersに向かい

大好きな焼き米粉(2種)に オカズを載せて瓶ビール

 

昔はバナナの葉だったんですけど、最近はほとんどがそのまま捨てられる紙

食器を洗うための水も要らないからなんだろうなぁ

 

食事はたしかS$4だったかな?(約400円)(ビールはS$7くらいします) 

 

 

【文字数オーバーしてしまったので後編に続く】

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意地になって綱渡り状態で名物カツ丼を喰らう旅

2022-11-07 13:09:33 | 旅行

先週の11月2日

瀬戸内海の因島へ行く出張が決まり

いつものようにオレンジフェリーを使って

晩御飯は家ですませ、乗船してから晩酌(船まで運転するため)

東予港からいつもの石鎚山を眺め

来島海峡大橋を渡り

因島に到着

実は、もうこの時に帰りはカツ丼を食べる気満々

なんとしても午前中に仕事を仕上げるぞと心に決め

 

午後一で落成書のサインを取り付け

正門を出たところで

営業時間が定刻午後5時でラストオーダー午後4時半

ただし、食材が無くなり次第閉店とのことだったので

急いでお店に電話をかけ

「今日は営業されてますか?」

「2時間後にカツ丼食べに行きますから」

と伝えると

お昼の大混雑している時間帯でお店の人が時間を間違えて

『いまからだと4時半? ラストオーダーの時間なんで早くこれませんか?』

との返答だったのですが

「いま、1時半だから3時半頃に到着できると思いますよ」

と、そんなヤリトリもあったのですが

名前を聞いてくれて待ってますとの返事に気を良くし

いつものグーグルでルートを検索

まあ、ぶっ飛ばせばなんとか2時間くらいで行けるだろうと

出発しのですが・・・

11月は年末の繁忙期前とあって高速道路も修理だらけ

突然、伯方橋の手前で片側一車線となって大焦り

至るところで50キロ規制の工事中だらけでしたが

制限速度よりちょっとオーバーしながら

オービスにはひっかからない程度(35キロ超過がトリガーなので)にぶっ飛ばし

 

15:40 高知県大豊町のひばり食堂に無事到着

急いで店に行ってみると

まだ3時40分なのに

”準備中”&”本日の営業は終了しました”の看板

 

電話しといたのにそれはないよなぁ~と店に入ってみると

『電話いただいた方ですか?』とちゃんと待っててくれました~

(4名ほどのスタッフの方で)

このお店の存在を知ったのが

グレートトラバースで田中陽希氏が

日本百名山ひと筆書きの時に

石鎚山から剣山の途中でわざわざ立ち寄って食べてたカツ丼が

無茶苦茶美味しそうだったので

いつか食べに行けたらいいなぁと思っていたところ

にっぽん縦断こころ旅の2017年秋の旅でも

火野正平さんがここでミニカツ丼の大きさにビックリしてたのを観て

絶対に行かなければと決意

 

そんなお店だったのであります。

電話して伝えておいたのでちゃんと準備していてくれたからか

入店してわずか3分後に

普通カツ丼が無事着丼

お昼抜きだったのと、味つけも自分好みで美味しくて

自分ひとりのために店を閉めずに待っててくれたお店の方に

申し訳ないのとで ガツガツと貪るように食べてしまい

10分で完食

普通でも大盛りサイズなのに

大盛り頼めば良かった~と思わせるほど美味しかったです。

 

お店を出たらまだ時刻は午後4時

 

勝手に徳島から和歌山に渡るフェリーが午後5時前と次は夜10時前と思い込んでたため

東予や新居浜まで戻って数時間待ちしてフェリーで帰るのも時間の無駄だしなぁ

淡路島から神戸経由で陸路を走るのも楽しくないし

徳島で大好きなラーメンショップのチャーシューメンと焼きめしでも食べよかな

と思いつつ

 

再度南海フェリーの時刻表を見直してみると

18:55のフェリーがあるのを発見

 

なんせ同じ道を走るのが大嫌いな性格のため

これまで何度か走ったことのある国道32号線でも間に合うかなと

大歩危小歩危と祖谷口辺りの景色を眺めて徳島向かうことにしました

いつか走破しようと思っている国道ヨサク(439号線)への標識を横目でみて

東祖谷辺りから祖谷渓を思わせる杣人の集落風の景色を眺め

大歩危

東祖谷への分岐点を抜け

祖谷口まで来ると吉野川の川幅も広くなり

時刻も16:45とフェリーの時刻まで余裕がないことがわかり

三好(井川池田)から徳島道に乗り

17:51徳島インターを下りて眉山を眺めながら徳島市内に

18:20 フェリー出航の30分前に無事到着

オレンジフェリーが大阪南港から愛媛の東予までを

デラックスシングルでお風呂に入ったりのんびり船旅が楽しめて2万円弱なのに

南海フェリーはたった2時間の航路の二等席なのに約半額の1万円弱

 

高っけ~(燃油サーチャージがべらぼう)と思いつつ

船内ガラガラでも1日8往復の定時運行するフェリーだから

仕方ないのかなぁ

そんなこんなで 新造船の”あい”に乗船

前の船と比べると 船内も広くなりゆったりとして

そこそこ快適でした

和歌山港入港直前

月の明かりが海に反射してる風景がとっても良かったですよ~

この便の車輛はこんな感じ

まあ、あんな値段になっちゃうのも仕方ないかなぁって感じでした。

 

【付録:2021年1月にひばり食堂に向かったものの、

寒風山トンネルを走ったり、国道ヨサクを走って時間がかかりすぎ閉店してた時の写真です】

 

 

ひばり堂が閉まってたため

どこか近くに泊まろうかと思ってたのですが

時間が遅すぎて宿泊予約サイトからみつけられず

その上コロナ禍で旅館に飛び込みも難しいだろうなと

 

ひばり食堂=カツ丼はあきらめて

こころ旅で訪れてた杉の大杉を見学して

この日はずっと下道で吉野川沿いに徳島に出て

日付が変わってから和歌山に到着し

京奈和道を走って午前3時前に帰宅しました。

 

次の目標は、徳島から国道ヨサクでひばり食堂に行って

大盛りカツ丼を食べること

 

さて、いつ頃実現できるかなぁ 

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小さな旅(電車と徒歩で京都山科へ)

2022-10-28 14:00:14 | 旅行
一昨年の2020年
もち麦を栽培してみようと種を探していたところ
 
いきつけの種苗店ではキロ2500円と言われ
『そんなに高くないだろ!』とネット検索してみつけたのが
 
京都山科にある”株式会社のうけん”というところ
電話して尋ねるとダイシモチがキロ800円ほど
(通販ではもう少し高くなりますが)
 
地図アプリを頼りに約45km離れたその場所に軽トラで向かってみたところ
 
宗教法人ではないけれど
京都人ならほとんど知ってるちょっと変わった団体の
農業部門(㈱のうけん)で驚きましたが
質も高くよく育ってくれたのが嬉しくて
 
つい先日も蕎麦の種を電話でお願いしたところ
取り寄せてくれて
またジムニーで引き取りにいったついでに注文しておいた
もち麦の種が準備できましたとの電話があり
 
走り飽きた道を運転するのもつまらないし
小さな旅気分を味わおうと
電車で行ってみることにしました
 
事務所で早弁して12:00ジャストに出発
カブを最寄り駅の学園前の駐輪場に停め
近鉄電車に乗車大和西大寺で京都行急行に乗り換えて 
13:20京都駅に到着
 
JRに移動してホームに停車していた湖西線の古い緑色の普通電車に乗り込み
13:35山科駅到着
 
JR改札の目の前にある京阪京津線の京阪山科駅へ
下車するのがすぐ隣の四宮駅なので
歩いて行ってもいいかなぁと思いつつ
京津線には乗ったことがなかったので興味本位で乗車

この京津線
以前は京阪三条から蹴上方面に向かってのぼってゆく路面電車だったのですが
地下鉄東西線ができて三条から御陵までの間が廃止されてしまい
味気ない普通の電車になっちゃいました。

乗車時間たったの2分 運賃170円で四宮駅に到着
 

駅を降りてすぐ踏切を渡り狭い道をのぼってゆくと
一燈園さんの入口

この一燈園さんという団体
懺悔奉仕のコミューンとしても有名なんですよ。
ご参考までに↓
https://www.ittoen.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%87%88%E5%9C%92

14:00 2年前から三回目の訪問となる㈱のうけんに到着

注文しておいた5キロのもち麦の種を受領し

琵琶湖疎水沿いの紅葉を眺めながら出発

復路は、旧三条街道(東海道)を歩こうかなと思っていたところ
四ノ宮舟溜まりの先に遊歩道があることに気づき
これは歩いて山科に向かうしかないな と決定
へぇ~、猫の餌付けはよく聞くけど、猪も餌付けされて問題になってたんだぁ
とちょっとビックリ
でも、豚熱の影響か、ミミズを探した跡も獣道もみあたらずガッカリ

この遊歩道、琵琶湖疎水がJRの線路拡張で
迂回するためにトンネル化した名残(元の疎水)

途中にはトンネルの試作物があったりして
ひとりで『ほほぉ~』と感心したりとなかなか面白かったですよ。

その先にあるのが山科疎水公園
こんなところにどうしてこんな空間ができたんだろう?と
いつものように余計なことが気になってしまい
調べてみると その昔あった瓢箪ダムの跡地なんだとか
瓢箪ダムとは諸羽舟溜まりのことで
やはり水路変更した時に埋め立てられた場所なんだそうです。
 
いや~、勉強になるなぁ
 
そこから山科駅が遠望でき、疎水沿い歩くと大回りになるのと
今回は麦の種が重かったので、遊歩道はここまで
そこからは旧東海道に出ることにしました。
 
諸羽神社の鳥居をくぐって東海道を西に向かいました
 
少し東に戻ったら徳林庵っていう別名山科地蔵があるのですが
ついつい背中の重みに逆らえず 
一路山科駅を目指してしまいました。。。
 
旧東海道(旧三条街道)の案内板


 
旧東海道=旧三条街道を歩いてても 
このおかしなバルーンに気づいたものの 
たぶん店の飾りだろうと思っていたところ
いくつもみかけてようやく”山科茄子”のゆるキャラだと気づきました~
”もてなすくん”って名前なんだって(笑)
 
そして14:30山科駅到着
(滞在時間わずか1時間たらず)
駅前の山科周辺の名所の案内図をみると

寺社仏閣も多く

5キロの麦を背負っていない時にゆっくり探訪しようかな
とりあえず、次回は京阪で三井寺まで行き
琵琶湖疏水の取水口から伏見の濠川までの約20キロを踏破して
 
その次にのんびりと山科歩きしよっと



この山科って土地
 
これまでは
西国三十三カ所霊場巡りで醍醐寺と元慶寺に行ったのと
琵琶湖の湖西方面へのアクセスに
時々通過しているところなんですが
 
京都人からは”治安もガラも悪い”との印象が強いようで
(なんだか人口比でヤクザの割合が日本一だとか)
(市営住宅が多いからか公立中学校が荒れてるなどなど)
 
たしかに今日逮捕されることになった京都王将の社長が
9年前に銃撃された場所でもあるんだけど
 
深夜食堂の小林薫氏や藤山直美さんが育ちいまでも住んでいるとこだし
オセロの中島知子もそうなんだとか
 
先入観を持たずに探訪してみよっと
 
 
 
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コロナ禍緊急事態宣言下の出張記録【2021年2月②-2 石垣島・沖縄本部町・与論島《続き》】

2022-09-29 18:06:22 | 旅行

さて与論島

借り物ですが、↓こんな島

ほぼ真っ平で島の大半はリーフによって荒波から守られ

そのため白砂に与論ブルーのビーチがいたるところにあるんです

画像の一番下が空港と滑走路で

その右側がフェリーの埠頭

 

滑走路の左下先端部から時計回りで説明すると

小さな入り江が昔のフェリー埠頭

奥が茶花海岸

そしてその奥が漁港でその辺りが与論島の中心部

 

あとは小さな漁船やグラスボートなどの船が接岸できる程度の岸壁がありますが

リーフの続いているところは白砂のビーチとちょっとした岩礁のみ

 

本格的はダイビングは岩礁とリーフくらいなので

ほとんどが海水浴向きのビーチなんです

 

 

そんな与論島の中でも

一番高いグクス(城)跡にあるサザンクロスセンターの展望せんたん

すぐ横にはグクス(城)跡があり

そこにある海上集会の案内板を見ながら

沖縄本島も目と鼻の先なのに 沖縄返還までは日本最南端だったんだよなぁと思い出し

曇りがちであまりお天気は良くなかったのですが

とりあえずいくつかのビーチを眺め

与論島観光の目玉の百合が浜が遠望できるビーチに移動

もちろんここもガラッガラ

映画”メガネ”のロケ地の表示も多く

狭い島なのにビーチ巡りで夕陽の時間となってしまい

ゲストハウスで18:00が夕食と言われていたため 慌てて宿に戻り

改めて施設をゆっくりと見学してみたのですが

なんか、1980年代前半に暮らしていた南太平洋にあったゲストハウスを彷彿とさせる

シンプルな宿で、個人的には懐かしい気分がしてとっても嬉しかったです

トイレは共同のが一カ所のみ、お風呂(シャワー)は温水器の都合で決められた時間のみ

まあ、そんな不便さも南太平洋のゲストハウスみたいでノスタルジックな想いに浸れました

オーナーお手製の夕食

与論島は飲食店が少ないので1泊2食の宿が基本なのですが

たしか5・6千円だったような。 お得でしょ~

(黒糖焼酎の一升瓶もサービスで出してくれました

オーナーと話をしていると、元々は奈良の生まれで

当時大学生で一大ブームだった昭和50年頃にこのゲストハウスをつくり

いまは島根でスキー場もしていて行ったり来たりしてるんだとか

 

たぶん、あの頃よっぽどいい思いをしたんだろうなぁ(笑)

でもとっても親切なオーナーさんでしたよ

 

夕食時にお酒を飲んだのと、冬でコロナ禍で中心部の飲み屋もしまってるだろうなと

早めに就寝

 

翌朝、宿の裏手にあるプライベートビーチのような浜で日の出の景色を眺め

 

翌朝8時朝食

 

この日の鹿児島行に乗ることにしていたため

与論民族村が開く時間を待って宿を立ち

 

入場料を払って拝観

与論島の歴史や文化風習を教えていただきましたが

琉球王国の影響下にありながら 島津藩とのはざまで

いろんな苦労があったんだろうなぁ

こちらは芭蕉布の説明

フィリピンでもバナナの繊維で作った布がピーニャと呼ばれ

民族衣装のそれも正装であるバロンタガログで使われているのですが

日本では女性の着物なんですよね

 

大島紬といい、この芭蕉布といい、手間はかかるのでしょうが目玉が飛び出そうなお値段ですよね

その後、天気が良かったので

更に小林聡美さん主演の映画”メガネ”のロケ地などを巡り

レンタカーを返してから

(結局、いろんな施設を回ることでレンタル料はたったの500円でした

 

【12:00】鹿児島行のフェリーに乗船

(マリックスラインとA”Lineが交互に隔日運航しているため、この日はA”lineの船となりました)

二段ベッドの部屋でしたが、やっぱりガラガラ(奄美大島からは何人か乗ってきましたが)

乗船してすぐにランチ
(指定された時間のみの営業なので、遅れた大変なんです

 

お風呂はなく、シャワーのみでしたが 汗を流し

日中は、寄港地の風景を眺めながら過ごし

沖永良部、徳之島を遠望して

レストランで夕食

この航路、残念ながら船旅を楽しむというより奄美諸島の人々の足なので

食事もいまいちなんですよ

 

いつものことながら、奄美大島はほぼ深夜なので

いつも爆睡

 

朝起きたら開聞岳が見えて錦江湾に入るところとなってしまい

【8:30】下船

 

連絡バスで鹿児島中央駅へ向かい

前回は那覇からのフェリーを下船してから鹿児島市内をのんびりと観光して

午後志布志への連絡バスに乗り、夕刻さんふらわあで大阪南港に戻ったのですが

 

この日は、どこもかしこもコロナ禍でガラガラで休業中だらけで

さすがにモチベーションが下がってしまい

 

駅からネットで伊丹行の飛行機を予約してしまい

すぐにリムジンバスに乗り込んじゃいました

今回の出張、石垣島からの帰路に本部や与論島に立ち寄り

そこそこ嬉しい出会いもあった反面

コロナ禍のそれも非常事態宣言が出てるなかでは

心底旅を楽しめないなぁと痛感しちゃいました

 

そんなことを思いながら

ラウンジでタダ酒(生ビール&芋焼酎ロック)

普段ならそこそこメインの鹿児島ー伊丹線なのに

コロナ禍で乗客が少ないからなんとプロペラ機

昔は南太平洋やNZ国内線、フィリピン国内などなど

プロペラ機にはよく乗ったものでしたが

最近ご無沙汰してたので、内心それなりに喜んでました

 

伊丹からも奈良行きのバスがコロナ禍で運休

仕方ないので難波に出て、中央軒で皿うどん定食を食べて近鉄に乗って帰りました。

 

そして ここが今回の旅でビックリさせられたこと

 

な、なんと本部で晩御飯を食べた飲食店”十兵衛”の大将が

奈良の話が嬉しかったのか、少しばかりの心づけに喜んでくれたのか

店を出る時に名刺を乞われたので渡していたのですが

 

な、なんと箱入りのタンカンを贈ってくれちゃったんです

 

”旅は道連れ世は情け”

喩えがおかしい?

ですね(笑)🤣

 

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コロナ禍緊急事態宣言下の出張記録【2021年2月②石垣島・沖縄本部町・与論島】

2022-09-28 15:21:39 | 旅行

どうして前回の九州出張からどこにも立ち寄らず

徘徊も放浪もせずに帰ってきたかと申しますと

 

それよりずっと以前から予約されていた2月6日に石垣島での仕事があったから

 

これまでにも石垣島へは何度か訪れていたこともあって

いつものように家の近くから関空行きの始発のリムジンでと思っていたのですが

コロナで関空行きのリムジンは全て運休

 

なんせ朝7時のフライトで少なくとも一時間前の6時に空港となると

奈良からでは数万円かかるタクシーくらいしかないため

大阪からリムジンバスに乗ることにして上本町での前泊を選択することに

上本町のバスターミナル近くのダイワロイネットホテルに泊まり

上本町朝5時発のリムジンバスで関空T2へ

そして無事定刻7時の飛行機に搭乗することができました。

ところがなぜか出発が30分ほど遅れ 石垣島到着も10:15頃になっちゃいました。

新石垣島空港からは

前回から使うようになった空港ピックアップのレンタカーを借りて

ホテルのチェックインにはまだ早かったので ランチとしたのですが

なんせコロナでほとんどの飲食店が休業していて なんとか見つけたのがジモピー御用達の飯屋

豚丼と八重山そばのセットでしたが 美味しかったです

 

その後ホテルに向かい追加料金でアーリーチェクインをお願いし

いつもの深夜の仕事に備えて 真昼間から就寝


この日も23時から翌3時までの仕事となりました。

(発電所の発電機を停めてできる仕事なので、どうしても電力需要の低い夜中になっちゃうんです。

そうして夜中に戻ってくるのがわかっていたため

昼のうちにスーパーで酒類とツマミを買っておき

夜中の3時にホテルの部屋でひとり打ち上げとなりました

一応気を遣ってビールは糖質0のクセにトンカツとコロッケの矛盾

 

その後爆睡して 昼過ぎに起きて 前日と同じ飯屋でランチ

この日は石垣名物 牛汁ランチ(玉子焼きとカジキマグロのお刺身付き)

 

中途半端な時間となってしまいましたが

コロナで離島(八重山諸島)への高速船もほぼ運航しておらず

石垣島の島内ドライブすることにしちゃいました。

 

最初に訪れたのが”唐人墓”

このお墓、1852年に中国厦門からカリフォルニアに向かっていた奴隷貿易船

ロバート・バウン号の船内で奴隷への虐待

(辮髪を切り落とし、牛馬のように焼き鏝を当て、病気持ちは海に突き落として鮫の餌に)

を知った苦力が、暴動を起こし船長と船員を殺して操船したものの座礁

難破船380人の中国人苦力が石垣島の収容所に収容されてたものの

その座礁を知ったイギリス船2隻が石垣島に来航し収容所を砲撃

その後逃走した苦力を射殺・捕縛してみせしめに吊るし

その後もアメリカ船が来航し探索を行った。

捕縛を逃れた中国人は琉球王国に保護されたが 

中国に送還されたのは172名、病死・自殺・行方不明者は128名に上った。

そんな黒歴史のお墓なんです。

その後、時計回りに北上し

御神崎灯台から海を眺め

定番の川平湾に立ち寄り

底地ビーチへ行ってみると

さすがはコロナ禍の緊急事態宣言中

ガラッガラ

荒川の滝に立ち寄ってみると

若者が3人滝遊びに興じていましたが

なんとも寂しい限りでした。。。

 

その近くでみつけた喫茶店の看板

いや~、普段草刈りに追われている身としては

いいネーミングだなぁと感心

自分も店でも開くならその名前がいいなぁと(笑)

島一周はもう何年か前にしてたので

この日は沖縄で一番高い於茂登山がどんな感じのところなのか行ってみることに

 

登山口に到着し、軽く登ってこようかなと思っていたところ・・・

な、なんですと~

ハブなんて怖すぎ

アッサリと諦めて バンナ公園から展望台へ

それにしても どこに行ってもガラッガラ

夕方でエメラルドの海も眺められないし

『もういいか』とドライブを終え

石垣島のキャラのカンムリワシに別れを告げてホテルに戻り

 

夜7時前になって晩御飯を食べようと中心地へ歩いて行ったのですが

な、なんとやはり夜も飲食店はほとんど開いておらず

【18:57】 なんとかみつけて入った店で「7時ラストオーダーです」と言われ

慌てていくつか注文して

注文したお酒も飲み干してしまい 仕方なくお会計

 

まだ8時前だというのに 閑散とした町を歩き

↓ このホテルはインバウンド観光客目当てだったのか維持できず、休業なのか倒産なのか真っ暗😓

コッソリと地元の客を入れてる店もありましたがまるでゴーストタウン


コンビニで夜食を買ってホテルに戻りました。。。

 

そんな状態だったため、いつものように帰路のチケットを買わず

どこか放浪しようと思っていた気持ちが削がれ

 

翌日正午の那覇行のチケットを購入して レンタカーを返し

空港で八重山そばとオリオンの生ビールでランチ

 

この時も、たぶん那覇でも非常事態宣言でよそ者は居辛いだろうし

面白くないだろうなと、とりあえず本部へ行くことにしちゃいました。

 

名護行のバスも申し訳ないほどガラッガラ

 

できれば伊江島に行きたいけど

コロナ禍でそんな雰囲気じゃなかったら鹿児島行のフェリーで奄美諸島のどこかの島に行ったらいいしと

とりあえず本部で泊まることにして

名護からのバスを待っていたのですが

どこもかしこも人気がなくて 気分はダダ下がり

ただ、ホテルもガラッガラなので 好きに予約できちゃうんですヨ

 

翌日本部港へ行くことを考えて 本部の町のMr. KINJOにチェックイン

また飲食店は夜7時までかもしれないから

急いで晩御飯を食べなきゃ と

飲食店を探すのですが、焼き肉屋の他にはこのお店しかなく

選択の余地なく入ってみました。

 

ホントは沖縄料理が食べたいんだけどなぁと思いつつ

カウンターに案内され、お造りの盛り合わせとスーチカーを注文

その後 島らっきょうとビールじゃ物足りないなと泡盛をボトルで注文

ソーメンチャンプルーをシメとしていたのですが

人当たりのいい大将と話していると

奈良の調理師学校に通ってたとかいろいろと所縁があって

奈良の沖縄料理屋の人達のこともよく知ってて会話が盛り上がったものの

すでに時刻非常事態宣言下での飲食店の営業制限時間

 

 

閉店時間を過ぎ、おもての看板の電気を落とし

「点検に来たら友達だって言うから大丈夫」と言ってくれて

まかないの具沢山汁をだしてくれちゃったんですよ~

といっても、あまり長居して密告されては申し訳ないなと

楽し時間を過ごさせてもらったお礼とコロナ禍での応援を込めて

いくばくかのお金を払って店を出て

 

荷物を放り込んだだけだったホテルを再点検してみると

最近よくある見た目は良さげでもチープな家具ながら

簡単なキッチンがあったり、洗濯機があったり

アパートメント型式で長期滞在もできるんだとわかりました。

(Mr. KINJOって沖縄県内のいたるところにあるんですよ

(なんとなーく中国系資本のような

 

翌朝

窓の外からは伊江島が真正面に

(実は、小学校高学年からの大親友の父が伊江島出身の医師で

いつか訪れてみたいなぁと夢見ていた土地なんです。

そんな背景もあってさてどうしようかなと本部港に行ってみると

やっぱり伊江島はコロナ禍で遊びに行ける雰囲気じゃないと悟り

それならばと鹿児島行のフェリーで

とりあえずいつか訪れたいと思っていた奄美諸島最南端の与論島へ向かうことにしました

那覇~奄美諸島~鹿児島のフェリーは

このマリックスラインとA Lineがそれぞれ隔日で運航しているため

日替わりなんですが、この日はマリックスの船でした

新造船を建造中との情報を耳にしてたので期待したのですが

まだ古い船で、最近はあまり目にしなくなった小あがりの団体席や和室もありました。

【9:15】本部港出航

伊江島との間を抜けて

【12:00】与論島到着 

 

本部出航前に与論島のゲストハウスに電話して

コロナ禍で観光で訪れても問題ありませんかと確認していたため

オーナーで港まで迎えて来てくれていて

更に、格安のレンタカー(たしか何か所からのチェックポイントを訪れることで24時間3000円になる)

を予約してくれてたため

レンタカーを借りてからゲストハウスに直行

地図で観光スポットやシュノーケリング、ダイビングなどを説明してくれて

お昼の候補のお店も詳しく教えてくれました。

 

朝食抜きでお腹が空いてたのので そのオススメの食堂に直行してお刺身定食を注文

さすが与論島、ブダイが入ってました(笑)

 

その後、小さな島なのでとりあえず一周してみることに

なんといっても与論島を訪れたかった理由が

 

昭和50年代前半、若者の間で一大ブームとなってた与論島がどんなとこなのか行ってみたかったのと

(あの当時は、新島とか離島へフリーSEXになんて時代だったんですヨ

 

数年前に同じ那覇から鹿児島までのフェリーに乗ってた時に

寄港した与論島の海の碧さに感激してしまったから

↓ 2018年10月にフェリーから観た与論島の海

その海を眺めたくて まずはビドウ遊歩道とヨロン駅へ

鉄道があったことも将来できることもないんだけど

鹿児島から沖縄までの国道58号線を鉄道として駅をつくったんだとか

 

なんかよく意味がわかりませんが、ようするに無理やりつくった観光スポット(笑)

小さなビーチですが岩礁に洞窟があったりして隠れた人気スポットみたい

【14:00】丁度鹿児島発那覇行きの下りのフェリーが接岸してました。

さすがに2月なので 海に飛び込みたい気分にはなりませんでしたが

ちょっと危険ながらリーフで貝なんかもいっぱいいるんだろうなぁと

羨ましげに眺めてました。

 

そうして島内ドライブへと出発したのでした

 

 

 

《またまた文字数制限となってしまいましたので【③に続く】

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コロナ禍緊急事態宣言下の出張記録 【2021年2月 ①九州トンボ帰り:伊万里・福島・北九州】

2022-09-27 10:35:39 | 旅行

約1月前に依頼を受けた船がようやく日本入港の日時が固まったため

急いで出張してきた時の記録です。

 

コロナの感染拡大で全国的に緊急事態宣言が出され

気分的にはあまり行きたくなかったけど

日本にエネルギー資源を運んでくる大切な船が支障なく運航できるようにと

飛んでゆくことに

 

 

 

2021年2月2日 16:45 泉大津港到着

出航時刻1時間前をきっていたので結構焦りました

17:20 この日はスタンダードシングルへ

名門大洋フェリーと競合してるので 車込みでたったの16,510円 安いでしょ~

船内はガラッガラ(ほとんどがトラックの運転手さん)

いつもなら展望浴場でのんびりお湯につかるのですが、コロナ禍なので下船前に入ることに

そして早々と夕食にしました

阪九フェリーでの定番カレーライス大盛りと宮崎地鶏炭焼き&サッポロ黒ラベル

翌日の仕事を考えて ビール1本で我慢

 

2月3日 06:00下船準備 

7:45 福岡ドーム通過

8:50 伊万里から長崎県松浦市の福島へ

実は、この島には国家石油・ガス備蓄基地があるんです

今回はLPGの備蓄基地へ

09:00船の接岸を待って乗船

13:30 昼食抜きで仕事完了

それにしても冬とは思えないいい天気の日でした

 

13:45 福島から伊万里に戻り

15:30 北九州黒崎へ

目的は、いつもの昼夜食堂でお弁当を買うことでした。

コロナで店内で待つのも憚られるため店の前に駐車して待ち

この日のメニューは サバ塩焼き、クジラ南蛮焼き、マカロニサラダ、ライス大

そして鯵の南蛮漬け

 

16:40 無事 新門司港阪九フェリーターミナル着

またまた出航1時間前をきっていたのでホッと一息

往路と違って そこそこ一般車もありビックリ

帰りはシングルがとれず スタンダード洋室(2段ベットの16人部屋)でしたが

気を遣って部屋に一人だけにしてくれました。

 

普段だったら、清掃が楽なようにと詰め込むことが多いのに

コロナ禍で船内で感染するのを避けたかったんでしょうね。

 

では遠慮なくと上段への階段をテーブル代わりに酒盛り

録画しておいたブルーレイで大好きな”にっぽん縦断こころ旅”をイヤホン無しで視聴

 

この時、まだ時刻は18:15(17:30出航して45分後)

乗船してすぐに展望浴場で汗を流し出航前から飲み始めてたので

すでにビールのロング缶2本とロング缶チューハイのんで芋焼酎堪能中(笑)

仕事の疲れとお酒のおかげでグッスリ熟睡

 

2月4日 06:00 下船準備(大阪南港)

一般客もそこそこ乗ってましたが、個室状態の部屋に居ただったのと

レストランにも行かなかったので濃厚接触なしでした~

家に帰って朝ごはんを食べ、そのまま出社してレポート作成

お昼は彩華ラーメン大(笑)

 

ということで

2021年2月2日~2月4日

船中2泊 現地0泊

九州上陸時間 わずか11時間の旅でした

 

【なぜいつものようにフラフラとしなかったのか、それは次の記事で】

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行き当たりばったり 石鎚山とUFOライン

2022-09-26 15:10:22 | 旅行
2022年9月22日午後
 
 
いつも前日か当日になってバタバタと仕事を依頼してくる会社から
連休中の24日に松山港に入る船への緊急依頼があり
 
いつまでたっても学習しないお客なので
お断りするところなんですが
 
実は7月末から北海道での依頼を受けながら
また翌日の朝8時に釧路に入るだとか、留萌だと言われ
『物理的に無理だろ』と少々頭にきながら引きずってた船だったため
 
トラブルを抱えた機器を取り扱ってる船の乗組員が可哀相だなと
仕方なく承諾し
 
23日夜、大阪南港のフェリーターミナルから
ここ数年、もう飽きるほど乗っているオレンジフェリーに乗船
三連休とあって、ネットではデラックスシングルは満室との表示だったけど
当日の電話予約で空きがあることを確認してホッと一息
 
到着した東予港では 着岸の6時の下船では慌ただしいなと
ゆっくりと滞船して7時に出発
 
東予からでもお天気がいいと石鎚山系がみえてなんか嬉しくなっちゃうんですが
いつも仕事を終えたらそそくさと帰ってしまうため
いったいいつになったら行くことができるのかなぁ
 
この時点では思っていたのですが。。。
 
松山でゆで太郎を発見して
喜んでカレーセットを注文し 朝ごはん
 
 
そんなこんなで08:00に松山港に到着し停泊中の船に訪れてみると
これまでにも何度も経験させられた
機器を取り付けたメーカーの非常識な設置ミスと
乗組員が機器の構造と仕組みを理解していないため
船のエンジンが危急停止して大騒ぎしただけのことで
実質1時間たらずで問題は解決してしまい
アレコレ説明して船を下船したのがまだ午前中の10:30
 
 
帰りのフェリーも往復でチケットを購入していたので
出航までとすると11時間あまりの待ち時間
 
コロナ禍で道後温泉に行く気にもなれず
高知の大豊の”ひばり食堂”へカツ丼でも食べに行こうかなとも思いましたが
 
これはもしかしたら『UFOラインを走ってきなさい』との神の思し召しかもと
マップでルート検索してみると・・・

ふむふむ3時間くらいで行けるんだとわかり


一路 UFOラインを目指して車を走らせ
 
11:22 松山道 松山IC通過
11:56 国道33号線と440号線の分岐点

12:47 石鎚スカイライン方面の大鳥居をくぐり
 
まずは面河渓を訪れてみることに
ほぼ何も知らずに行ってみたところ
古くからの石鎚山への登山道もあり 仁淀川の源流と知ってビックリ





車道のほぼ終点近くの橋の袂に車を停め
川遊びに興じている子供を発見
 
 
超羨ましくて、年甲斐もなく飛び込みたかったなぁ
たぶん、爺さんが世を儚んで自殺でもするつもりかと思われそうだなと思いつつ
雨台風の影響からか ブルーというよりもグリーンでしたが
とっても綺麗なところでしたよ~


 
13:10 面河渓をあとにして石鎚スカイラインをひた走り
 
 
13:30長尾尾根展望所に到着
ここから御来光の滝と石鎚山の雄大な姿がみられるんです
↓の写真中央の左側に滝があるんですが
この谷がさきほどの面河渓につながるところ
 
あの登山ルートもよさげだなぁと思っていましたが
間違いなく地獄の急登だなとわかり
アッサリと断念しちゃいました。
 
もうね、嫌でも年齢を感じさせる昨今なので
根性だけでは無理だなと悟ってしまうようになっちゃいました。。。
 
その展望台の反対側はスカイラインが見えるのですが
ガードレールがしっかりしてるのであまり怖くなかったんだけど
路肩が崩れたら谷底に落ちるようなギリギリの道なんです


まあ、UFOラインに比べたら屁でもないんですけどね
 
石鎚スカイライン終点の土小屋の駐車場からの石鎚山
 
土小屋は石鎚山登山ルートとしてもっとも短時間で日帰りできるため
連休とあって駐車場もほぼ満車状態
 
実際の終点はここから左折して国民宿舎の先にある駐車場までなんですが
この石鎚神社土小屋遥拝殿のある分岐点には
Mont Bellやカフェもあってビックリしました
【13:48】通過
 
ここから先は 高知からの県道40号線と合流する林道

【13:55】よさこい峠





ここからが いの町の町道(元は村道)瓶ケ森線 通称UFOライン

この地図がとても詳しくこのルートを表してました

ここは このUFOラインにある人気の”山荘しらさ”からみた石鎚山
 
 
 
まだこのあたりはすれ違う車やバイクがあってもなんとかなりますが
このガードレールは崖ギリギリの道で
股がスースーしちゃいました




この↓山が 瓶ケ森
 
さきほどの面河渓は仁淀川でしたが
この辺りは徳島から大阪湾に流れる吉野川の源流
 
まさしく四国の屋根なんだなぁと実感させられました。
 
さて、ここから先は説明するより絶景を楽しんでみてください










 
今回も突然思い立って来てしまったため 
ウエアは勿論のこと山歩きの靴もトレッキングポールなどの装備もなく 
雲も湧いてきて 車で走るたけにしちゃいました。
 
画像にはあまり写っていませんが
連休の好天とあって それはもう全国からのバイクや自家用車だらけで
あまり運転の上手ではないドラーバーも多く
離合に相当神経を使わされ ヘトヘトになっちゃいました。
 
【15:30】UFOライン 旧寒風山トンネル前入口到着


このまま素直に高知側を下り、新寒風山トンネルを走ろうとも思ったのですが
以前、冬季閉鎖期間中に通ったことがあったので
 
今回はほとんど車の走らない旧寒風山トンネルを抜けることに
台風の直後だったのと 通行量が極端に少ないため枯葉や枝が積もっていましたが
そこは4WDにラジアルタイヤのジムニーなので難なく通過

途中で轟音がるなと車を停めてみると
名もなきような滝があり 雨台風のおかげもあって
驚くような水量と轟音で迫力がありましたよ~
 
そうして 新寒風山トンネルの愛媛側194号線に合流し
西条市の平地に近づいたところで
石鎚山ロープウェイの標識をみつけ
これはいつか石鎚山登山するためにも一度下見しておかなければ と
また山側に分け入ったのですが・・・
 
そこそこ距離もあり 狭い箇所も多くてビックリ
定期路線バスも運行してるけど 運転手さん大変だろうなぁ
 
【16:36】ロープウェイ入口到着
温泉があったので入りたい気もしたけど
下山してきた人がそこそこいたので諦めて 東予に戻ることに
ただ、この辺りのV字渓谷の深さは凄かったですよ~


 
その後、東予に戻ってからラーメン&炒飯、鶏唐揚げセットを昼夜兼用の食事にして
スーパーで晩酌用の酒とツマミを購入して 
今朝下船したのと同じオレンジフェリーに乗船
この日は連休で バリアフリー個室となりましたが
疲れていたのでしっかり安眠できました。
 

 
24日06:00下船
朝早くから家に帰ってもつまらないなと
 
阪神高速と第二阪奈道路で30分で帰宅できるのに
久しぶりに 南港通りからディープな大阪巡りすることに
北加賀屋、東加賀屋、岸里、玉出、
天王寺動物園の裏から上町台地をのぼり
今里筋をガモヨンで曲がって大東から阪奈道路で奈良へ
 
いや~、早朝でもアタリヤやクスリの売人がゴロゴロしてる治安の悪い一帯を
走るのはスリルがありますね~
 
 
 
実は、マクド(関東ではマック)で朝食にしたかったからなのでした。
しばらくパンケーキのバリューセットが定番だったのですが
大阪市内では食べたくなかったので
 
家の近所の奈良宝来店で
この日は、久しぶりにソーセージエッグとエッグマフィン
8:00に帰宅となりました。
 
 
さて、今回の旅の総評ですが
石鎚スカイラインとUFOライン
超オススメです
 
ただ、半端なく神経を使う道なので、
できるなら通行量の少ない平日に行くほうがいいですよ
 
 
自分への教訓:どうせ車で移動するんだったら、もしものために山歩き道具を持っていくべし
 
 
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【編集中】バルト海国際フェリーの旅(回想)2017年10月【2/3 Stockholm GAMRASTAN街歩き~Estonia Tallinnへ】

2022-09-22 13:23:07 | 旅行

FinlandのTurkuからVIKING LINEのLNGフェリーでStockholmに到着

早朝の6:30では店も開いておらず行く場所もなく

とりあえずStockholm旧市街のGamla Stanまでトボトボ歩くことに

 

この船、てっきりフローティングレストランだと思っていたのが

船名から調べてみたら1953年建造の客船で

Helsinki, Turku, Stockholmで運航していた蒸気船

その後ディーゼルエンジンに換装して 更に馬力アップしたりと

改造を続け、つい最近まで客船として運航していた様子

https://en.wikipedia.org/wiki/MS_Baltic_Star

物持ちが良いというかなんと言ったらいいのか、ビックリさせられました。

 

↓ この鉄塔のような建造物はランドマーク的存在のカタリナエレベーター

元は1883年に蒸気機関で動いていた歴史あるエレベーターで

その後電動となり、さらに1936年にSlussenが作られた時に再建されたもの

Gamla Stanへの交差道路と閘門のインターチェンジのモダンな橋が再開発による工事中で

残念ながら2010年から補修工事のために運休中なんですよ






そうしてようやくStockholmの旧市街Gamla Stanに到着

 

面白い出窓があるなぁと眺めてみると

なんと今はベトナムレストラン

その先には普段なら恥ずかしくてじっくり見れない下着屋さんがあったり

Stockholmは他の北欧諸国同様に社会保障が充実してるため

移民が急増してるからか中東アラブ系、アフリカ系、アジア系のレストランが結構あります。

 

Gamla StanはStockholmを代表する観光地なので土産物屋もチラホラ

こちらはノーベル賞博物館

そしてその隣にSwedenの王宮があるんです。

こちらはスマホの地図アプリで現在地を確認した時のスクリーンショット

朝抜きでお腹ペコペコだったので

コンビニのイートインでスムージーでホットドックを食べ

7・8年ぶりのGamla Stanを探訪

雨が降ってきたものの傘を持っていなかったため

どうしようかと思った矢先

ようやくまともに食事ができそうなカフェを見つけて

店内に入り

アフリカ系の店員を呼んで

メニューや値段を確認せずにショーケースに入っていた

スライスした茹で卵にエビをトッピングしたオープンサンドと

生ビールを軽く一杯

そして食事を終えてお勘定をしようとしたところ

たしか380スウェーディッシュクローナと言われ

目が点(日本円にして5000円弱)

 

「なんでそんな金額になるんだ!」 と文句を言うと

メニューを出してきてそれなりの金額が書かれててビックリ

 

事前に確認しなかった自分が悪いんだけど

ボッたくられた気分で

 

肩を落としながら ノーベル賞の授与式で有名なStockholm市庁舎を眺め

市内用のフェリーにでも乗って海からのんびりとStockholmの街を眺めようと思いながら

ボッタクリに遭った後遺症でモチベーションが下がってしまい

Stockholm中央駅に向かいました。

前回は、ここから特急電車で南端のMalmoまで行き、

乗り換えてDenmarkのCopenhagenに渡ったんだったなぁと懐かしく眺めていたら

『置き引きに注意してください』とのアナウンスが何度も繰り返され

中近東系の不良グループが獲物を探してそこらじゅうにタムロしているのを発見

ドイツのメルケルが人道支援だとして

アラブ系やアフリカ系の避難民を装った不良外国人を無差別に受け入れてしまったため

いまやヨーロッパ全域が置き引き、ひったくり、強盗だらけ

Swedenも大変な状態になってしまいました。。。

それならコインロッカーに荷物を入れようかなとしたところ

な、なんと小さなロッカーなのに4時間で約800円

元々北欧は税金も物価も高いのを承知しながらも

さっきのカフェでぼられたのが尾を引いて

今日は三隣亡かもと

それ以上市街地に滞在する気が失せてしまい

早々とEstoniaに行くフェリー乗り場に行くことにしちゃいました。

 

地下鉄に乗って

【12:15】Tallink Silja Lineのターミナルから最寄りのRopsten駅で下車

 

公衆トイレに入ろうと思ったら小銭が足りないのに気づき

お昼時だったので両替を兼ねて近くのタイ飯屋に入っちゃいました。

適当に注文したら サラダバー

どこの料理かわからないような牛肉炒めのワンプレートでしたが

久しぶりのお米を美味しくいただきました。

調べてみたら徒歩で1キロほどだったので路線バスやタクシーに乗るのも面倒になってトボトボと歩いてターミナルへ

徒歩客はそこから650mほどの長い歩道橋を歩いていくんです

 

実はこのフェリーの予約は、Turkuからのフェリーの船内で

Stockholm到着前にネットでしておいたんですよ。

いつもながらの行き当たりばったり(笑)

その日乗船する船が見え

【13:50】Tallink Siljaのターミナル到着

まだ時間に余裕があったので

お酒でも飲もうかなぁ と思いつつ

物価高のSwedenで高いお金払って飲まなくてもいいや

と珍しく我慢しちゃいました。

【13:50】とりあえずチェックインして

乗船時間まで待ち

【15:15】場内アナウンスで乗船開始の案内

この船は、HelsinkiとStockholmをむすぶ Silja Serenade

Helsinki - StockholmはViking Lineと競合してるんですねぇ

私の乗る船は、 Silja LineのBaltic Queen

頑張って8Fの個室としました

 

運航しているのはEstoniaの会社であるSilja Line

客層によるものなのか 豪華船仕様にはなっていませんでしたが

それなりにレストランやPUBは充実してました。

【19:00】Stockholmではあまり飲食を満足にしていなかったので

開店早々レストランに駆け込み

エスカルゴと

ラム肉の料理にしたのですが・・・

まあ、あんなもんかなって感じでした

食事で飲み足りなかったのでPUBでカクテル

客層もほとんどがエストニア人とたぶんベラルーシやロシア人

歌もまあそこそこって感じでしたが

 

翌朝のバイキング

【10:00】下船 徒歩客が多くてビックリしましたが

ロシア系の乗客が多かったのか、アコーディオンを奏でながらロシア民謡の合唱での見送りは

この船旅で一番良かったです

 

中途半端ですみません。

 

急に出張の依頼が入ってしまったので

またあとで完成させたいと思います。

 

とりあえずEstoniaの首都 Tallinnの風景を貼らせていただきますね。

 

 

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バルト海国際フェリーの旅 (回想)2017年10月 【1/3 TurkuからSwedenへ】

2022-09-20 16:51:21 | 旅行

コロナ禍で簡単に海外に出かけられなくなり

ついつい昔の事を思い出しては旅の回想をする記事ばかり

 

備忘録を兼ねているつもりだけど

もう終活のひとつなのかも・・・

 

ということで

5年前の2017年10月に

バルト海を国際フェリーで旅をした時の記録を残させていただこうと思います。

 

【いつものように前フリが長いので、文章部分はスルーしてください

【文章のあとは旅の風景などをご紹介しますので、それらの画像を楽しんでいただけたら幸いです

 

2017年8月

某産業機械グループ会社に転職した1994年夏

入社して1週間もたたないのに韓国への出張を命ぜられ

それもOEM販売することとなったFinland製品の初回の試運転に

本国から来る担当者と立ち合いのアテンドをしろとの超いい加減な業務命令

(まともに英会話のできるスタッフがおらず、「英語が得意だから任せた」だって

 

そんな訳で大阪から釜山に飛び、当時は陸路で片道4時間ほどかかる巨済島の某造船所に行き

おっとりとしたお人好しの担当者と劣悪な環境下で約10日間ほど苦楽を共にした仲となり

その後もお互いにFinland側、日本側の窓口となっていたのですが

Finlandが1995年からEUに加盟することになり為替でも不利となり

好き勝手仕様変更を要求するため追加費用で価格を上げざるを得ず

なのに一定額のコミッションを是が非でも入れろと要求する上司

更にはコピー製品を造る競合も出てきて売り上げが激減し

 

それまでは日本市場での独占販売権を主張していたものの

維持するのは困難だと管理職になった時に会社を説得してOEM契約を解除し

彼らも独自で代理店をみつけ直接的な関係は無くなっていたのですが

 

金儲けしか考えないただの商社では売れる訳もなく

その後も日本に営業で訪れるたびに『一緒にご飯食べませんか』と誘われ

仲の良い友人としてお付き合いを継続していたのですが

 

私が2000年にそのOEM販売をしていた会社を退職し、起業して独立した時に

元々創業者の孫で、知り合った当時は彼の兄が社長だったのが

いつしか彼が社長に就任したと耳にして

『日本市場の代理店したろか?』と上から目線でオファーしたところ

大喜びで承諾してくれ

 

こちらもガムシャラに会社を維持しなければと燃えてた事と

数年して運よく世界的な造船ブームの波に乗り

しばらく年間1億弱の売り上げを達成していたのですが

 

競合会社の接待攻勢と他分野の機器をパッケージで売り込む戦略に太刀打ちできず

造船ブームも過ぎ去って需要が激減し

仲良しだった社長になった友人も

将来的に必ず設置が条例化されると思われたバラスト水処理装置の開発に

巨額投資していたものの、とうとう条例化されず責任を問われて辞職

会社から創業者一族がいなくなり、M&Aで投資会社の傘下となってしまいました。

 

そんな浮き沈みを共に歩んできた会社が

新しい雇われ社長の就任によって拡販を図るため世界中の代理店に声をかけ

マーケティングセミナーを実施するとの招待状が届き

それならばとFinlandに行くことに

直行便はやっぱり便利ですよね~

【15:00】Helsinki 到着

【15:20】Turku行 高速バス乗車

しばらくして社内アナウンスで バスの車輛を交換すると言われ

荷物は乗り換える後続の別便で送るからと路上に置かれてビックリ 

まあ、なんせラフなFinlandのお国柄 そんなことで驚いてたら身が持ちません(笑)

 

【17:35】Turkuのバスターミナル到着

久しぶりのTurkuの市街地を歩きながらホテルに向かいました。

【17:55】予約されていたホテルにチェックイン

軽く仮眠してから

【19:00】晩御飯を食べようと外出

やはり移動疲れもあり、時差ぼけで睡魔に襲われ

レストランで食べるのが面倒くさくなって スーパーマーケットで

食材を買ってホテルの部屋で食べることにしちゃいました。

 

翌朝【07:30】ホテルでブレックファースト

シンプルだけど北欧のパンも美味しいんですよぉ~

 

迎えに来たバスに乗車してホテルから40キロ離れたセミナー会場に到着

 



 

参加した代理店各社の自己紹介とメーカー側のマネージメントスタッフの紹介を済ませてから

今後の展望や業界のトレンド、動向などを聴講

ブレークの時間は相互の親睦を深めるための時間

Buffetスタイルの食事を楽しみながら 旧知のスタッフと会話してのんびりと過ごし

【17:00】セミナーを終了してから 隣の施設に移動

夕食には早いなと思ってたところ

TurkuのArchipelogo(諸島)巡りのボートツアーが予定されていて

全員防水&防寒服に着替え乗船

(女性と年配のメンバーは屋根付きのボート)

約1時間のクルーズを楽しんだ後で出航したポンツーンに戻り

【19:30】まずは食事

そして写真には残していませんでしたが

深酔いする前にと

この施設の売りのひとつである 薪焚きのサウナに入り

フィンランド式に水をかけて熱々のスチームを浴びながら

熱くなったら 水風呂の代わりにおもてのビーチに入り

ジャグジーとサウナを繰り返し

 

その後Turkuの市街地に戻り PUB巡り

昔訪れた時に入った OLD BANKが懐かしかった~

このTurkuという街、人口比率が考えたら信じられないほどPUBやNight Clubがあって

Finland人がどれだけアルコホリックだとわかっちゃうんですよ

何人かはまだハシゴ酒していたけど、こちらは翌日の予定があったので【01:00】に退散

 

翌日の朝食は【08:00】となりました。

【8:30】Pick Upのバスに乗り込み 本社訪問

初めて訪れた頃と比べると、建物も従業員も増えビックリしながら社内を歩き

現組織のオーガニゼーションチャートから

各部門のプレゼンや工場見学

そうこうして【17:00】二日目のプログラムを終了して

またまた市街地に繰り出して 夕食とPUB巡りとなったのですが

実はその日の夜の国際フェリーでSwedenのStockholmに行くこととしていため

そこでみなとお別れ

 

ホテルに歩いて戻ったのですが

こんなAsia Foodの店ができていてビックリ

 

その昔、Turkuの隣のNaantaliにあるムーミン村は日本人観光客がよく訪れていると聞いていたものの

Turkuの街中は、フィンランド人とスエーデン人ばかりで

閉鎖的な印象だったんだけどなぁ

(以前は有色人種に対する偏見も酷かったんです

EUに加盟して気軽に国境を跨いでの移動ができるようになり

不良移民も増えて

世界中インバウンド観光客も溢れていた時期だったので

世の中なんて、アッというまに変わっちゃうもんなんだなと再認識

乗船時間にはまだ余裕があったのですが

なんせ国際フェリー

乗り遅れたら大変と中座したのですが

PUBに入りたかったなぁと恨めし気に横目で眺め

 

TAXIを拾ってフェリーに乗船するためにVIKING LINEへ

【18:50】乗船手続き

タッチパネルの言語から 利用者層がわかるでしょ

一応、隣国に渡るためチェックインの時にパスポートの提示を求められます。

夕食抜きとなってしまったため

出発ロビー内で軽食とビールとしたのですが

やっぱ足元みるんだもんなぁ

 

こんなんで約10ユーロ

【20:40】ようやく乗船開始

自分の部屋に到着

狭いながらも個室となりました

今回乗船したのがまだ新造船だった”VIKING GRACE”

最近日本でも、新造したさんふらわあがLNG燃料のエンジンだと自慢げに宣伝していますが

Finlandでは5年前の2017年に既に就航してたんですよ。

船内のエンターテインメントなどの案内もありましたが

連日のハードスケジュールに疲れシャワーを浴びてすぐに寝ちゃいました。

で、4時に目覚めてしまい 

今回の主目的だったセミナーの資料と参加記念品を再確認してから

【4:20】船内探検開始

船内Wifiもあり

こちらはBAR DECK

有料のコインロッカーもあり

国際航路なのでカジノも

エステやサウナは勿論

もう閉まってましたがNight Clubも

なんせ大酒のみでアルコホリックなFinlandのフェリー

免税で飲めるバーやラウンジだらけ

結局パブリックスペースは全て閉まっていて何もできず

暇つぶしにカジノで遊んでみたのですが・・・

当然のことながら撃沈

 

元々ギャンブルは好きじゃないのでテレビゲームでもした気分で

適当に切り上げて下船準備

 



 

【6:30】定刻どおりStockholmに到着

フェリーなのでRORO船(自走する車両で積み下ろしができる船)

それにしても変わった構造をしてるなぁと眺めながら

バルト海のフェリー

その昔、この船首(バウ)の水密が不完全で沈没した船があったなぁと思い出しちゃいました。

http://www.shippai.org/fkd/cf/CA0000449.html

ただ、最近こんな恐ろしい仮説も

(https://www.afpbb.com/articles/-/3307076)

こうして無事Stockholm上陸となったのですが

Swedenは、仲良しのSweden系Finland人が働いていた会社があったため

会社訪問や会食、街歩きや電車でDenmarkに行ったこともあり

この時の旅では、当初TurkuからStockholmに渡り

Stockholmからバルト三国のLatviaのRigaに渡り

RigaからEstoniaのTallinnに陸路で移動してHelsinkiに戻る計画を立てていたところ

 

偶然だったのか必然だったのか

突然Tallinnの会社から代理店をして欲しいとのメールが入り

アポイントがその翌々日となりRigaを経由する余裕がなくなってしまい

ルートをStockholm→Tallinn行のフェリーに変更となってしまったため

Stockholmは単なる駆け足での通過点となりました。

ということで、またまた端折ってフェトチャンネルもどきの

Stockholmの風景をご覧いただければ幸いです。

 

 

 

〔”2/3  Stockholmの旧市街 Gamrastan街歩き"に続く〕

 

 

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独りよがりの旅日記 ”(回想)2016年9月 ピレネー山脈縦断の旅” その④ピレネー西端からPauへ

2022-09-15 12:03:04 | 旅行

美食の街 スペインバスク地方のSan Sebastianの旧市街で深夜まで

BAR(バル)巡りを心ゆくまで堪能した翌日の9月11日(日曜日)

【06:00】DonostiaのPension SAN IGNACIO出発

Donostiaの都市高速GI-20に入り

AP-8を使って

フランス国境のHendayeからは有料高速道路のため料金所を通過

A63を北上していたところで日の出

【7:31】フランス側の最初のPAでトイレ休憩

そこから先のルートを再確認して

A64に入ってから

あとは一本道だとようやく安堵してToots Thielemansからにっぽん縦断こころ旅にセット

【8:25】まだ眠気がしたので 車の中で仮眠しようかと停車したのですが

少し先にSAがあることがわかったので移動して

【8:46】ようやく朝食

空港手前の大型スーパーマーケットにガソリンスタンドがあったので最後の給油をして

スーパーでお買い物

コインランドリーもあってやっぱ都会は便利だなぁと再認識

スーパーの生鮮食品ではいつもの物価調べ(笑)

鰯や鯖は安いけど 他の魚はそこそこのお値段

内陸部だし仕方ないのかな?

イカもこんなにいろんな種類がありました

 

日用品をお土産兼自分用に買い レンタカーを返却

空港到着時のメーター

こちらは初日の出発時のメーター

ということで

 9月8日の朝09:00~11日の11:00までの約3日間の合計走行距離は828kmでした。

 

因みに、Donostia(San Sebastian)からPauまで

何度かの休憩と朝食ブレーク込みで10:00-06:00=4:00

そうそう、いつもカーナビを使わないのでこの時も結構タイムロスがありました。

(距離は約160kmなので、時間帯によりますが実質2時間で移動可能だと思います。)

もし、同じようなルートの旅を計画される方がいらっしゃいましたら

ご参考にしていただけたら幸いです。

 

フライトの時刻まで相当余裕があったのでスーパーで買ったパエリアで昼食

チェックインを済ませ

【14:24】CDG行に搭乗

CDGでFrankfurt行に乗り換えて

【20:00】Frankfurt到着

【20:45】荷物を受け取って到着ロビーに出て

電車でその日の宿のKonstablerwacheへ

Sバーンの電車で空港から直通で行けるので決めた Best Western Scala

【21:30】ホテルチェックイン

いつものように荷物を部屋に放り込んで

近くのイタリアンレストランへ

【22:00】ようやくまともな食事となりました

 

まづはVino Rossoとサンペリグリーノ

前菜はタコのカルパッチョ

メインはステーキにしちゃいました~

食後は、エスプレッソとグラッパ

そしてシメはウエイターお勧めのRAMAZZOTTIのカクテル

独りなので誰と話すこともなく黙々と食事しても

お勘定したのは【23:30】過ぎ

 

朝6時にDonostiaを出発してPauまで運転 

その後飛行機を乗り継いでFrankfurt

Sバーンでホテルまでの約16時間の移動

肉体的には疲れていましたが、美味しいディナーとお酒

そしてピレネー山脈の旅を満喫してたので精神的にはとても充実してたので

ホテルに戻ってシャワーして、即座に安眠となりました。

 

 

9月12日(月曜日)

【8:00】起床

【9:00】ホテルをチェックアウト

【9:10】Konstablerwache駅到着

ここまでは順調だったのですが・・・

 

平日の朝なのに待てど暮らせ電車が来ず

到着してもストライキで出発する気配がなくて大焦り

【10:00】 ようやく動いた列車でなんとかFrankfurt中央駅まで辿りついたものの

ストライキで動く様子がみえず

電車で空港へのアクセスができないと判断しタクシー乗り場へ

(大行列でイライラしながら待たされました)

【10:35】Frankfurt Airport到着

なんとけCheckinを済ませ

朝食抜きだったのでラウンジへ直行

搭乗時間スレスレでしたが、ガッツリ食べちゃいました

 

この日の移動

 

 

ということで、この時の旅はここまで

9月4日~9月13日 9泊10日(帰路の機中1泊含む)

いつもながらの慌ただしい旅となってしまいましたが

特にピレネー山脈の周辺で過ごした四日間が最高に楽しかったです

(Donostiaは、あまりに世界中から観光客が集まりすぎてバル巡りするのも大変

田舎のバルで、地元のオッチャン達相手にのんびりした方が個人的には好きかも)

 

いつかArtousteかSallento de Gallegoをベースにトレッキングに行こうと思っていながら

まだ実現できていないことを再認識

 

 

さて、コロナが落ち着いてくれたら

またスペインへ遊びに行こっと

 

 

オマケ 

2016年11月10日 

家にスペインから見慣れない封書が届き

仕事関係かな? またゆっくり見たらいいやと思っていたものの

どうにもスペイン語じゃないところが気になって開封してみたところ

ピレネー山脈の旅で借りていたレンタカーの写真があり

よくよく読んでみると バスク語の様子

な、なんとオービスで速度違反のキップを切られちゃってました~

80キロ制限のところを155.5キロ(97キロオーバー

罰金は100ユーロなんだけど、即座に支払ったら半額の50ユーロでいいとのこと

慌ててすぐに支払いました~

 

海外でレンタカー借りてもしっかり追いかけられちゃいました

日本の免許への減点はありませんが、みなさんもくれぐれも違反にはお気をつけくださいね

 

(因みに、これまで韓国の麗水でオービス、アメリカマサチューセッツのCape Codで駐車違反で罰金払ってきました

 

 

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独りよがりの旅日記 ”(回想)2016年9月 ピレネー山脈縦断の旅 その③美食の街サン・セバスチャンへ

2022-09-14 15:38:28 | 旅行

ピレネー山脈の旅3日目(9月10日土曜日)

朝7:30に起床して

外を眺めると 公共駐車場にはキャンピングカーがいっぱい

週末を過ごそうと来てるんだろうな、羨ましいなぁと眺め

レセプションが開く9:30にチェックアウト

シンプルなブレックファーストをいただき

お礼を言って出ましたが

スペインらしい親切なホテルでしたよ

 

その日はピレネー山脈の南、スペイン国内からビスケー湾(大西洋)に向かうこととしたたのですが

前々日も前日もや曇り空だったので

フランス・スペイン国境の峠(Frontera del Portalet/Col de Pourtalet)に

最後の別れを告げに行こうと車を走らせていたところ

formigalの冬季はスキー客の駐車場となるスペースがオートバイで埋まっていてビックリ

毎年開催されているBMWの一大イベントでした

https://www.youtube.com/watch?v=YEvCuiXSNo4

 

この日はしばらくバイカー達と一緒に走ったり、すれ違いましたが

路を譲ってあげると左足を挙げて感謝の意を表すのが面白かったです

 

日本だと左手を挙げることが多いけど、やっぱりバイクでは一瞬でも手を離すのは危ないもんなぁと納得

 

 

そしてフランス領でCol de Pourtaletの景色を愛でてから

スペイン側に戻りFormigalとランドマーク的独立岩峰Peña Foratataにも別れを告げ

Puente de Santa Elenaの橋や

湧き水の泉に立ち寄りながら

 

N240でJacaを経由西に向かいA21でAragon州からNabarra州に入り一路州都のPamplonaを目指すことに

途中でガソリンスタンドに立ち寄って給油したのですが

スペイン語の説明書きが理解できず

 

この頃はアメリカ滞在が長かったため

つい先に支払いを済ませないと給油できないと思い込み

クレジットカードを入れても動かず

どうしたんだろ?とアレコレ悩んだ末にスタンドのコンビニでセニョリータに尋ねると

『支払いは給油した後ですよ』と言われ

 

「早く言ってよ~」と思いつつ

フランスやスペインは後払いだったと思い出しました。

 

A12のPamplona方面とA15のDonostiaの分岐点

 

【12:55】Pamplonaのサービスエリアでランチとしました

パエリアとソーセージ&フライドポテトをガッツリと(笑)

 

高速道路でとても快適に飛ばしていると制限速度100の数字が

マイルかなぁ?それともキロなのかなぁ?と思いつつ

気にせずぶっ飛ばしちゃいました

 

この辺りから下り坂となるため緊急待避所があったり

速度制限の標識が多々設置されていたのですが

なんせ日本でもMini Cooper S でいつも150kほどでぶっ飛ばしちゃったのですが・・・

(この後の展開は乞うご期待

【15:00】Donostia (バスク語でサン・セバスチャンのこと)到着

海と海水浴客が目に入りだし

ネットで予約しておいたホテルを探すのですが一方通行だらけでラチがあかず

スマホでルート検索しながら

ようやくホテルに到着

ところが周りに駐車場がみあたらず

たぶん週末の観光客や海水浴客の車でいっぱい

ホテルに電話するとオーナーの優しいオッチャンが出てきて

駐車スペースを確保してくれてました

実は、当日の朝も運転中に電話がかかってきて

交通手段は何?何時頃到着するの?と聞かれたのは

この駐車スペースを確保するためのものだったんです。

スペインってホント優しいから好きなんだなぁ

ホテルは二つ星の古くてチープで冷房もなしでしたけど

気持ちよく泊まれました

ほぼ5時間運転しっぱなしでしたが

時間が勿体なくてすぐに外出

 

ホテルのすぐ前に観光名所にもなってるMaria Christina橋があり

川沿いにスペイン国鉄のDonositia駅

川に沿って河口に行くと Zurriola Beach

トップレスが常識の土地なので目のやり場に困りました(ウソコケ

川を挟んで反対側が旧市街

美食の街として有名なDonostia

週末&海水浴シーズンで旧市街も大混雑

スペインのバル(BAR)なら昼間っから飲んでても普通なんだけど

もしかしたら夜遅くなったら日帰り客が帰ってくれるかも

と淡い期待を抱きながら

La Concha湾を散歩して時間潰しすることにしました

リーズナブルな観光船もありましたが、とりあえず歩いてみようと

可愛い小舟の並ぶマリーナから岬の先端まで

季節によって大荒れするビスケー湾

昔、真冬に英国のテームズ港からジブラルタルに向かう航路の船に乗船して

キャビンの端から端まで吹っ飛ばされる経験もしましたが

時期的なものなのか穏やかな海を日没まで眺め

【20:30】旧市街に戻りました。

なんせバル巡りで有名な土地

酔っぱらって立小便が横行するんでしょうね

こんな看板がありました

バルのある通りに行ってみると まだまだ大混雑

 

 

ネットで下調べした有名店は立錐の余地もなく

泣く泣く断念

↓ これみんなピンチョスとグラス片手に立ち飲みしてるんですよ

こりゃダメだ と博物館前の広場に行ってみたところ

爆竹の中 被り物で牛追い祭りの真っ最中

大笑いしちゃいました

時刻は夜9時をまわってしまい

このままじゃあ食べ損ねちゃうかも

根性をだして一軒目のバルに入り

ピンチョス3品をアテにセルベッサ(ビール)、ワインを何度もおかわり

 

そこそこお腹はくちてくれたのでバルを探し歩いていた時に気になってた生ハムの店へ移動し

立ち飲みセットをテイクアウト

 

そうしてまだまだバル巡りの長い夜は続くのでした

 

《この日の旅の経路》

 

 

〔その④に続く〕

 

 

 

 

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独りよがりの旅日記 ”(回想)2016年9月 ピレネー山脈縦断の旅” その②Petit train d'Artouste

2022-09-13 16:01:20 | 旅行

ピレネー山脈滞在二日目

 

ピレネー山脈の観光地と言えば

アンドラ公国やガヴァルニー圏谷、ゴーブ湖が主流

それをわざわざどうしてD934でFrontera del Portaletを選んだかと言うと

実は、Petit train d’Artouste(アルトーストトロッコ列車)の存在を

Youtubeで知ったからなんです

 

ということで、実は前日にも先にArtousteを訪れ、翌日にTorlaと思っていたのですが

天候があまり良くなかったので先延ばししたのですが

 

この日もスペイン側は曇り空

かといってそれ以上待つのも時間の無駄なので諦め

【8:00】Sallento de GallegoのTres Quinonesを出発

【8:45】リフト乗り場に到着

(フランス側Larunsからの定期路線バスもありますがスキーシーズン以外は休日しか運行してないので要注意

 

ここ ↓ がリフトとプチトレインのチケット売り場

下界は雨だったので、スタッフの女性が

『残念だけど、上も雨かもしれませんよ』と言ってくれましたが

ダメ元で始発のリフトとプチトレインの乗車券を購入

 

リフトに乗っても雨模様で ほとんど諦めてたのですが・・・

流石は標高2,000m以上の高地

下界は雲で覆われていましたが上はピーカンの晴れでした~

朝ごはん抜きだったので、リフト駅の売店でコーヒーとスナックを購入

デッキで絶景を眺めながらの朝食となりましたが気分は最高でしたね~

実は、この場所はフランス側で人気のスキー場

そしてプチトレインは水力発電の目的で建設されたダム湖工事のトロッコを観光用に運行しているんですねぇ。

9月以降は翌年の夏まで休業

真夏は行楽客で賑わうため頻繁に往復しているのですが

この時期は朝9時45分から午後3時45分まで1時間毎のみ

 

始発便もガラガラで申し訳ないような状態でしたが 

その分のんびりと楽しませていただきました

【9:45】1時間後、ダム湖の終点に到着

 

この日のダム湖からの最終便は17:15発

たぶんトレッキングのグループが帰りの予約をしているようで

定員オーバーしたら大変なんだと知りました

 

プチトレインの最終便までトレッキングするつもりで

ジャスパースニーカーを履いていったのですが

思いのほかザレた地質で、斜面ではグリップが効かず大焦り

とりあえず危険を感じないで歩けるハイキングルートを歩いてダム湖にのぼり

ダム湖を一周できないかと踏み跡を辿って登っていったところ

羊の足跡だと気づき、岩場にへばりついている羊たちを眺めながら

それ以上進むのを断念してしまいました。

 

プチトレイン終点の売店もパンオショコラしか売っておらず

シャリバテ必至だなと遠出は無理と判断

ダム湖沿いの道を往復しようかなと思いつつ

中途半端でお茶を濁すより、いつかリベンジしようと思うことにして

 

ということで、滞在時間3時間半の13:15

諦めてプチトレインに乗り込み

途中でマーモットや、ここでも羊飼いの老人と牧羊犬をみつけ

あんな人生もあるんだなと感慨深く眺めてしまいました

やがて地質学の勉強になるような険しい山容が眺められる場所に

(牛も高いところが好きなんですねぇ

ここからトンネルを抜けるため 絶景はここまで

 

トロッコを降りたところに地図があり

プチトレインの駅周辺はLarunsのスキーの拠点のひとつで

いろんなゲレンデがあるんだなぁとビックリしました

そんなこんなで14:15 リフトに乗って下界へ戻ることに

リフトが到着する寸前 なにやら車が渋滞している様子に

どうしたんだろうと眺めてみると 家畜の移動中みたい

これは是非とも見ておかなきゃと急いで車を走らせると

どうやらLatxa(バスクの羊)

ただ、この先はこのルートの最も狭い谷間でUターンすることもできず

 

後ろからの車に押されて水力発電所を過ぎて

Eaux Chaudesの渓谷美と歴史を感じさせるスパの施設と

キャンピングカー用の給水給電自販機を珍しそうに眺め

また道を戻ると 再びLatxaの群れの移動中 

偶然そんな風景に出会えるとは運がいいなと大満足

 

フランス側はずっと雨模様でしたがスペイン側は気持ちの良い晴天

Sallento de Gallegoに戻り

村を歩いてみました

このSallento de Gallegoのすぐ隣、峠側にはFormigalという

スキーリゾートホテルや高級別荘地の建ち並ぶ場所があるのですが

 

このSallento de Gallegoは歴史ある村で

スペイン側のトレッキングの基地となっていることを知ってホテルを予約したわけなんです。

なんせ冬季はスキーリゾートとなるような降雪地帯

こんな石畳の道をどうやって車が走れるのか興味津々でした

この日は金曜日でホテルの一階にあるRistrante Tres Quinonesの営業日

のんびりと部屋で寛いでから 21:00にレストランへ

 

この辺りの常識なのか、セットメニューから前菜、メイン、デザートを選択するスタイル

ちゃんと英語メニューもあって助かりました

メインはラムのASADO(炭火焼) 美味しかったですよ~

【23:00】食事を終えて部屋に戻り

朝食、昼食には恵まれなかったものの

Artousteのプチトレインと素晴らしい眺望、羊飼いの風景を堪能し

美味しいディナーにも大満足して、この日も爆睡となりました。

 

この日の移動内容

 

 

〔その③に続く〕

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独りよがりの旅日記 ”(回想)2016年9月 ピレネー山脈縦断の旅” その①

2022-09-12 17:50:44 | 旅行

以前の記事でもご紹介しておりますが

わたくし、2000年に起業して以来、船舶関係の商社を生業としておりまして

特に欧州機器の日本市場の代理店をメインとしているため

2年毎にドイツのHamburgで開催される世界最大の海事展示会(SMM)を訪れ

取引先との面談や業界のトレンドの情報収集をしているのですが

 

折角自費で欧州まで行くならばと

その機会を利用して行き当たりばったりの旅をすることに

いつしか重きを置いてしまうようになってしまいました。

そんな訳で、2016年のこの年も

とりあえずSMMに二日だけ訪れることにして

その後、以前から憧れていたピレネー山脈縦断の旅にでかけた時の記録です。

 

9月4日 朝自宅のある奈良からいつもの始発のリムジンバスで伊丹空港へ

国内線で羽田空港に到着後 連絡バスで国際線ターミナルへ

【12:00発】 ANAフランクフルト行に搭乗

【17:00】フランクルフト着

電車でフランクフルト中央駅へ

【17:30】 フランクフルト中央駅前のチープな木賃宿にチェックイン

駅で翌日の特急券を買いがてら

駅構内のキオスクでオツマミとビールを購入

ドイツの新幹線ICEのチケット購入は”みどりの窓口”も日本同様いつも大行列で

ヘタすると1時間待ちもざら

 

時刻表だけみて直前に駅に着いたのでは乗り遅れてしまうので

要注意なんです

翌日のHamburug 行きチケットを購入して構内のフードコートへ

ソーセージのドック(パンよりも長いソーセージがはみ出てるのがドイツの常識

とそれと酸っぱいマッシュポテト風サラダに

ミネラルウォーターとビールのロング缶2本

欧州への往路は、飛行中から到着後もしばらく起きていれば

身体は夜更かしした状態なのでベットに横になったらバタンキューで熟睡できちゃうんですヨ

 

翌朝ホテルを出て駅の売店で朝ごはん 

フランクフルトだし、やっぱフランクフルトを食べなければと

二種類のソーセージとフライドポテトにビールのロング缶

【12:00】Hamburug 行きICE(ドイツ国鉄の新幹線)に乗車

1stクラスのコンパートメント席にしてしまったため荷物を入れられず大後悔

こんなだったら二等席にするんだった~と後悔

ドイツ北部らしいのっぺりとした丘陵地帯をひた走り

約3時間30分後の【15:30】飽きるほど利用しているハンブルグ中央駅に到着

今回は、博覧会場のHamburg Messeに歩いていける場所にと決めた

Hotel Amsterdam(B&B)

特にドイツは博覧会を地域経済のためのビジネスとしていため

世界中から人の集まるSMMの開催期間は

普段50ユーロほどのホテルでも300ユーロになる始末

こんなハンブルグ大学近くの共用トイレのホテルでも

30,000円/泊くらいしちゃうんですよ~

この日は、フランクフルトからの移動日だけだったので

勝手知ったるHamburg の街に出てどこかのレストランでも思っていたのが大間違い

 

このSMMは、世界中のメーカーが出展し、船会社や商社が訪れるため

開催日前夜と初日の夜は

出展企業が重要顧客を招待するためにほとんどのレストランはほぼ予約で貸し切り

泣く泣く諦めて 近くのケバブ店でテイクアウトの夕餉となってしまいました。

この日の移動はこんな感じ↓

こちらはHamburug のほぼ中心にある市役所

翌日、ホテルで朝食を済ませてから歩いてMesseに向かいました。

このSMM, Hamburg Messeのほぼ全てのホールを使うため

訪問する出展ブースを事前に調べておかないと大変なんです

ほとんどの博覧会は、出展企業が経費を分担する形で

名刺と交換で、無料で入場できるのですが

このSMMは、なんと基本有料

それも一日単位で入場料を徴収し、出展企業のリストも有料

 

昔は、日本人のお客に対する接客を担当してたので

その会社のスタッフとして関係者のゲートから入れてもらってたのですが

複数のメーカーの代理店をするようになってからは

一社のブースに拘束されていられなくなって

自腹(自社経費ですけどね)ならもういいかと

開催期間中の1日か2日だけにしちゃったってわけなんです。

 

この年の目玉のひとつが この世界最古のディーゼルエンジンのデモ運転

業界人しかわからないと思いますが

100年以上前の内燃機関の第一号機が目の前で動くわけで

それはもう凄いことなんです

以前は極東ロシア最大の水産会社の重役だった大親友夫婦も必ず訪れていたので

滞在中は一緒に観光したり夕食を共にするのが恒例だったのですが

既に現役を引退してしまったため

この日の夜は、旧知のフィンランド人の元社長からのお誘いで

オーストリアの某メーカー招待のディナーのご相伴にあずかり

酔った勢いでHamburgの歓楽街Reeperbahnに行こうとのお誘いを断って

ホテルに戻り、SMM後の旅のプランを練ることに

 

翌朝、B&Bのシンプルブレックファーストを食べて

キャリーバックをひきずってSMM会場に向かい

 

その後数社と気持ちだけ商談を済ませ 正午にMesseを出発しハンブルグ空港へ向かいました

【14:15】Hamburug 空港で搭乗手続きを済ませ プリッツエルとソーセージ+のランチ

【15:05】AIRFRANCEでHamburug からCDGに向かい

 

【20:00】 CDGで国内線のちっぽけなゲートに移動して徒歩で搭乗

 

1時間半ほどでPauに到着

Pauの空港から徒歩距離のホテルを予約していたものの

移動疲れしてたためタクシーに乗ると アッと言う間に着いてしまい

チップ込みで現金払いしてしまったため小銭なし

 

【22:00】この簡素なホテル

誰もいないのかレセプションは閉まったまま

どうやってチェックインしたらいいのかわからずに相当苦労しましたが

予約番号を入力したら、ガタンと鍵が落ちてきてホッとしました~

ようやく部屋に入れたら急に喉が渇いてしまい 

水道事情の悪いフランスで蛇口から水を飲むのは自殺行為だなと

トボトボと空港まで歩き、両替機をみつけて小銭にして

自販機でコーラとミネラルウォーターを購入

 

翌朝、ホテルのレセプションでちょっと挨拶を交わし

空港のレンタカーターミナルへ

 

【09:00】予定どおりの時刻に無事Pauを出発することができました~

【10:00】市街地を抜けD934をしばらく走っていたところ

丘の上に領主の家のような建物を見つけ(Rebenacq の村)小休止

【10:35】Larunsの街を抜け

道路はますます狭くなり

いかにも峠と思わせるEaux Chaudesの道を抜け

 

やがて羊飼いの老人が牧羊犬を連れている風景に遭遇し

スペインとの国境の峠 Col du Pourtletを通過

 

フランス側には3つ星ホテルが一軒だけなのに対して

スペイン側はレストランやお土産品などを売るショッピングモールまであり

この場所に対する意識の違いを感じさせてくれました。

(フランスのD934号線はここまで、これから先はスペインの国道A-136になります)

 

【12:15】お腹がすいてきたなぁ。 さっきの国境のレストランに戻ろうかなと思ってたところ

道路沿いに現れたHuescaのEscarrillaにあるCasa Solanoをみつけ

急停車 開店しているのを確かめて飛び込んじゃいました

この場所、いまでこそスペイン王国のアラゴン州だけど

元々はアラゴン王国のアラゴン自治州なんですねぇ

逢坂剛氏のスペイン小説が大好きで

そこそこ近代史や独立運動などについても知っていたため

なるほどなぁと感心しながら地図を眺めてました

 

お店のセニョリータにメニューを尋ねると

ランチのセットメニューがあるってことで

それを注文(ASADO=炭焼き肉)

サラダや前菜というよりメインの一品のようなお皿が出てきて

次にメインのビーフステーキ

そして仕上げはたっぷりのデザート

お腹パンパンになっちゃいました

こんなんだったらシエスタするしかないがなぁ~と思いましたが

そんな暇はないので 

急いで出発

 

BiescasでN-260aを左折してTorla村へ向かいました

 

実は、この日の観光の目的地は このTorlaだったんです

Torlaについて(英語から日本語に自動翻訳したものなので少しおかしな文章ですけど)

 

Torla-Ordesaは、スペインアラゴン州ウエスカ県の自治体です。

ソブラルベ地方の北西に位置し、首都ウエスカから 100 km の場所にあり、

2018 年の国勢調査INE ) によると、298 人の住民が住んでいました。

 
Torla-Ordesa がある谷の眺め。

トルラは、ブジャルエロ渓谷とオルデサ渓谷が合流した後のアラ川の氷河渓谷にあり、

氷河舌はアシン ブロトに達し、合計 30 km 以上あると仮定します。

アラ川は、アインサでシンカ川と合流するまでの 70 km のコース全体で

人間の手によってせき止められていない、スペインで重要な唯一の川であると言われています。

トルラはフランスと国境を接していますが、フランスとの道路接続がなく、

オルデサ渓谷のオルデサ イ モンテ ペルディド国立公園とバジェ デ ブロトへの玄関口です。

ブロトまたはビエスカスからコテファブロ (1,423 m.) の港を経由して N-260 でのみアクセスできます。

夏には、トルラのオルデサ渓谷への自家用車のアクセスが制限されるため、

公園を通ってオルデサの牧草地に登るためのバスが配置されます。

 

この場所を知ったのは

いつものように、Google Mapsの航空写真を眺めていて

ピレネー山脈らしい場所はないかと探していたところ

フランスのピレネー国立公園、スペインのオルデサ・イ・モンテペルディード国立公園に近く

スペインのピレネー山脈最奥部の小さな村ってところに惹かれて決めちゃったでわけです。

とっても素敵な村でしたが

やはりスペインでもAクラスの観光地

できるだけ観光客のいないローカルな場所に滞在したいのと

実は、翌日にもこの旅で楽しみにしていた場所を訪れるつもりだったため

一般車両が通行できる最奥部まで行き 雰囲気と景観を楽しみ

このTorlaでは、車両の通行制限されている国立公園の中にワゴン車で入り

トレッキングしたりラフティングしたりと大自然の中で丸一日を過ごすのが一般的

標高3352m 石灰岩の山としてはヨーロッパ最高峰のMonte Perdidoを眺め

その日の宿として予約したホテルへと向かいました。

 

【16:30】その日の宿、Sallento de GallegoのTres Quinonesに到着

スキーリゾートの近くにあるアパートメント型式のホテルで 

ホテルのレセプションも昼間は不在

 

これだったら もう少しTorlaでゆっくりしてくるんだった~とも思いましたが

素晴らし景観の中にあるため 時間潰しにはぜんぜん困りませんでした。

【17:00】にレセプションが開いたためチェックイン

キッチンもあって長期滞在にはとても快適そうでした

とりあえず近所のスーパーマーケットでセルベッサ(スペインでビールのこと)や

オツマミ類を買ってホテルに戻り

スペインのことでレストランは夜9時過ぎにならないと開かないだろうなと

シャワーしてビールを飲んでから午睡

 

【20:30】そろそろレストラン開くかなと町の散策にでかけたのですが・・・

(毎週火曜日は定休日です)って書いてあったけど その日は木曜日(笑)

ようするに夏のバカンスシーズンが終わったあとの閑散期なので

お休みしているところだらけ

Pauのホテルを出てから 初めて走る知らない道ばかりで

そこそこ緊張した一日でしたが 

ピレネー越えしたこと、フランスとスペインの国立公園の景観を楽しめて

とても充実した一日となりました

 

〔その②に続く〕

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子連れ旅 欧州行き当たりばったり ⑦AostaからParisへ

2022-09-09 14:54:50 | 旅行

Aostaでレンタカーを借りるために

駅前のバスターミナルに行ったところで

FLIXBUSの表示と ジュネーブ行のバスの到着を目撃

 

それまでAostaからは嫌いな同じルートでTorinoまで戻り

そこからLyon経由のTGVでParisに行くしかないのかぁ

と漠然と考えていたので まさに青天の霹靂

 

調べてみると フランス方面へはモンブラントンネルでChiamonix行と

Gran san BernarodoトンネルでMartigny経由でLousanne行があり

ユーロパスを持ってたのでMartigneに行くことを決め

 

Gran san Bernarodoからのドライブから無事戻ってから

急いでネットでチケットを購入しちゃいました

 

【08:30】ホテルをチェックアウト

【09:00】ほぼ時刻どおりバスが到着

【9:39】Gran san Bernarodoトンネルとの分岐点通過

前日Gran san Bernarodo峠から眺めた山々に別れを告げ

【9:47】トンネル内のスイス国境のチェックポイント通過

トンネルを出て前日通過したスイス側の風景を眺め

当初時間に余裕があったら走りたかったOrsieresからの山道を眺め

実際に走ったフォルクラ道路を遠望

【10:36】Martignyの駅に到着

 

【10:45】発 Lausanne行に乗車

Cascade de la Pissevacheの滝を横目で眺め

やがてレマン湖が見え始め

【11:49】Lausanne駅前に降り立ち Paris Gare de Lyon行のTGVのチケットを確保してから

ランチとなりました。

Lausanneは、レマン湖に向かって斜面に町が形成されていて

とてもキレイな土地だと知っていたのですが

さすがに連日の移動と観光でクッタクタ

 

わずか30分ほどの滞在でTGVに乗り込んじゃいました

【16:16】珍しく時刻表どおりにGare de Lyonに到着

翌日は帰国日で CGD(シャルルドゴール)行のリムジンに乗るのに便利なようにと

駅前のホテルに決めました

やっとパリに戻ってきて安堵しちゃったのか

シャワーを浴びて ホテルの隣のカフェレストランで早めの夕食をとって爆睡しちゃいました

(写真を撮るのを忘れるほど疲れていたみたい

 

本心は、どこか田舎町でのんびりと最終日を過ごしたかったのですが

ヨーロッパが初めての息子が、やはりパリは歩きたいと言うので

最寄りのパリ植物園前で水上バスの一日乗り放題券を買い

水上バスと徒歩、地下鉄で丸一日パリ観光となりました。

 

ここから先は、ありきたりなパリの名所ばかりなので端折って

フォトチャンネルにさせていただきちゃいますね。

 

 

9月9日 いよいよ帰国日

ホテルの目の前のCDG行のリムジンバスに乗り込み

 

9月9日 18:20 伊丹空港に到着

 

いや~ 疎遠だった息子を連れての8泊9日の二人旅

それも最初のスペインのPortbouと帰国前のParis以外は、全て行き当たりばったり

 

幼少期からスパルタ教育で育てた息子なので 

文句も言わずについてきていましたが

どんな気持ちだったのか

 

無計画なオヤジだなぁと思ったかもしれないけど

まあ、とりあえず父親としてのメンツは立ったと思っとこっと

 

 

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子連れ旅 欧州行き当たりばったり ⑥絶景のGran san Bernarodo峠を抜けてスイス・フランス・イタリア三ヵ国周回

2022-09-08 17:54:41 | 旅行

子連れ旅 6日目

Aostaに行くことを決めてどんな場所なのかと

Google Mapsの航空写真を見ていて

Matterhorn、Grandes jorasses, Mont-Blancの名称が目に入り

目がハート

 

鉄道の線路はなかったためレンタカーを借りて峠越えしようと決め

更にネットサーフィンしていたところ

 

スイス国境に近く

映画 The Italian Job (1969)のオープニングに映っていた

Gran san Bernarodo峠への道があることを知り

https://youtu.be/kruC2s5xtcQ

 

イタリア側とスイス側の両方を走り

同じ道を往復しなくても良いようにと周回することに

 

 

またまたネットで営業開始時刻の08:00からレンタカーを予約し

【08:00】Hotel出発

 

歩いて駅に向かい 

レンタカーの事務所のあるAosta Airpotへのバスを待ってたところ

 

【08:30】 Airport行のバスに乗り込み

【09:00】ほとんど待ち時間なく FiatのPandaを借りることができました

スマホの地図を頼りにSS27号線を走り

町役場で道を再確認

E27と合流した先にあったガソリンスタンドにカフェがあることを確認して

【10:20】パニーニとチョココルネのようなスナックで朝食としたのですが

超甘かった~

この辺りからどんどん高度をあげてゆき

【11:15】 SS27 Alps View Parkingで小休止

その後 The Italian Jobのシーンと同じクネクネながら快適な道を進み

【11:50】Gran san Bernarodo峠のView point

Statua di San Bernardoに到着

峠のピークにある lac du Grand Saint-Bernard (グラン・サン=ベルナール湖)

手前がHotel Italiaで湖の奥がスイス側のGrand Saint Bernard(修道院)

昔は国境検問のあった場所

Aostaからの峠道からは3000m級の山々が連なっていて

トレッキングルートもいっぱい

(とんがり帽子の山は、3015m

 

この絶景に憧れてAostaに行くことを決めちゃったんだなぁと実感

引用ですがこの峠について詳しく説明させていただきますね。

 

グラン・サン・ベルナール峠フランス語Col du Grand-Saint-Bernard,

 イタリア語Colle del Gran San Bernardo)は、スイスイタリアとの国境にあるアルプス山脈である。

モンブランの東に位置するこの峠道は、古来アルプス越えの交通路として知られ、

セント・バーナード犬のゆかりの地でもある。

1964年には中腹を貫いてグラン・サン・ベルナールトンネル (Great St Bernard Tunnelが開通した。

交通の動脈としての地位をトンネルに譲った旧道は観光地となっている。

名称

日本語文献では「大サン・ベルナール峠」と記されたり、

イタリア語名称から「グラン・サン・ベルナルド峠」と記されたりすることもある。

  • 英語Great St. Bernard Pass

名称は旅行者の救難に尽力してのちに列聖されたベルナール・ド・マントン (Bernard of Menthon(聖ベルナール)に由来する。

モンブランの南側でフランス方面に越えるプチ・サン・ベルナール峠(小サン・ベルナール峠)とは対の名称になっている。

地理

モンブランの東側約15kmの地点でスイス・イタリア国境のアルプスを越える、歴史のある峠道である。

峠の標高は2,469メートル[1]スイス南西部ヴァレー州マルティニーと、

イタリア北西部ヴァッレ・ダオスタ州アオスタとを結ぶ街道が通っており、

行政上はサン=レミ=アン=ボス(イタリア)とブール=サン=ピエール英語版(スイス)の境界に位置する。

峠越えの街道は、北側(スイス側)から以下の集落を通過する。

峠のすぐ下には大きな池 (Great St Bernard Lakeがある。峠には歴史あるホスピスの建物が建っており、

今日でも登山者向けの宿泊・救護施設として機能している。

峠付近の冬季の気温は氷点下30度にもなり、積雪は最大で25メートルを記録する。

このため自動車の通行が可能な期間は6月から9月までに限られる。

1964年に中腹にグラン・サン・ベルナールトンネルが開通した。

このトンネルはゴッタルド道路トンネルなどと並ぶ、アルプス山脈を貫く重要な交通路で、

交通量も多い。長さは6,596メートルである。

このGrand Saint Bernard 公共交通機関でも行くことができるんですねぇ

Aostaのバスターミナルからなら1時間15分ほど

スイス側のMartignyからなら登山電車とバスを乗り継いで1時間30分ほど

Hotel Italiaに泊まって、周辺をトレッキングするのも面白いと思います

↓ これはイタリア側国境検問所の跡

イタリア側のHotel Italia前の湖の畔には

セントバーナード犬のお土産がいっぱい

今度は真冬に来てHotel Italiaに泊まってアイゼンとスノーシューで雪山歩きを楽しみたいなぁ

↓ これがスイス側のホスピス(修道院)

↓ スイス側から観たイタリア側の景色です。

修道院の奥には古い石造りの教会があり

スイス側のカフェレストランやホテルもあります

 

【13:01】スイス側はイタリア側と比べてなだらかな下り道

途中でトンネルからの道と合流して快適にMartigny方向に走っていたのですが

ダム湖が見えて 勝手にまたまた大興奮

 

もしかしたら The Italian Job 2003年で出てきたダムじゃないかと思い込み

下道に戻ってブール=サン=ピエールの小さな集落(58 Rue du Bourg)

を抜け

(↓ これはスイスでよく見かける放牧している牛さん用の水飲み場)

小さなプチホテルも何軒かあり スイスらしさを味わえる素敵な村でした

やがてダム湖に到着

アレ~ 車は走れないし

あのシーンの場所とは違うのかなぁと ようやく気付きましたが

https://www.youtube.com/watch?v=vrNryKVm5Yw

自分では景色もそこそこだし、良かったことにしましたが

息子は呆れてたかも

 

↓ これはダム湖から観たトンネルからの自動車道と

スイス・イタリア国境に跨る山々(たぶん標高4,314mのGrand combinとか)

↓ この大きな岩の上に家がある風景

スイスらしくて好きなんです

 

Martignyの手前でフランス国境を抜けシャモニーに出るフォルクラ道路に入り

 

朝ごはんが遅かったため峠では先送りしていたランチ

お腹がペッコペコになってどうしようかと心配していたところ

 

ポツンと一軒家のレストランを発見

【14:53】になっていたため 恐る恐る店に入って食事はできませんか?と尋ねると

もうランチの営業時間は過ぎちゃったからと断られちゃったんだけど

お腹ペッコペコなんですぅ~と得意のネゴで

 デザート程度ならいいですよと言っていただき

あの辺りの名産のアプリコットのパイとアイスクリームをいただいちゃいました

眺望も抜群だったし お腹もくちて大満足

余談ですが、このレストランの近辺にAlpage de Bovineって

それはもうトレッキング好きな人には堪らないレストランがあるんですよ~

https://www.google.co.jp/maps/place/Alpage+de+Bovine/@46.0540702,7.0519393,2391m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x478eb5f6f2dc5bbb:0xb5dfddd33464d7c8!8m2!3d46.0548874!4d7.0504092?hl=ja

 

いつか行ってみたいなぁ

 

レストランから少し走った先が TrientのCol de la Forclaz(峠)

この辺り、マウンテンバイクやトレッキングのルートだらけなんですねぇ

(さっき紹介した山の中のレストランのあるBovineまで1時間40分との標記も

↓ こちらはモンブランを中心に周回のトレッキングルート図

標高1,000mから2,537mの山々を60時間超えで踏破するなんて凄すぎ

でもきっと生涯忘れない思い出になるだろうなぁ

この先にLe Châtelard Frontièreという スイス側の最後の鉄道駅があって

スイスの国境検問所があるんだけど

車の運転に熱中してて写真で残せませんでした。。。

その国境までは、Martignyから登山電車でわずか45分ほどで行けちゃうんですよ

 

フランスのシャモニーは言わずと知れたモンブランの麓にあるフランスのスキーリゾート

天気が悪かったのと、都会は苦手なのと

当日中にレンタカーを返さなきゃと焦って素通りしちゃいました

このモンブラントンネル

スイスのジュネーブからイタリア側(ミラノ方面)に抜ける大動脈

なので大渋滞しててビックリ

料金は普通車で 44.40ユーロ(@145円で6,500円弱)

でもまあその価値は十分あるよなぁと納得しました。

トンネル内は事故でも起こされたら交通インフラがマヒしてしまうため

車間距離と制限速度厳守

でもたったの15分ほどで通過しちゃいます。

 

トンネルのなかほどが国境なので

トンネルを出たらイタリア

トンネル側を見上げると雲に隠れたモンブラン

ここで時刻は【17:17】

 

レンタカー会社が18:30までだったので

高速道路E25をぶっ飛ばしてAosta空港の出口に戻ったのもの

ガソリンスタンドを探して給油し、空港敷地に入るに苦労して到着したのが【18:20】

いや~、いつもながらのギリギリ生活 スリルありすぎだっちゅーの

 

ホッとしてバス停を探し  

Aosta駅前のバスターミナルからホテルに戻らず旧市街に直行すると

アコーディオン弾きがいて大喜び

スマホで動画撮影して

お礼にチップを渡したら丁寧にお辞儀して演奏を続けてくれて

最高でしたヨ

 

スイスでデザートを食べただけだったので

夕食はガッツリ食べようとレストラン探し

雰囲気のよさげな路地にあるレストランに決めました

席があるか尋ねた時も、メニューを渡す時も

少々つっけんどんな態度にイタリア語だけでしたが

可愛いイタリア娘のウエイトレスさんに

英語で『何がオススメ?』と尋ねると

親切に英語でコースメニューの説明をしてくれて

どこから来たのと聞かれたので、日本からと答えると

いつか行きたいと思ってる だって

 

この日の晩御飯は 赤ワインに生ハムと リゾットにポーク料理

 

リーズナブルなお値段で味もそれなりでした。

 

 

【”⑦長距離移動最終日Aosta~Parisへ”に続く】

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