Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

行き当たりばったりの旅 2022初夏 【宮古島編】

2022-07-14 12:55:31 | 旅行

社会人になってからの人生のほとんどを

海外中心で生活していたため

日本国内はほぼ外航商船の岸壁のある港町以外訪れることがなく

特に離島へは行く機会に恵まれていなかったのですが

 

2013年にドイツの機械の代理店となってから

幸運にも度々南西諸島への出張の依頼をいただけるようになりました。

 

2015年 石垣島(珍しく単純往復)

2018年 石垣島(仕事を終えてから与那国島を訪ね、帰路に那覇と鹿児島までのフェリーの旅)

2021年 石垣島(その後、沖縄本島本部から~与論島~鹿児島とまたまたフェリーの旅)

〔※全て発電所の発電機エンジンのお仕事なんですよ

 

そして今回半年前から稼働した機械の技術移転のため

新たに宮古島から出張の依頼をいただいちゃいました

 

 

そして、いつものように事前には何も調べないようにして

とりあえず往路の飛行機を探し

神戸から直行のスカイマークを使うことに

(帰路は沖縄本島や石垣からまた八重山に行ってもいいやと片道キップだけ)

 

スカイマークは下地島空港発着となるため

レンタカーを確保しようとネットで探すも

どうにも予約ができず(WEBでは利用可能な車両が全て満車の表示)

 

車があればホテルも仕事先から少々離れててもいいやと気軽に考えてたのがダメ

 

そうなると食事や仕事へのアクセスにタクシーを使わなければならないかもと

島の中心部近くのホテルを予約して

 

当日家を出発

そんなわけで ほぼ定刻に下地島空港に到着してくれましたが

平日だというのに 機内はほぼ満席

キャンペーンをしてたからか”リゾート客”だらけでビックリしましたねぇ

 

到着後、手荷物を引き取ってからダメ元でレンタカー会社のカウンターに行き

空車がないか尋ねたのですが、またまた『え?何言ってんの?』って感じでなし

 

仕方なく空港バス乗り場に向かいました。

(エアポートライナーバスも路線バスも、コロナ禍もあってか1日たった5・6本のみ

乗り遅れたらタクシーしかなくなるので要注意

といっても飛行機を降りた乗客がすべて乗るまで待っててくれるのでその点では安心なんですけどね

宮古島はヴィラタイプのリゾートホテルが多いのが特徴

だからレンタカーの需要も多いんだろうなぁ

(伊良部大橋:伊良部島側)

(伊良部大橋:濃いブルーの箇所は浚渫した航路)

この航路では往路でも帰路でも海亀が泳いでいるのを発見

宮古島ってホントに海亀がいっぱい棲息してるんだな~と実感しました

(平良の公設市場: 公設市場とはいまや名ばかりで観光客用のスポットになってました

 

エアポートバスだと空港から3つ目の停留所

北小前バス停で下車して目の前のホテルにチェックイン

(午前中に到着するフライトが早いからか14:00からチェックインできるんですよ)

とりあえずチェックインの時間まで間があるしと

荷物をフロントに預け 昼食を食べようとメインストリート(?)の西里大通へ

基本的に飲食店というより夜の街のため 昼からあけているのは喫茶店くらいしかなく

ホテルのフロントで聞いた24時間営業の喫茶店で日替わりランチとなりました。

税込み900円弱だったかな? まあ観光地にしてはリーズナブルかも

 

当初、仕事は翌日の朝からだったので

のんびりしようと思っていたのですが

梅雨明けして電力需要が高まったからか

日中にエンジンを停められないからと 到着日の夜10時からとなったため

 

早朝出発で寝不足だったこともあり 真昼間から寝ることにしたのですが・・・

外はこんな感じでした

それにしても、石垣島、与那国島といいこの宮古島も 角ばった建物だらけ

台風銀座なのでそうなってしまうんでしょうね

 

夜の仕事となったため、軽めの晩御飯をと飲食店を探したのですが

焼き肉屋か居酒屋だらけで選択肢なし

本土のチェーン店で『宮古島まで来てラーメンかよぉ』とラーメンを啜り

 

その後、レンタカーが借りられなかったのでタクシーで仕事現場に向い

01:30に完了してから 真夜中に電話でタクシーを呼んだのですが

さすがは観光地

夜通し店を開けている飲み屋もあるらしく タクシーも24時間走ってて助かりました~

 

ホテルに戻ってから 近くのコンビニに行き

『夜中だしアルコールは買えないかなぁ』と思ってたら 

全然問題なく買えてこれまたビックリ

おまけにコンビニなのにお刺身まで売ってるんですよ~

深夜、ホテルの個室でマグロのお刺身と焼売での一人慰労会となりましたとさ(笑)

ここのホテル、部屋の中に電子レンジや洗濯乾燥機があるんですよ

観光地値段で割高だなぁって思ったけど

そんな利点もありました

 

んで、実はホテルに到着した時に

宮古島空港近くの某大手レンタカー会社直通の無料電話があったので

翌日は島内巡りしようと”空車”の有無を確認すると

「8月末まで予約が埋まってます」とけんもほろろの返答

 

参考までにとネットでこの時期の料金を調べると

軽自動車で24時間で2万円超え

 

足元みるのもいい加減にしろ と思いつつ

こりゃあ諦めるしかないのかなぁと思っていたところ

 

ロビーに手作りのレンタカーの広告があったのでダメ元で電話したところ

翌日の朝9時~夜7時までならご用意できますとの返事

 

料金は3,500円に保険の安心パックが1,500円とのこと

嬉しくて飛び上がりそうでした

 

ホテル送迎だと9:30になると言われていたので

夜中に仕事を終えるから それで十分とピックアップをお願いし

 

まずは腹ごしらえと

ホテルの朝食バイキングとしたのですが・・・(これで1,000円也)

ホテル代も、ツインのシングルユースで 二泊で20,000円弱(朝食なし)

観光地値段ですよねぇ

 

そんなこんなで無事レンタカーを借りて

観光地もわからないし

とりあえず島内一周してみようと

島の中心地でホテルのある平良から反時計回りに南下してゆくと

 

”与那覇前浜”との表示が出てきたので

とりあえず行ってみたところ

この信じられないようなホワイトサンドのビーチ 【10:10】

日本にこんな真っ白い砂のビーチがあったんだ  と、

まさしく目から鱗状態

 

石垣の川平湾や与論島のビーチが霞むほどの衝撃でした

 

ただ、思いっきりリゾートビーチで

ジェットスキーやシュノーケリング、SUPやその他のアトラクションだらけで

短時間滞在には不向きだったので

 

気に入ったらまた延泊して来ようと

対岸にみえる来間島に向かってみました

これが竜宮城展望台からの眺め 【10:25】

なんせ隆起サンゴの島で山がないため高台に居るだけで爽やかな風が吹き抜け

梅雨明けで太陽の下では灼熱状態なのに日陰はまさに天国

 

景色は抜群だし 時間が許せばずっと海を眺めていたいと思った場所でした

(対岸の白浜が 直前に訪れた与那覇前浜ビーチ)

 

橋を渡って宮古島に戻り 南側の海岸線を東に向かうと

大型リゾートホテルやゴルフ場だらけ

そう思うとリゾートとして宮古島へ行くならお勧めのエリアかもしれません。

 

↓ココはインギャーマリンガーデンという名所のひとつ 【10:56】

波穏やかなところなので シュノーケリング初心者向けですね。

 

こちらは偶然看板が目に入って訪れた ムイガー断崖と湧水池【11:07~11:19】

Tongaでもフファンガルペという同じような断崖の地があったので

懐かしいような景色でしたが

Tongaと違うのが 水汲み場所であったところ

雨水が石灰岩の間を伝って流れているんだろうなと思いながらも

コンコンと岩の隙間から湧き出る水に驚かされました。

その先を更に東に向かうと

この東平安名埼となるのですが

 

宮古島の主要観光スポットのひとつで

協力金を払うと灯台の下まで行けるのですが

この日は駆け足で回っていたので周回すると時間がかかりすぎるのでパス【11:35】

代わりにこのゲートの横にある漁港への道を下り

海を眺めてみたのですが

とてもシュノーケリング向きの海岸にみえました。【11:45】

今度来るときはシュノーケル持参するぞ~

(離岸流やウミヘビ、ハブクラゲなど事前に調べてからにしますが)

狭い砂浜には 海底火山の噴火で問題となった軽石がまだ残ってました。

こちらは漁港を挟んで北側のビーチ

波静かな場所だからか、

シュノーケルングをすることもなく海に浸かってる観光客がいました(笑)

この宮古島では至るところでみかける岩

大昔、大津波で打ち上げられた岩なんだそうです。

 

ここからは島の東海岸をひたすら北上し(正確には三角形の島なので北西方向)

北端の池間島手前の西平安名崎に到着 【12:39】

 

池間島大橋を渡り

池間島灯台に到着【12:59】

(灯台以外には何もみえません

 

この池間島

ヤシガニの保護区域なので運転にはご注意くださいね。

 

池間島大橋の袂にドライブインがあり

昼食としたかったのですが

残念ながら大賑わいで満席

 

宮古島は飲食店の数が少ないので

昼も夜も基本的に予約が必須みたいです。

 

面倒臭いなと 平良の公設市場まで戻り

2階の食堂で 鰹漬け丼を食べてみたのですが・・・【13:55】

これで1,600円に消費税だったかな?

ボリュームは凄いんだけど 

まあ特に美味しいなと思うほどではありませんでした。(言っちゃったよ)

 

午後2時の休憩時間直前だったからか

「鰹漬け丼しかできません」と言われたのにはちょっとビックリ

 

食後は

にっぽん縦断こころ旅で とても印象的だった

高所恐怖症で大橋が渡れず 橋の袂の駐車場へ

 

ここでなぜか文字数超過とかで 

どうにも投稿できなくなってしまったので

とりあえず画像で ご紹介しますね。

↑これは帯岩 やはり大津波で打ち上げられた岩なんだそうです。

宮古島観光で最も人気のスポットのひとつ

”通り池”

ほとんど波もない池なのですが

海底で海と繋がっているらしく ダイバーの憧れのスポットなんだとか

 

↓こちらは帯岩の隣にある人気の海水浴場

シュノーケリングにも向いている場所なんだそうですが

離岸流には注意が必要みたいです。

さとうきびの収穫機

与論島でみた時は、こんな機械があるんだとビックリしましたが

鉈や鎌で1本づつ収穫しているのとでは雲泥の差だから

サトウキビ農園の人達はみんな欲しがってるだろうなぁ

その後、にっぽん縦断こころ旅の目的地だった佐和田の浜を観て

琉球独特のサバニ船もあって

伊良部島の名所めぐりをしながら

 

この日のドライブを終了

レンタカーを返却してシャワーを浴び

 

ワクワクしながら予約しておいた島唄ライブをしてくれるお店に

お店の名前どおり、魚介類をメインにした店で

沖縄料理屋らしいところを期待していたので

ちょっぴり落胆していたのですが・・・

定刻の8時をしっかり過ぎた 8時半

ようやく島唄ライブが始まり

この黄色いシャツを着たオジサン達は大阪からのゴルフ客だったらしく

ノリが良くて ライブも盛り上がって

最後には店員もお客も全員が一緒になって歌って踊っての最高のひと時となりました

 

周りにすぐ影響されちゃうヤツなので

大阪のグループを真似して 通天閣の地下にあった演歌の劇場のように

箸にチップを挟んで渡したところ

大阪のオッサンたちから”奈良のオッサン”と呼ばれ

嬉しくなっちゃって つい隣の若者のお勘定もまとめて払ってしまいましたが

それくらい楽しかったんですヨ~

店でもいいかげん飲み食いしたのに

ホテルに戻る途中で またまた缶ビールとお刺身を買い込み

ホテルでひとり二次会(爆)

 

翌日どうしようかな~と思いつつ

ドライブも島唄ライブもじゅうぶん満足できたので

そのまま帰ることにしちゃいました。

↑空港のメンテのオジサンが日陰でお昼寝してて いい感じでしょ(笑)

なんか石垣島より好きになっちゃいました

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今さらながらFilipino Hospitalityに感激した旅 (後編)

2022-07-08 10:11:29 | 旅行

【前編からの続き】

 

ツアー3日目は 朝8時半出発

この日午前中の目的地は、ボホール島の名所”チョコレートヒル”

島のほぼ中央の内陸部にあるため

山間部での稲作風景を楽しませてくれました。

二期作は当然で三期作もする土地なのですが

最近では休耕してたり耕運機を使っていて

お目当てのカラバオ(水牛)での農耕風景はなかなか見つからず

 

目を皿のようにして探していたところ

ようやく水を貯めた田圃に浸かっているカラバオを見つけ

目がハートになっちゃいました。

(目的地に向かって急いでいたので停車してくれと言えず我慢しちゃいました

約1時間ほど走ったところでツアーガイドさんから

『ATVされますか?』と尋ねられ

何のことやらわからずに頷いたところ

4輪バギーだと判明

 

断るのもなんだしなぁと30分コースで乗ってみたのですが・・・

元々サンゴ礁が隆起してできた島なので

デコボコのサンゴ岩だらけで転倒しそうな場所だらけ

結構ビビっちゃいましたねぇ(笑)

その後、チョコレートヒルの展望台にのぼり

(この円錐状の丘が1,776あると言われています)

360°チョコレートヒルだらけの景観を楽しみました

それにしても なんでこんな風になったのか

説明されても理解できませんでした~

海洋性カルスト台地だとはわかるんだけど、なんでこんな円錐状になったんだろう?

 

その後は

これまたボホール名物の メガネ猿(TARSIER)保護公園と

 

その後 今回の旅で楽しみにしていたLoboc River Cruiseに乗船

またまた生ライブの歌と音楽をBGMにブッフェスタイルの食事に舌鼓をうちながら

ジャングルクルーズを楽しむのですが

 

サービス精神旺盛な地元の子供たちが

クルーズ客に観てねとばかり椰子の木から飛び込むのが面白かったですよ~

(あとで動画にアップしてお知らせしますね)

その後、今回の旅の発案者で

UP(University of the Philippines)卒の才女の祖父が住んでいたお宅を訪問

 

この家、

築100年を超すスパニッシュ風の木造建築

Lobocの中心部にあり

Loboc Churchや市役所の目の前

 

そんな古い木造建築の建物が地震や洪水にも耐えてるのに驚かされましたねぇ

市役所前の広場も洪水で洗い流され修理中

その後、偶然にもご家族の誕生日パーティーとのことでまたまたご馳走になり

以前からFBなどでバンブーハウスを作りたいと言っているのを覚えていてくれて

参考になればとニッパ椰子の屋根の作り方を教わって

Bohol島からPanglao島のを結ぶCausewayから夕陽を眺め

何故かツアーガイドが勧めるありきたりなCafe Racer Dinerで最後の晩餐 

プロジェクト時代の仲間である男4人だけ居残って

日付が変わるまでビール片手に談笑し

翌朝、到着してから何度も立て替えてもらってる航空券代と

ツアー経費、ホテル代を払おうと伝えても『大丈夫、大丈夫』と

言われ最後に現金で渡そうとしたところ

『もう清算終わってるから大丈夫』

『Facebookでも普段から忙しくしてるのを知ってるし、

こうしてわざわざ来てくれて参加してもらっただけで感謝でいっぱい』と

とうとう受け取ってくれず

どうやら、ツアー代金は頭割りして、残りはココのブログ記事にもしていただいた

(2011年5月14日の”受け取れる訳ない”)の彼が支払ってくれたんだとか

 

航空券代が P5,516 

ホテル代がフロントで聞き出したところP10,000少々

ツアー代金は 

4日間貸し切りのミニバスにドルフィンウオッチングの貸し切りボート代

Lunch buffet 付きのRiver Cruiseにいろんな施設の拝観料に晩御飯の食事代込々で

にどう考えても一人P5,000じゃきかないはず

もろもろ含めたら たぶん日本円で100,000円はしたんじゃないかなぁ

 

そんなに負担かけたら申し訳ないと

昔からよく知っている彼の奥さんに

「頼むから払わせて」と手を合わせても

 

「大丈夫、エルさん(彼)お金持ちだから」と

とうとう受け取ってくれず

「それなら、絶対にこの秋にでも日本に遊びに来てね」

とその場をおさめたのですが

 

フィリピン人のHospitalityを再認識し感激させられ

自分もそんな人間にならなきゃなぁ とつくづくと痛感した次第です。

 

おまけにこんなお土産までもらっちゃったんですよ~

 

 

生きてて良かったなぁ~って出来事でした。

 

 

【番外編に続く】
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今さらながらFilipino Hospitalityに感激した旅 前半

2022-07-07 18:12:31 | 旅行

【いつもながらの備忘録がわりの思い出を残してるだけですので予めご了承ください】

現在から遡ること35年前の

1987年から1989年の間

当時日本の政府開発援助の中でその予算と規模において2番目と言われた

巨大プロジェクトのプロジェクトコーディネーターとして

赴任していた時代がありました。

(フィリピン共和国のレイテ島)

(レイテ島は、第二次世界大戦末期にレイテ沖海戦がありマッカーサーがプライドかけて上陸した土地)

(またマルコス大統領夫人のイメルダの出生地)

その島の北東部、隣のサマール島の間にかかるサンファニコブリッジの袂に

マルコス(イメルダ)プロジェクトとして1980年17ヘクタールの敷地に船員の再教育機関として訓練所が建てられ

1985年に日本の政府開発援助(ODA)のプロジェクトとして

当時日本のODAで二番目(一番目は中日友好病院)となる巨費を投じ

鳴り物入りで開始されたのですが・・・

翌年の1986年のEDSA革命によってマルコス政権が打倒され

マルコス一族とそのブレイン達はみなハワイに亡命し

 

大統領令によって船員全てが再教育を受講してSTCW条約に則った免状を持って

世界の海運界へ船員を送り出そうとしていたその矢先に

革命が起こる原因となったアキノ大統領暗殺後

 

ただの素人のオバサンであるコラソン・アキノが大統領となり

マルコス=イメルダ憎しで出身地であるレイテ島への支援などなるものかと

始まったばかりのプロジェクトも暗礁に乗り上げてしまったのです。

 

(毎朝朝礼と国歌斉唱&国旗掲揚のセレモニーがありました)

(↓このメインビルディングの二階、バルコニーにあるロゴの隣の部屋が私の執務室)

そんな背景からプロジェクト計画が頓挫してしまい

約2年間の赴任中

日本大使館、JICA事務所、現地側関係省庁(労働省、教育省、運輸局、船員保険機関などなど)

と業務調整するためにマニラを往復すること数十回(たぶん6・70回じゃきかないかも

 

なんせ当時は、マニラとの直通電話も通じない時代で

急ぎの要件があれば電話局に行って申し込みをしてブースから電話するだけ

相手が不在だったら通じないしで埒が明かず

 

関係機関の動向を探ったり、月例のボードミーティングに備えて根回しのため

一日に2往復、それも3・4時間遅れが当然の飛行機を使って

直接出向くしか方法がありませんでした。。。

(そんな訳で、実際には月の1/3をマニラで過ごしてました

 

↓ これは赴任前に調査団の一員として訪問した時の写真

公式な会議となると 交換公文が交わされるのですが

日本側はJICAの事務所長に大使館の一等書記官

フィリピン側は一時は大統領候補ともいわれたフランクリン・ドリロン労働省長官と事務次官と錚々たる面々

そんな現地生活だったのですが

お休みが取れると 家内と息抜きにCebuでゴルフやボホールなどへ国内旅行にも出かけていましたが

普段は定時でほぼ全員が帰宅する中、一人残って書類作成や事務処理に追われてました。

まだ若干29歳で当時最年少専門家と言われ

日常会話はそれまでの経験で不安はなかったものの

公文書を作成したり国際会議で議論できるほどの能力を持たず

前任者が年齢も40代で阪大法学部出の英語力も達者な人物だったので

比較されて見下されないかなぁと不安を感じながらの二年間だったのですが

 

なんせ大雑把な性格なので

得意の”なるようにしかならん”精神で

マルコスのブレインだった人物の別荘

(5ベッドルームの豪邸でマニラの日本大使公邸より広いかもと言った人もいました)

を借りて

若くして身分不相応な高給がいただけるのも、みんなのおかげと

普段もレイテ島に居る時はほぼ毎日にように来客があり

年に数回は職場のインストラクターは勿論のこと、

事務職の職員や地元の知人達百人以上のゲストを招いて

 

ケータリングの食事と数十ケースのビールやソフトドリンク

出張ディスコまで頼んで大パーティーを開いていたため

多くの人から親しみを感じてもらい

いつまでも覚えていてくれていたのもあって

 

 

半年ほど前、レイテ島の現地インストラクターの一人で

その後仕事関係でもずっと世話になってきたフィリピン人の友人から

FBのメッセンジャーで連絡が入ってきました

 

内容は

ボホール島で昔の仲間が集まる企画があって

共通の仲良しであるMYさんとMNさんからも

『Masaさんと奥さんも参加しませんか?』とのお誘いがあるですけどどうしますかとのこと

 

まだコロナ禍で海外に出られるかもわかない状態だったので

もしフィリピンも日本も入国・出国に支障なかったら

参加したいと思ってるけどねぇ~

 

と回答したところ

 

アレヨアレヨと言う間に

話がすすみ 5月23日~27日の日程に決まったので

マニラ~ボホールの航空券とホテル予約しとくからね との返信

 

ただこの私

先先から予定を立てると何故かポシャってしまう運命にあるようで

その昔も仲良しの恩人と旅行の計画を立てていたところ

断れない海外での緊急要請が入ってしまい

ドタキャンしてすっかり信用を無くした経験があったため

 

行きたい気持ちはありながらも

直前まで確定はしておかないように

との予防線を張るクセがついていたのですが・・・

 

その後ウクライナ情勢も加わって

仕事も急に予定が入りだし

果たして無事出発できるだろうかと不安になりつつも

 

状況をみて5月の第一週頃に航空券を買うから待っててねと回答したところ

フィリピン国内での移動許可やホテルの受け入れ確認の手続きをしてくれることになり

お尻に火がついてようやく国際線のチケットを購入

 

現地の航空券をネット購入しようとしたところ

最近ハッカーに狙われてたようで

どうにもクレジットカード決済ができず

現地で支払うから立て替えて予約してくれる?と頼んだところ

快諾してすぐにE-チケットを送ってくれて一安心

 

搭乗にはワクチンの接種証明が必要とのことで

奈良市の保健所に電話して

通常郵送で数日かかると言われた英文の証明書を

保健所に乗り込んで翌日発行してもらい

フィリピンの検疫WEBサイトに登録し

出発48時間以内の抗原検査の陰性証明を取得

当日、無事成田でチェックインを済ませ

現地で感染が判明した場合の滞在延長や医療費を含む諸費用が担保されるように

海外旅行保険の加入も必須アイテムだったので

空港の自動加入機で加入したところ 

いまどきのことでペーパーレス(和文のメールが届いただけ)

 

マニラの検疫で保険加入の証明の提示を求められたらどうしよう?

と焦って空港内の保険代理店に電話して英文の紙を作成してもらい

とりあえずホッと胸を撫で下ろしました

 

マニラの空港検疫が厳しかったら相当時間かかるだろうなぁ

と覚悟していたところ

 

なんとワクチンの接種証明と抗原検査の陰性証明書類を確認しただけで

アッというまに入国できてしまいビックリ

 

さて、話を戻しまして

今回は遊びなので格安航空券を探したため

ANAながら 伊丹→羽田・・・・成田→マニラの乗り継ぎ便 それも羽田から成田の移動込み

 直行便なら4時間程度のフライトなのに

なんとこの日は 伊丹~マニラまでの所要時間 なんと11時間

(自宅からだと約14時間)

 

今回初めてのT3だったため

ターミナル内のトランジットホテルを探すのに相当手間取りましたが

ようやく見つかり ホッと一息

料金は、夜中の23:00~朝の6:00までだったかな?

カプセルがP1,000で 2段ベットP1,800

(日本円で約5,000円弱

安普請でほとんど防音効果なしのうえ

マナーの悪い客の大声での話し声や子供の笑い声が響き

とうとうほとんど寝られませんでした。。。

 

当初は、空港周辺のホテルを使うことも考えたのですが

翌朝はボホール行の飛行機に乗るためにトンボ返りしなきゃいけないし

面倒臭いタクシーの値段交渉に移動時間、ホテルでのチェックイン/アウトの手間

そのうえターミナルへの入場の大行列を思うと

『ベンチよりかマシか』とこのトランジットホテルを決めたのですが

悩ましいところです。

 

ということで

朝5時起きしてシャワーを浴び

どこかで朝食食べよかなぁと

たしか9時半ごろのフライトだったから

チェックインはのんびりしたらいいやとタカをくくっていたところ・・・

トランジットホテルに泊まるから 早朝のフライトでいいやと

6:00発の便を予約してもらってたのをすっかり忘れてて

チェックインカウンターに並んでいたところ

搭乗締め切りのアナウンスが流れ 大焦り

 

結局ゲートが閉まってしまい

 

ボホールに先着しているフィリピン人の友人に電話して事情を話し

航空会社のカウンターで乗り遅れたことを説明して

次の便を予約してもらいましたが

歳とって思い込みが激しくなっちゃったんだなぁ。。。とガッカリ

そんな経緯もあって

今度は、航空会社のCebu PacificからSMSでしっかりリマインドしてくれました

ようやく飛行機に乗れてホッとしました~

 

マニラのNAIA(ニノイアキノ国際空港)もすっかり手狭になって

2本の滑走路では 3つのターミナルを発着する飛行機をさばききれず

離陸も着陸も順番待ちで30分程度の遅延は日常茶飯事

この日も結局 30分ほど遅れて到着

空港に出迎えを頼んでいると聞いてたため

到着ロビーを出てウロチョロしていると



名前が書かれた紙と今回のツアーメンバーが全員で待っててくれてビックリ
 

午前中からツアーが計画されていたようで

何度も乗り遅れたことをお詫びしてバンに乗り込み

最初に向かったのがLobocの教会

丁度年に一度のFiestaで

この教会特有の踊りながら祈りを捧げている信徒達の姿に思わず微笑んでしましました

このBoholで二番目に古い歴史ある教会

2013年10月15日にマグネチュード7.2の大地震によってほぼ倒壊し

2021年5月に7年の歳月を経て修復され再開されたものの

2021年12月に再び台風によってLoboc Riverが氾濫し

周辺の家屋を含め水没してしまったのですが

そんな被害に遭ってたとは微塵も感じさせませんでした。

 

その後、今回の同窓会ツアーの立案者であるプロジェクト時代の友人のファミリーの

おもてなしをご馳走に

到着が遅れてしまったため 

レチョン(豚の丸焼き)は皮がほとんど残っていませんでしたが

それでも久しぶりのフィリピン料理に舌鼓を打たせていただきました

 

Fiestaでは、家族親類縁者は勿論のこと、通りすがりの知らない人でも家に招き

お腹いっぱい食事をふるまうのが喜びとされているため

 

ほぼ毎日にように全国各地で催されるFiesta巡りをしていれば

飢え死にすることはないと言われるほどなんですよ。

(フィリピン人のHospitalityの原点って感じです)

 

このバナナの葉に包まれた糯米をココナッツミルクで炊いたデザート(Suman)

がまた絶品なんです

https://pilipinasrecipes.com/suman-malagkit-recipe/

 

 

このお宅でおもてなしを受けてから

市長の家に行こうと言うことになり

そこでも またまたおもてなし

 

はち切れそうなお腹を抱えて

Bohol 最古のキリスト教会(Baclayon Church)を見学

この教会も地震の被害と半年前の台風でも川から離れているため

水没するようなことにはならなかったものの

屋根が壊れて修理に追われていました。

続いてお土産物屋さんに

(日本と同じように多分キックバックがあるのかな?)

そして これまたBohol島の名所のひとつ

Blood Compact Marker

侵略者スペインの初代総督レガスピとボホール島の酋長が

互いの血を注いだ盃を交わしたところで

友好の証なんだそうですが

普通なら憎むべき侵略者となる筈じゃないの?って思いながら眺めてました。

 

その後

レイテ島の航海訓練所で機関科の長をしていた職場仲間の家を訪問

ほとんどのインストラクターと同じように

船乗りとして復帰し、長年機関長として働いてから

地元でガソリンスタンドを経営しているのですが

既に築20年のプール付きの大豪邸でビックリ

 

ホームバーにシアタールームもあり

広々としたリビングやダイニングに驚かされました

御年93歳の義母(奥さんのお母さん:元教師)の食前のお祈りで

またまた おもてなし料理

 

いや~ 食べて飲んでの一日でした。

 

その後ようやく宿泊先のリゾートホテルにチェックイン

一人なのに コテージのこんな広い部屋に泊めていただきました

 

サンゴの島で塩分濃度の高いシャワーでしたが

汗を流してエアコンの効いた部屋で

前日からの移動疲れと 寝不足もすっかり快復

 

二日目は、朝6時に出発なので朝食は5時半

メンバーの一人がツアーガイドさんに『それは日本時間かフィリピン時間か?』

と尋ねると、『勿論日本時間(時刻通り)』と言っていたのですが

レストランの提供が遅れて やっぱり出発は6時半となりました(笑)

ホテルのビーチにBangka(フィリピン特有のダブルアウトリガーボート)が迎えてきていて乗船

西南西に向けて船を走らせていると

前方にマンタがジャンプする光景が目に飛び込んできて大興奮

 

そして多くのBangkaやボートが集まっている海域に到着すると

イルカの群れが現れ 約一時間 Dolphoin Watchingを堪能

その後、キリスト教会や神話のモニュメントが名物だった無人島に立ち寄り

(台風ですっかり壊滅状態となってしまってました)

続いて砂洲だけの Virgin Island経由して

SnorkelingのできるBalicasag Islandに上陸し

若者たちはSnorkelingに興じ シニアはビーチのレストランでビールとSeafoodを堪能

運よく天候に恵まれ ピーカンの太陽の下は暑いのですが

オーニング(覆い)と海水でボートの中は超快適

約7時間のボートツアーの後は

ビーチのレストランでランチ

この日も 朝からずっとお腹いっぱい(笑)

午後2時過ぎにホテルに戻り

シエスタ(お昼寝)タイム

この日はホテルのレストランでの晩御飯となりました

動画にしたため画像ではお見せできないんですが

フィリピンのいいところのひとつが

レストランなら大抵生バンドの演奏があるところ

 

美味しい料理に美味しいビール

生演奏の歌を聴きながら仲良しの仲間達との賑やかな会食

 

”文句のつけようがない”ってこんな事を言うんだろうなぁ

 

翌日は、朝8時出発とのことでしたが

しっかり休めたのと日本との時差で 朝5時には目が覚めてしまい

WIFIの繋がるビーチレストランで翌日のマニラでのホテルを予約

トンガ時代から早朝のビーチが大好き

黎明の時間に打ち寄せる波の音を聴きながら 

夜明けの風景をボーッと眺めてるのが至福の時間なんです

これぞリゾートって感じで

 

【調子にのって30,000字を越えてしまったので後編に続く
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行き当たりばったりの旅 2022春 【新潟~山形 中編 (酒田&鳥海山周回)】

2022-06-07 17:05:41 | 旅行

酒田駅近くの昭和な旅館に泊まった翌日

 

酒田での楽しみのひとつにしていた

定期船乗り場(飛島行)の海鮮市場の二階にある

”海鮮どんや とびしま”に向かいました

(距離約2キロ 徒歩30分)

 

 

朝限定 かねやす定食(焼き魚とどんがら汁)+舟盛 (1,500円)

※焼き魚やお刺身はその日によって内容が異なるみたいでした。

その昔、アルバイトで大阪発北海道周遊のツアコンしてた時

朝からビールを頼むオッサン客に驚き

『酒飲むしか楽しみないんかい』と、呆れた顔で眺めていたのですが・・・

 

いまや自分もすっかりそのオッサンそのもの

 

だってさぁ、朝からこんなお刺身出されて

飲まずにいられるか っちゅ~ねん(笑)

一人でテーブル席に座るのも憚られ

カウンター席に座ると 目の前に飛島行の定期船が

大好きなにっぽん縦断こころ旅で火野正平さんが訪れてた場所だし

話のネタに行ってみてもいいかなぁ~ と、一瞬思いましたが

 

なんとこの時期は一日1航海のみ

戻ってくるのが15時じゃあ ちょっとなぁ。。。 とアッサリと諦め

鳥瞰図を眺めながら

やっぱり鳥海山に行こうと決意

時刻もちょうど9時になる前だったので

定期船乗り場から観光自転車をお借りして

旅館に戻る前に 酒田市内を観光してみました

 

最初に定期船乗り場からすぐ近くにある”山居倉庫”

古くから米どころ庄内のお米を北前船で江戸に送っていた土地のこと

ある種酒田のシンボル的存在だったんですねぇ

観光スポットでもありますが

実は現役の倉庫で

雪深い日本海側に面していることもあって

春先は雪害による修理の季節とあって立ち入り禁止になってました

でも裏のけやき並木には入ることができたので良かったです

なんせ”行き当たりばったり”なので

旅先の下調べもせずに徘徊するため

この日も 本間家のことを知りビックリ

 

日本一の大地主で 

「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と

俗謡に謡われるほどの豪商だったんですねぇ

↓ココは旧本邸で、道を隔てた向かいには別邸もあり

その敷地内には現在の本間家の事務所がありました。

その次に訪れたのが 日和山公園

最上川の河口にある古い灯台が 

古の時代を思い起こしてくれましたよ

その日和山公園の入り口にあるのが

映画”おくりびと”で NKエージェントの事務所として使われたビル

いまは改装されて オシャレだけど味気ないレストランになっちゃってました

日和公園には 北前船の縮尺モデルもあって

『西の堺、東の酒田』と言われるほど栄えていたのが自慢なんだろうなぁ

ここの映画のロケ地のひとつで 

モックンが借りてたアパートのあった場所なんだとか 

下日枝神社の参道でもありました。

 

駆け足で 市内観光を済ませ

酒田駅前に戻って観光自転車を返却し

すぐ近くにあった トヨタレンタリースへ

アテにしていた軽自動車が運悪く予約が埋まってしまい

カローラしかなくなって少々割高だなぁと思いつつ

営業時間が夜8時までだったので決めました

 

この時点で車を使って訪れたかったのが

N〇Kのドキュメンタリー”クマヤマ”で観た 

鳥海マタギの集落(橇連:きゃんじき)を訪れたかったことと

鳥海山の眺望を楽しんでみたいってこと

 

カーナビに”橇連”を目的地にすると

鳥海山を中心に反時計回りに周回するルートが出てきたので

それに従って車を走らせていると・・・

ムチャクチャ写真映えのするスポットを見つけて大喜び

いい感じでしょ~

(この川、幸福川って名前なんですよ~

そのまま国道344号線を峠に向かって山深い道を走っていたところ

和滝の先でこの看板を発見

うんうん

熊が棲息してそうな山だよなぁ と感慨もひとしお

どこまで山深くなっちゃうのかな と不安半分でいたら

峠のトンネルを越えたらまた集落が見えはじめ

 

そこが奥羽本線の真室川駅でした

真室川音頭なるものの存在を知り

またその歴史を知って、仙台との繋がりを感じることができました。

いや~勉強になるなぁ

いかにもって感じの駅前旅館

 

真室川駅からは国道344号線と別れ

奥羽本線沿いに県境を越えて秋田県に入り 

院内から国道108号線で由利本荘市の笹子から丁川に沿って源流方向に進み

恋焦がれていた橇連(きゃんじき)に到着

仕留めた”山の神(ツキノワグマ)”を解体し

皆で鍋をつついていた集会所を見つけたものの

 

あれぇ よっぽど山深い集落で下界から閉ざされた土地と思ってたのに・・・

なんかイメージと違うなぁ と更に道を進んだところ

大型ダンプが行き交い大きな採石場があるのをみつけてまたまたビックリ

冬季で道路は閉鎖されていましたが

その先には 大平キャンプ場もあるんだけど 

熊出そうなのに凄いなぁと またまた感心

集落の人と話したかったけど

コロナ禍で よそ者から声かけても嫌がられるだろうなぁと断念

 

諦めて 鳥海山を周回することにしました

 

橇連にも数軒、それ以外にも 藁ぶきの家屋がいくつも現存していていい感じでした

鳥海山グリーンラインを走り

(大谷地池の第一展望台からの鳥海山)

 

そうそう、いたるところで蕗の薹が芽を出してて

北海道もそうだけど 北国に来たんだなぁと実感

こちらは 仁賀保高原南展望台

風力発電の連なっている峰沿いをしばらく走るとある眺望抜群の場所で いいところでしたよ~

そうして麓に入ると田圃があらわれだし

温水路を発見

これもいつだったかTVで観てその存在を知っていたので

へぇ~っと感心しながら大喜び

 

橇連から約2時間後ようやく日本海側の象潟に到着

松尾芭蕉も訪れた”九十九島”を眺めてみました

象潟からは日本海沿いの国道7号線を南下して酒田に戻ろうとしていたところ

十六羅漢岩なる標識を見つけて

『そう言えば、火野正平さんも訪れてたのを観た覚えがあるなぁ』と

立ち寄ってみました

なんとも不思議な場所でしたが 一見の価値ありですよ

車を返してから 

やはりまた魚を堪能しようと

またまた歩いて酒田の中心地にある

朝めぼしをつけておいた北前横丁に向かったのですが・・・

たぶんコロナでほとんどの店が維持できなくなった様子で

焼き鳥やしょぼい飲み屋だらけ

 

諦めきれずに繁華街っぽいアーケードや飲み屋街らしき場所を歩いてみたのですが

一見では入りずらい鮨屋や小料理の店はあるものの

気に入って店がみつからず

焼き肉の自販機じゃあなぁと肩を落とし

結局駅前のチェーン店の暖簾をくぐっちゃいました。

 

このお店

駅前には飲食店が少ないこともあってか

テーブル席もほとんど埋まり 30名以上の客でそこそこ流行ってたんだけど

なんでかフロアの店員が オネエチャン一人だけ

 

アテの注文はそこそこ早めにつなげてくれるんだけど

次々と飲み物をこなすことができず

お刺身3点盛り、長芋の刺身、ハタハタの塩焼きにゲソ天と

生ビールに 強めのハイボール、生姜チューハイで諦めて

この日の晩餐を終えることにしてしまいました。

 

【後編 花笠月山道路から山形市内の旅に続く】

 

 

 

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行き当たりばったりの旅 2022春 【新潟~山形 前編】

2022-05-13 18:16:18 | 旅行

久しぶりに日本海側の新潟での出張依頼があり

まずどうやって行こうかと思案

 

とりあえず頭に浮かんだのが・・・

 

①福井県敦賀港から週一(月曜)で運航されている新潟・秋田経由の新日本海フェリーを使う方法

愛車のジムニーを使い

奈良→敦賀 (4時間 港での待ち時間含む)

 敦賀→新潟(12時間)

運賃 高速代・フェリー・ガソリン代 約22,000円 所要時間 計 16時間

※ 自家用車で自由に動けるため

新潟での仕事を終えてから日本海側沿いを北上し

2年前に海上から眺めて惚れ込んだ鳥海山と

TVのドキュメンタリーで観た鳥海山の麓にあるクマヤマのマタギ集落を訪れてから

秋田の阿仁マタギで温泉と熊鍋を堪能して

またまた週一(日曜)に秋田を出港するフェリーで敦賀に行き

往路と同じルートで奈良に帰ることも可能のが利点

但し、敦賀発着の新潟・秋田航路のフェリーが週一便運航のため最短でも8日が必要

 

②素直に伊丹から新潟へ飛行機を利用

学園前(近鉄)→上本町(空港バス)→伊丹(飛行機)→新潟(空港バス)→新潟駅

運賃 約20,000円(格安航空券利用) 所要時間 3時間55分

 

③東海道新幹線と上越新幹線で新潟に向かう

学園前(近鉄)→京都(東海道新幹線)→東京(上越新幹線)→新潟

運賃 23,360円  所要時間 5時間34分

 

④日本海沿岸の鉄道で”乗り鉄”して新潟へ

学園前(近鉄)→京都(JR湖西線:サンダーバード)→金沢(北陸新幹線)→上越妙高(特急しらゆき)→新潟

運賃 16,990円 所要時間 6時間43分

 

⑤自家用車で高速道路で新潟まで走る

奈良(京奈和道)→巨椋IC(京滋バイパス・名神・北陸道・新潟中央)→新潟

高速料金(軽自動車)&ガソリン代 18,000円 距離615キロ 所要時間 7時間(休憩なし)

 

移動時間を短くしたいなら飛行機だけど、曇ってたら陸地はみえないし

なんせ味気ない

 

新幹線は本数も多くていつでも好きな時間に移動できて便利だけど

特に東海道新幹線の景色はもうゲップが出るほどで車窓からの景色を楽しめない

 

時間に余裕があったら自分の車で自由に動けるフェリーが一番なんだけど

なんせ出張先での仕事が半日で終わるのに

そんなに遊んでていいのかと罪悪感に苛まれる

 

片道600キロ超の距離を車ですっ飛ばしてゆくのは

やっぱ疲れるだろうなぁ とパス

 

ということで、とりあえず日本海沿岸を”乗り鉄”で新潟に向かうことに決定

 

朝8時自宅出発で 大和西大寺から

近鉄伊勢志摩ライナーに乗車

なんせ観光列車なので パノラマデッキがあって運転手さんの挙動丸見え

背後からいつも誰かに見られてるなんて 運転しずらいだろうなぁと思いつつ

気を抜けないから安全でいいのかも

京都駅ではJRを含めてカウントすると14番線にあたる南端の近鉄線から

北側の端の0番線までを観光客でごった返すコンコースと二度の改札を通過しなきゃならないのに

乗り換え時間が8分

 

そのうえ、いつも到着が予定時刻より5分程度遅れるのが常の近鉄特急なので

ヒヤヒヤしてたのですが

珍しく定刻どおりに到着してビックリ

乗り遅れたら新幹線だなと半ば覚悟してたので

むっちゃ嬉しい気分になれました(笑)

北陸新幹線ができるまでは

湖西線特急のサンダーバードで富山まで行き 富山から”ほくほく新線”で越後湯沢まで

そこから上越新幹線が新潟方面へのルートだったのですが

北陸新幹線が金沢まで開通してからは

サンダーバードも金沢止まり

そこから北陸新幹線に乗り換えとなってしまったので

昔、北陸本線の駅のホームには必ずあった立ち食いそばでも思っていたのですが・・・

いまではホームの立ち食いスタンドなんてなくなっちゃったんですねぇ。。。

ということで、仕方なく何の変哲もない構内売店のセブンイレブンで

オニギリと寿司と缶ビールにおつまみを買って乗車

春霞なのか立山連峰も黒部・宇奈月方面の眺望もほとんどみられませんでしたが

糸魚川辺りで日本海が眺められてちょっとだけウキウキ

でも北陸新幹線での金沢から上越妙高までの乗車時間は たったの1時間でした

 

新幹線から信越本線に連絡している”特急しらゆき”に乗り換え新潟に向かったのですが・・・

赤字路線だったのが北陸新幹線が開通して更に追い打ちをかけることになったからなのか

信越本線とほくほく線以外はJRから第三セクターの運営になっちゃいました 

JRだと赤字路線でも補助金がでないから

分断しちゃうみたいです。(近鉄の桑名から大垣の養老線もそんな感じ)

この信越線 柿崎(旧:中頸城郡)から米山(柏崎市)の区間が

日本海の砂浜沿いでビックリ

『厳冬期には荒れた日本海に洗われちゃわないのかなぁ』

と驚かされちゃいました

 

また暴風雪警報でも発令されたら来てみよっと(笑)

 

その後、電車は柏崎を過ぎてからは内陸に入り込み

長岡からはずっと広大な越後平野が続き

GWに向けた田植えの準備に追われるトラクターだらけ

二年前から自分でも稲作するようになっているので

区画整理された一枚の田圃の面積に驚かされ

そのうえトラクターはクローラ仕様ばっかし

 

豪雪地帯なので冬の間は雪に埋もれてしまうのと

元々信濃川の洲にできた農地なので

川の水位の方が高い様子で

きっと湿田が多いんだろうなぁと勝手に想像

 

いや~、乗り鉄の旅

なにげない風景の中からいろんな勉強ができて

ためになるなぁ

いつものように独り合点して勝手に想像してるだけなので、

『諸説あり』ってことにしとこっと(笑)

 

そうこうして田圃ばっかり一時間も見続けて

さすがに飽きたなぁ。。。ってころに新潟駅に到着

 

今回は仕事が終わってからも電車での移動だろうなと想像していたため

駅前のホテルを取り

 

翌日のために駅近辺のレンタカーを調べがてら

『新潟では絶対に食べるぞ』と決めてた

”栃尾の油揚げ”と”のっぺ”

それと”へぎ蕎麦”の食べられそうなお店を探索

 

ホテルからわずか50mのこの店にしちゃいました

琥珀エビス(638円)とお通し(528円)

念願の栃尾の油揚げ(605円)

のっぺ(605円)と鮭の焼き漬け(572円)

〆はへぎ蕎麦(1,100円)と 濃い目のレモンサワー(550円)で

お会計は ¥4,598 

 

翌日の仕事の事を考えて酒量を控えられて助かった~

 

 

翌朝

レンタカー会社に電話して乗用車を借り

ちゃちゃっと4時間ほどで新潟東港係留中の船の仕事をやっつけて

 

カーナビの地図で周辺をみてみると

”新発田”の近くだと知って「とりあえず新発田に行こっと」と即決

実は、小学生高学年から・高校受験前の中学生の間

健民少年団という日本版ボーイスカウトのような団体の団員で

年に一度開催される全国大会で

この新発田出身の同年の(カワイコちゃんの)女子と知り合い

その後何度か文通したこともあって

50年前に行ってみたいなぁと夢見ていた土地なんですよ

 

遠く離れた愛知県の小僧には 

新発田ってところも城下町だと知っていてものの

越後山脈の麓の小都市だろうと勝手に想像していただけだったので

越後平野のまっ平な地理にビックリ

 

ご多分に漏れず、郊外にショッピングモールができ

大型量販店や金太郎飴のような どこにでもあるレストランに負け

古くからの駅前からお城までの商店街やアーケードは

ほとんどシャッターが閉まりゴーストタウンと化していましたが

昔はさぞや賑わった地方都市だったんだろうなぁとの印象を受けました。

 

そんな感慨に耽りながらお城の公園を歩いていたところ

雪を被った山々が目に入り

スマホのマップで調べてみると

磐梯朝日国立公園の烏帽子岳と越後山脈らしく

あの裏側に マタギ集落で有名な小国町があるんだなぁと

 

よし、それならまず2年前にフェリーから眺めて惚れ込んだ鳥海山に行こう

と次の目的地を決め

秋田方面に移動しようと思ったのですが・・・

なんせ電車がない

 

14:57分発の特急いなほ7号に乗るのは無理だと悟り

それ以降の特急は山形県の酒田止まり

 

『ならとりあえず酒田まで行こう』 と

時間調整を兼ねてバイパスを走らず下道で新潟西港周辺をドライブした後

レンタカーを返却して 特急の出発時刻まで 

遅めのランチと仕事の打ち上げと、もういっぺん栃尾の油揚げを食べようと居酒屋へ直行

日本酒を飲みたいけど

たぶん美味しい酒に酔いしれてお尻が重くなって 

『もう一泊新潟に泊まったれ』と気が変わっちゃいそうなので

 

生ビールとチューハイで我慢して

お昼抜きだったので

ついメニューにあった ザンギが気になり 

つい若鶏半身揚げを注文しちゃいました

関西の自分の生活圏ではほとんどお目にかからないので

知らなかったけど、つぼ八って北海道がルーツの会社だったんですねぇ

(小樽の"なると屋"でこの半身揚げを知ったので、つい懐かしくて)

 

そうこうして時間を調整して ようやく”いなほ9号”に乗車

村上あたりから日本海に沈む夕陽に魅了され

これぞトワイライトエクスプレスやん とひとり大喜び

 

むちゃくちゃキレイでしたよ~

 

実は、特急に乗車中にネットで宿を予約したらいいや

と思っていたのに

なぜかパスワードが合わずログインできず

何度もトライするもどうにも予約ができない状態が続き

 

そうこうしていたら終点の酒田駅に到着してしまい

当日の空き部屋も無くなってしまい大焦り

ネット検索を諦めて Google Mapsで駅前周辺の宿を探してみたところ

 

駅からさほど離れたいない場所にある一軒の旅館を発見

 

古そうながらクチコミでは親切な宿と書いてあったので

直接電話をかけて『すみません。今晩泊めていただくことは可能ですか』と尋ねると

『はい、大丈夫ですよ』との快い返事をいただき ホッと一息

 

なんか、フーテンの寅さんがテキヤ仲間と一緒に泊まってそうな雰囲気で

大喜びしちゃいました(笑)

質素ながらも清潔感溢れる旅館でした

とりあえず荷物を放り込んで

夜食でもと繰り出したのですが・・・

 

駅の近辺なのに昭和な飲み屋のバラックがいくつもあり

ムチャクチャ心惹かれたのですが

一見で飛び込むのが 憚られたのと

なんせとりあえずお腹を満たしたかったので

バラックの飲み屋は またの機会にして

ラーメン消費量(たしか)日本一の山形だしってことで

ラーメンにしちゃいました

 さて、また旅館の話題に戻りますが

TVが食事から戻ったら全く映像があらわれず

”壊れてるのかなぁ”と思ってしまいましたが

実は、廊下と障子で仕切られた部屋なので

他のお客さんの安眠妨害とならないようにしている

ケーブルの元で遮断して

夜9時以降、朝まで観られないようになってるのだと気づきました

こちらは 共同の洗面台とトイレ、それとお風呂もあります。

この旅館、素泊まりで3,500円なのですが

そして朝には おにぎりが準備されていてビックリ

 

旅館は優しさが滲みでているご年配の女将さんがされていて

たぶん別棟に同居されている娘さんが必要に応じてお手伝いされているご様子でしたが

心のこもったおにぎりで 美味しかったですよ~ 

 

なんせいつもながらの行き当たりばったりの旅

基本的に連泊はせず

気ままに閃いた場所に行き その日の宿はその日に決めるのですが

この日は珍しく

のんびりと酒田を拠点に訪ね歩いてみようと思ったため

共同のトイレや自由に入れないお風呂に不便に感じたものの

この昭和な旅館の優しさと心地よさに

『もう一泊させてもらえますか』と

お願いしちゃいました



(旅館の猫ちゃん🐈もカワイイんですよ☺️)

 

【後編:酒田・山形の旅に続く】

 

 

 

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欧州夜行寝台列車復活? 

2021-06-26 20:29:00 | 旅行
偶然、この記事を読んで大喜び🤗

なんせ旅好き、乗り物好きで
特に飛行機✈️以外の陸路🛤や海路🚢が大好き😘

特に隠れ鉄チャンでもあるため
中でも夜行寝台列車は断トツの存在💖

日本🇯🇵国内でも
ブルートレインを好んで使ってました🥰

長崎・京都に“あかつき”
宮崎・京都は“彗星”
京都・青森間は“日本海”
京都から東京にも早朝に到着するために
“銀河”など

そんな訳で
海外でも

ニュージーランド🇳🇿国鉄の
北島のオークランド・ウェリントン
南島ではピクトンからインバーカーギルの間、クライストチャーチとダニーデンに立ち寄りながら何度も
(かって1週間単位の国鉄の鉄道、バス、フェリーの乗り放題チケットが存在し、1984年に休暇を使ってまる一月隅から隅まで周遊した事がありました)

🇷🇺ロシアではシベリア鉄道で
ウラジオ、ナホトカ、ハバロフスク間と
モスクワ、サンクトペテルブルクの間を
2人部屋のコンパートメントで何往復も

ヨーロッパは特に多くて
🇳🇱アムステルダム→🇩🇪ハンブルク
🇸🇪ストックホルム→🇩🇰コペンハーゲン
🇩🇰コペンハーゲン→🇩🇪ベルリン
🇫🇷パリ→🇩🇪ハンブルク
🇩🇪ハンブルク→🇨🇭バーゼル
🇦🇹インスブルック→🇮🇹ベネチア
🇫🇷パリ→🇪🇸ポルトボー(セルベール経由)

トーマスクックの時刻表眺めながら
あれから妄想するのが大好きでした(笑)



























ほとんど特等の個室寝台だったけど
プライバシーを保てるので需要が高く
直ぐに売り切れちゃうので

クシェットにも乗ったんだけど

ある時スイス🇨🇭人の夫婦と乗り合わせて
最初は他人行儀で会話も交わさなかったのに

翌朝にはとっても仲良しになって
こちらがバーゼルで降りて
乗り換えてアルプス見学に行くと言ったら

それじゃあ一緒に朝ごはんを食べようよ♪
バーゼルの駅構内のカフェ☕️が美味しいんだよ😍と誘ってもらうほどでした☺️  

ところが高速鉄道と格安航空券に押されて
年々廃止されて長距離の国際夜行寝台列車が無くなり

いつか🇫🇷パリから🇬🇷アテネや
🇹🇷イスタンブール
🇮🇹ミラノから🇪🇸バルセロナ経由でマドリッド
🇷🇺モスクワから東欧経由で🇬🇧ロンドンまでとか

車窓を眺めながら異国情緒を楽しみたいなぁと夢見てたので大ショック🤯

心底😞ガッカリしてたので
この朗報に大喜び☺️してまーす✌️

食堂車で揺られながらワイン🍷を片手に
コース料理とか
個室だと車掌さんに頼むと
朝ごはんやカフェメニュー届けてくれるし

ワゴン販売を選ぶのも楽しいですよね🥰
あー楽しみ😘

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2年前の与那国島訪問を思い出しながら”Dr.コトー診療所”聖地巡礼の旅計画中♪

2021-03-03 15:31:48 | 旅行

Dr.コトー診療所2003 吉岡秀隆

♪銀の龍の背に乗って[Instrumental] コトーの新作、待ってます。

youtube#video

 

 

日本最西端の”与那国島”

石垣島二度目の訪問となった2年半前の2018年10月

初回ではレンタカーで石垣島を一周していたため

 

2度目の訪問時は仕事を終えてから八重山諸島を旅しようと思っていたものの

インバウンド観光客真っ盛りの頃で

毎日のように大型クルーズ船が入港し

空路で訪れる人々も加わって石垣島も八重山諸島も観光客で溢れかえり

予約していた街中のホテルはオーバーブッキング

離れたリゾートホテルへ移動してくれるボランティアを募っていたため

その要望に応えて移動していた状態

離島ターミナルの中は大混雑していて

島々を結ぶ高速船がひっきりなしに行き交い

強気のツアーデスクは 目玉が飛び出そうな金額設定

こんなんじゃあ

竹富島で水牛の牛車に乗るのも

小浜島で”ちゅらさん”の雰囲気を味わうのも

西表島なんて大自然に触れるどころか満員電車に乗ってるような

芋洗い状態だろうな。。。と

 

ガックリと肩を落としていたところ

目についたのが

離島ターミナルの対岸に停泊していた

週に2便しか就航していない”与那国島”行きのフェリー

ネットで調べてみると運よく仕事を終えた翌日の便があり

『これは、運命の神様が与那国島に行きなさいって言ってるんだな』

と、いつものように自分のいいように考えて

 

当日待合室で往復の乗船券を購入し

乗り込んだのですが

なんと乗客は自分をいれてたったの2名

竹富島や西表島までは、ほとんど揺れもなく

快適な船旅だったのですが

西表島を抜けた途端

何かに摑まっていなければ身体が飛ばされてしまいそうな

ピッチング(縦揺れ)とローリング(横揺れ)の連続となり

滅多に船酔いしない自分も気分が悪くなってビックリ

まあ、このフェリー別名”ゲロ船”と呼ばれているのが

よ~くわかりました

そんなこんなで石垣を出港してから約4時間後の午後2時過ぎ

 

ようやく与那国島に到着して

予約しておいた民宿に荷物を放り込んで

この島ではもっともポピュラーな原付

時計回りに約9時の位置にある久部良港から島内を一周していたところ

3/4を周った6時の位置にある比川で

Dr.コトー診療所を発見

ドラマを観ていなかったので

へぇ~、鹿児島の甑島がモデルだって聞いてたから

てっきり鹿児島辺りがロケ地だと思ってたら

こんなアクセスの不便な僻地(失礼)で撮影してたとは 

と、びっくり

そんな出来事がありながらも

島の観光スポットを巡りながら一周しても

2時間もかからず

 

 

民宿で一緒になった泊り客と話していても

海底宮殿とシュモクザメ狙いのダイバーならいざ知らず

飲食店もほとんどない土地で

ただの観光だったら日帰りで充分だと聞かされ

そんな印象を持ったまま翌日の船でまた石垣に戻ったのですが・・・

 

 

つい先月、また石垣での仕事の依頼を受けた帰り道、

もしかしたらもう二度と八重山諸島に来る機会がない可能性が高いし

それならもう一度与那国島を再訪しようかな?と思いつつ

 

コロナ禍では絶海の孤島だからこそ

この時期に外部からのそれも観光客として訪れるのは迷惑だろうな

諦めて、沖縄本島と与論島に行くことにしてしまいました

 

その後、しばらくたって突然”与那国島=Dr.コトー診療所”を思い出し

初回の2003年シリーズのDVDをレンタルして視聴してみたところ

 

なんせ単純な性格なもので

毎回毎回涙涙の大感動

 

勢いに乗って

続けて2004年、2006年のシリーズを一気観しちゃったもんだから

 

もうエンディングで流れる中島みゆきさんの

”銀の龍の背に乗って”の音楽が頭の中で鳴り響き

『さて、いつ与那国島に行こうかな』と

新しい目標ができて大喜び

 

 

次回は、のんびりと港の近くの久部良か

与那国島の中心地祖納に宿をとって

昼はDr.コトー診療所の聖地巡りや

放牧地で馬や牛と戯れながら海を眺めてみたり

ビーチでのんびりと昼寝したり シュノーケリングしたり

夜は居酒屋で長命草酒でも飲みながらまったりと過ごそっと

 

友達も誘うつもりだけど、

旅は道連れ世は情け

どなたか興味もたれたら一緒に行きませんか~ 

 

 

偶然にも小学生の時の大親友が

与那国名産の泡盛”どなん”が親戚とのことで

 

いろいろ話を聞くと

台湾の方が近い土地なので

太平洋戦争後の物資が無くて困窮していた時代には

密輸品の中継地として大繁盛していた時期があったんだとか

 

とにかく、何もないのが贅沢なところなんじゃないかな

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【続】よりによってこんな時にスペイン滞在中‼︎

2020-04-24 16:24:55 | 旅行

 

前回の投稿の続き

すぐに書くつもりが、とうとうひと月以上も経過してしまい申し訳ありませんでした

 

新型コロナ禍の中

仕事で滞在していたSpainカナリア諸島のLas Palmasから

慌てて本土に渡るフェリーに乗り込み

アフリカ モロッコ沖を北上して約45時間後

ほぼ定刻通りにAndalcia のHuelvaに到着

とりあえず船に乗って本土まで辿り着けたらいいやと

大雑把な性格のため先々まで考えずにいたのですが

 

到着直前になって、市街地までどうやって行ったらいいんだろうかと

Google Mapで調べてみると

フェリー埠頭は市街地から相当離れた工業地帯にあって

どうやら公共交通機関はなさそうな感じ

経路を調べてみると 徒歩では大きく迂回するルートしかなく

距離にして39kmの表示

徒歩8時間ってあるけど・・・時速5キロで40km歩ける訳ないだろ

 

Lockdownされててバスや鉄道が動いているかもわからず

いざとなったらフェリー会社の埠頭の担当者に交渉して送ってもらうか

で乗船していたお客にヒッチハイクするしかないか と

腹をくくって下船口に行ってみると徒歩客は埠頭まで誘導してくれて

そこに無料の連絡バスが停まってました~

 

フェリー埠頭のゲートには警察官が検問してましたが 

体温を測られることもなく難なく通過

とりあえずバスターミナルに到着してから

Madrid行きの長距離バスがないかなぁと調べてみたところ

やはりその日は運行していないとわかったため

 

もしかしたら HuelvaからMadrid行きの電車があるかも と

荷物を引き摺りながらトボトボと駅を探し

Lockdownでほぼ無人の街中を歩き

よくやく駅らしき建物を見つけたのですが

最近、新しい駅舎ができて移転してしまった様子

(線路が撤去されてました)

 

『歩いていける場所なんだろうか』とちょっと不安がよぎったのですが

運よく買い物で外出してた風のオバチャンが歩いていたので

「Donde esta la estacion?」 と尋ねると

『この道をずっと真っすぐ行ったらいいですヨ』と親切に教えてくれちゃいました

 

そうこうしてようやく駅をみつけて

 

構内の表示板を眺めてみると・・・

到着する電車も1日に3本しかなくて それもセビージャ発のみ

ありゃ~ と思いつつ 切符売り場に行って『マドリッド行きはないの?』と尋ねると

『明日までないですヨ』だって

 

そしたらHuelvaで一泊して翌日の電車か夜行バスでMadridに出ようかな?

とも考えたのですが

Hotelがみつかったとしてもスーパーで食材買って過ごすのも面倒だし

また状況が変わってMadridに辿り着けなくなったら大事だなと

 

実は、船に乗ってる間に、レンタカー借りて

Madridで乗り捨てしようかとも考えたのですが

Andalcia の田舎町からの乗り捨てできるレンタカーが無いうえに

高速道路は警察の検問があって、相当面倒だなと諦めて

Sevillaの空港まで行って飛行機でMadridに出るしかないかなと

またまたバスターミナルまで 誰も歩いていない商店街を抜け

 

アルハンブラ宮殿のようなタイル貼りのアラビック風の建物を眺めながら

バスターミナルに到着

なんとか約2時間後のSevilla行きのチケットを購入したのですが・・・

Lockdownされて仕事を無くしたアフリカと南米からの出稼ぎ労働者だらけで

運悪く天候がすぐれずに気温10℃以下の待合室で立ったまま過ごし

朝抜きだったので腹ペコでついついスナックのポスターを恨めしく眺め

なんとか高速バスに乗車

Lockdownされてることもあってガラガラの高速をひた走り

約1時間でSevillaのバスターミナルに到着

ここでもMadridまで飛行機にしようか悩んだ末

とりあえず電車の駅に行ってみようとタクシーに乗り込み

Centro近くを通過してSanta Justaに向かったのですが

Lockdownでゴーストタウンとなった街を眺めるのがとっても悲しかったです。

 

新型コロナ騒ぎがなかったら

闘牛場やスペイン広場、アルカサルを訪ねがら

BAR巡りも楽しむつもりだったのになぁ

 

んで、到着したSanta Justa(Sevilla中央駅)

こんな状況下では治安維持のためもあって軍も出てるんです

ほとんど軍と警察官ばっかりの駅構内を

大きな荷物をズルズルと引き擦りながらチケット売り場に行ったところ

約1時間後に出発のMadrid行きのAVE (Renfe:スペイン国鉄の新幹線)の

チケットが購入できてビックリ

しばらくして改札が始まり、大喜びして電車に乗り込んだのでした

車両に乗客一人程度のガラガラの車内から

Andalcia らしい牧場や見渡す限り広がるオリーブ農園を眺めながら

約2時間半後

MadridのAtocha駅に到着

感染爆発してたこともあって ここもまたガラガラ

早朝から乗り換えの連続で疲れていたのもあって

とりあえずMadridで泊まろうかな?とホテル予約サイトを使ってみたところ

『Madrid周辺には利用できる施設がありません』との表示

 

ドッヒャ~、Lockdownされてホテルも休業になっちゃったかぁ

これは何としてもSpainから脱出するしかないなと

帰国するためのチケットを変更しようにも

ネットからも電話も航空会社と連絡が取れずにいたため

空港のカウンターで交渉するしかないと思い

Atochaから空港まで直行することにしちゃいました

チケットがルフトハンザだったためT2(ターミナル2)でしたが

簡単且つ確実に移動できるのは電車だな!と

RenfeでT4に向かいましたが

空港行きの車内もガラガラ

このT4(ターミナル4)

最新のターミナルで基本自国のイベリア航空専用

諸外国の航空会社は古いT1/2/3なので

ターミナル間の無料シャトルバスに乗ってT2に向かいました

これがまたT4だけ約8キロ離れた場所にあるため

バスに15分ほど乗車

そうしてようやくT2に到着してDeaprtureロビーに行き

その日のフライトは深夜の到着便しかないから待つしかないだろうなと諦め半分でいたところ

なんと1時間後に出発のミュンヘン行きがあったため

チケットカウンターが開いていてビックリ

デメ元で 『少しでも早く日本に帰りたいんだけど・・・』と交渉し

カウンターのオネーチャンがたぶんドイツの本社に電話を架けてくれたのですが・・・

 

さて、いつもながらの行き当たりばったり+ハラハラドキドキの旅

続きは次号で(笑)

 

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よりによってこんな時にスペイン滞在中‼︎

2020-03-18 07:36:00 | 旅行

1月のイギリスのドーバーでの仕事の続きで

その船の検査期限(車の車検のようなもの)が3月8日との事で、
 
最初スペインのFerrolの造船所に入れると聞いて、『これは行かなければ‼︎』と欧州の取引先に任せずに自分で行く事にしたのが運の尽き(ノД`)
 
その後、新型コロナウイルスが蔓延し始めたこともあってか
 
Ferrol の造船所からキャンセルされて
どうするのかな?と思っていたら
 
同じスペインとはいいながら、ほとんどアフリカのカナリア諸島のLas Palmasに決まり、3月7日の出発前日までヨーロッパでの蔓延状況を見守りながら、日本からの渡航中止勧告かスペインの入国制限がてて欲しいなぁと願っていたのですが・・・
 
約束を反故する訳にも行かず
 
ドイツのルフトハンザ航空でチケットを買って、関空〜ミュンヘン〜マドリッド経由でLas Palmas に渡り、
 
 












 
 
まだ感染者の出ていなかった現地であまり心配することなく過ごしていたのですが
 
スペイン本土がpandemicを引き起こし、非常事態宣言を出した影響で、これはヘタしたら帰れなくなるかも(;゜0゜)と
 
とりあえず装置が動けるようにして
お客さんに残りは次に日本に寄港した時にすることで了解をもらって
 
マドリッドへ飛行機が飛ばなくなったりしては大変とフェリーでAndalucíaのHuelva に渡り
 
 








クルーズ船のように濃厚接触で感染したら大変だと個室のキャビンを取って
非常事態で移動制限されてるのもあってガラガラのレストランでの食事以外は部屋に閉じこもっていたんだけど
 
 












部屋でテレビを観てると新型コロナウイルスのニュースばっかし(・_・;





日本からは今頃になって渡航中止勧告が出るし、スペインも不要不急外出禁止になって
 
果たして日本に帰れるのかなぁ(T . T)と
少し不安になりましたが
 
まあ、これも宿命だったんだろうと
心配しても仕方ないので
 
自分でできる範囲の事をして
後は成り行き任せにする事にしました(^◇^;)
 
 
 
 





続きはまた後で
 
 
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近況報告2020年1月19日England Dover城からの続き

2020-02-21 17:02:18 | 旅行

Dover滞在中にUPした記事

仕事の前だったので

精神的なゆとりなく

適当に写真載せただけで端折っちゃってゴメンなさい

 

 

あの日

実はドーヴァー城からの帰り道

 

日曜日で人気のない

またこの路上パーキングのあたりを通っていたところ

 

たった一人で歩いていた筈なのに

後ろに誰かいるような気がして振り返ったところ

 

気配を感じさせないようにつけてきた不気味なアーリア系の男がいてビックリ

こちらが急に振り返ったからか

突然立ち止まってスマホを眺めるフリをしてたんだけど

どうにも不自然に感じて

 

車の陰にならないように道路を渡って反対側の歩道に移動して

その不審な男がまだいるかとのぞいてみると

車の陰に身を潜めたのか 

どこにも姿が見えなくなって

 

もしかしたら単なる気のせいだったかもと

旧市街でレストランを探してみたんだけど

休日のことで開けてる店もあまりなく

それならついでに旧市街を散策してみよう

教会の横に会ったビジター用の地図を眺めてから

歴史を感じる古い建物のある路地に入ろうとしたところ

またその男が背後に近づいているのを発見

 

『そんな偶然あるわけないな』と

路地歩きを諦めて 人気の多い通りに移動し

不動産屋で物件を探してるフリをしながらガラスに映った背後をみると

また消えてたので

 

ホッとして 多くの人で賑わってる大きなスーパーマーケットの

フードコートでランチすることにしたところ

 

注文した料理が届けてくれたお店のオバチャンから

フォークとナイフと調味料はレジのところにありますから

自分でお好みのものを持ってきてくださいねって言われ

『おっとそうでした』とショルダーバッグを席に置いたまま 

レジに行こうとしたところ

また同じ男がフードコートの出口から入ってきて

知り合いでも探しているようなフリをして

こちらのテーブルに近づこうとしているのをみつけ

 

急いでテーブルに戻ってその男を睨みつけると

顔をそむけて逃げるように店から出ていったものの

 

『あちゃ~、獲物として付け狙われてたんだな

『単なる置き引きやひったくりならいいけど

あの人気のない場所なら路上強盗する気だったかも』 

と、冷や汗をかく出来事がありました。

 

もう何十年も世界各地を放浪し

ここ10年ほどは

ヨーロッパでの独り歩きが楽しくて

とくに危険な目に遭ってなかったから油断しちゃってたかも

と反省しちゃいました。

 

アラブの春以降

北アフリカや中東からの難民をドイツのメルケル首相が

率先して受け入れるようになってから

 

特に国家間を自由に往来ができるようなったEU諸国の治安は悪化の一途をたどり

酷いことになっちゃいましたよね

 

例を挙げ出したらキリがないけど

治安が緩そうで社会保障の充実した国への集中が著しくて

 

スウェーデンのストックホルム、デンマークのコペンハーゲン、オランダのアムステルダム、

イタリアのミラノ、フランスのマルセイユ、ベルギーのアントワープ などなど

 

鉄道の駅には置き引きやひったくり、路上強盗が日常の出来事となって

最近は、イスラム系の無差別テロを警戒して

機関銃を持った武装警官が常駐するようになっちゃいましたもんねぇ

 

昔は改札も検札もなかった鉄道やトラムも

キセルが増えすぎて主要駅には改札機を備えるようになったし

 

各国は自己防衛で国際列車での警察官の巡回や

国境付近の警備を厳しくするようになったけど、それも仕方ないなと納得するようになりました。

 

だから、個人的にはBREXITもとっても理解しているんですヨ。

 

できればいつまでも性善説で考えられる人間でありたいと思うけど、

いまは性悪説で物事をみないといけない時代になっちゃった感じです。

(日本でも詐欺商法がまかり通ってるもんなぁ

 

新型コロナの影響でどうなっちゃうのかなぁ

 

 

おっと、愚痴っぽくなってきちゃったので

話題をDoverに戻してと

 

そんなチョット嫌な出来事もあって

旧市街へ食事に行くのも考えなきゃと ホテル近くを散策していると

 

可動橋を発見

その先には古い旋回式の架道橋もあって

Doverというところが 干満の差の大きな海岸なんだと知りました。

 

↓の右奥が マリーナのポンツーン(浮き桟橋)

 

手前が海側で

まるでパナマ運河の閘門のような堰で仕切られてました。

↓ 右側の建物がウォターフロントのレストランや貸しヨットのお店

Sea Foodのメニューに心惹かれたんだけど 

冬場だからか夜の営業はしてませんでした

ビーチもあって夏場には行楽客で賑わうんだろうなぁ

 

ホテルに戻ろうとしたところ

なにやら面白そうなレストランを発見

 

ホテルのレストランは 一人だとあんまり歓迎されなかったので

ロビーのカフェでもいいかなと覗いてみましたが

ハンバーガーとかしかないのでパス

 

Fish & Chipsの店が隣接しているのを知って

営業時間に行ってみると電灯はついてるものの鍵がかかってて入店できず

 

仕方なく昼間みたゴチャゴチャしたレストランに

レトロチックで

カジュアルな雰囲気も気楽でいいかなと

まず、生ビールとスパークリングウォーターを注文

 

ウェイトレスのおねーちゃんからアラカルトよりもセットメニューを勧められたので

ローストラムのセットを注文

 

とってもイギリスらしいお味でしたぁ(ようするに不味かった)

デザートはアイスクリームかチョコのスポンジケーキと聞いて

ケーキを頼んでみたんですけど・・・甘いだけって感じ

まあ、イギリスらしくてそれも良かったんじゃないかなと納得(ウソコケ)

 

そんなこんなでよくやく仕事の船が到着したのですが

深夜の着岸だったので 翌日の早朝に乗船したところ

午後には出航するとのことで

 

遠方まで出向いてきていい加減な仕事しちゃいけないな と

次の港(オランダのVlissingen)まで船に乗ってくことにしちゃいました

今回の仕事先は冷凍運搬船といって

魚や野菜、果物等の冷凍、冷蔵品を運ぶ船で

 

この船はアフリカや南米で果物を積み込み

このイギリスのDoverとオランダのVlissingenで降ろす定期航路のため

ほぼ毎月入港しているんです。

当初の予定では

1月18日の夕方に入港して19日の未明に出航する予定だったので

下船してからFerryでドーヴァー海峡の対岸のフランスのCalaisに渡って

のんびり田舎町でも巡りながら帰国するつもりだったのが

大番狂わせ

 

ま、船の仕事をしてると

こんなことは日常茶飯事なので平気なんですけどネ

 

ということで、今回はDoverの続きまで

 

くれぐれも旅行中は気を抜かないようにというか

危なそうな場所には近づかないようにご注意くださいネ

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続 近況報告 2020年1月19日

2020-01-20 01:27:00 | 旅行
 


 
 

今回の仕事先の船が遅れて

本日の時間に余裕ができたのでと
 
街で食事しようと出かけたところ
思いの外小さな街で
 
 
















 
 
歩いていたら英国で一番古くて
歴史の宝庫で世界遺産として超有名な
ドーヴァー城が目の前だったので
 
普段は仕事前にはしないようにしている
現地観光してきちゃいました
 
このお城の観光スポット
八合目ほどのところにあるゲートで
拝観料を払うシステムで
 










 
 
気楽に入場しようと思ったら
な、なんと約£21(¥3,000)
 
驚いて受付のオバちゃんに
『へぇ〜、高いねぇ〜』と言うと
 
「高いでしょう。でもとっても広くてとっても古い英国を代表する素晴らしい観光スポットなんですよ」って勧められて
 
『それは楽しみだなぁ』
ウキウキしながら拝観料を支払うと
 
「どこから来たの?」と尋ねられ
『日本からだよ』と答えると
 
日本語のパンフレットを渡され
右手に紙製の腕輪式の入場券を着けてくれました
 
腕が太すぎて「ワオ‼︎ ギリギリかも」って驚かれながら(笑)
 
さて、このお城
なんせヨーロッパの長く混沌とした
争いの歴史が刻まれたところで
 
ローマ時代から中世ナポレオン
二つの世界大戦と
 
とにかく凄いところでした。
↑(面倒になって端折っちゃったよ)
 
 




















 




















 
このお城の事やドーヴァーのことは
また別の機会にでも記事にしますね(ホントかなぁ
 
たぶん続く←(これまた信じられへん(笑))
 
 
いま夜中の1:25。
あと3時間したら
 
起きて本来のココに来た目的の
お仕事の船に行かないといけないので・・・
 
 
 
ほなまた
 
 
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近況報告 2020年 1月19日

2020-01-19 08:04:00 | 旅行
 


 
 
注釈:極めて特定の仲良しの京都のお師匠さん向けの記事なので、一般(?)の皆様は軽くスルーして下さいね
 
さて、先週木曜日に突然決まった出稼ぎ
 
今回も船の仕事で
アフリカか南米からヨーロッパに果物類を運ぶ冷凍運搬船からのご依頼
 
約10年前に日本の造船所向けに売った
北欧の機械を再来月に決まったスペインのドックで修理したいから原因調査と必要な部品等の調査をお願いしたいと言うもの。
 
当初は製造元の北欧の会社に頼めないかとの問い合わせでしたが
 
なんせラフでいい加減な対応でいつも事後の尻拭きに苦労する北欧の会社のこと
 
それなら自分で行っておいた方がいいな
利益度外視で決めちゃったって訳
 
なんせチッポケな我が社のこと
お客さんとのメールのやりとりも全員に周知してるので
「明後日からヨーロッパ行ってくるね」
と伝えると
 
社員さんからは『社長は何処か近所に行くくらいの気軽さで世界中どこにでも行っちゃいますよね💦』
 
と驚いてくれたのですが
 
家族の方はいつもの事だと全く驚かず(笑)
 
という事でそんな事から始まった今回の旅の中間報告です。
 
とりあえず写真🤳でご報告
 
※今回の旅先は、船がヨーロッパで最初に寄港するのがイギリスで次にオランダの最南端の港にシフトする予定だったので
 
どちらでも直ぐに対応できるようにと
ほぼ中間地点のベルギーのブリュッセルに飛んで
 
陸路、電車でイギリスに渡る事にしました
 
 
 
1月18日土曜日
朝4時起きして
そこからはいつものルーチンで
健康味噌汁作ってお風呂入って(笑)
 
5時半に家を出て近所の空港バスのバス停から伊丹空港行きのリムジンに乗車
 
出発までラウンジで過ごし
 
 


この日は運悪く低気圧の影響で
大回りしての予定時間より15分遅れの到着
 
国際線の出国ゲートから最近できたアンダーパスを通って搭乗口近くのラウンジへ
 
 
仕事前はアルコールを控えてるので
しこたま炭水化物を摂りこんで(笑)




飛行時間11時間半の機内では
いつもの欧州便での時差ボケ対策に
仮眠をとらず映画を6本観て
 
ブリュッセルに到着
ブリュッセルを選んだ背景のひとつが
他と比べて利用客が少ないのでサッサと入国手続きを終えて荷物も受け取れるってところ
 
着陸したのが3時20分で
な、なんと3時45分には電車のチケットも買ってホームに立ってましたとさ




4時13分発のブリュッセル市内方面行きの電車で国際列車乗り換えの
Brussel Zuid駅に到着


予定より早く着きすぎたので
パスポートコントロールのチャンネルコントロールを横眼で眺めながら


どっか外で茶でもしばこうかと出てみると
不良の溜まり場でしたぁ
 
ベルギーは変に治安が良かったから
不良外国人が増えちゃったんだよね
 
EUになってヨーロッパのどこでも簡単に行き来できるようになって
ほんと激増しちゃいましたよね
















今回ドーバーで泊まってるホテルがココ↓
Best Western Plus Marina front 


 
 
機内食もしっかり完食してきたのに
お腹ペコペコで、朝まで持たないなと
レストランに飛び込んじゃいました
 



 




このホテル
ウォーターフロントなので
人気のスポット
 
部屋はシンプルだけどなかなか良い感じです。




 
 
 
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2019年12月北海道 石狩挽歌の世界を求めて

2019-12-18 15:40:39 | 旅行

 

https://www.youtube.com/watch?v=Gq5e9H6SS4I

 

 

1週間前の12月10日

 

この冬一番の寒さと吹雪が続いていた小樽での仕事を終え

前々からいつかは訪れてみようと考えていた

映画”駅”の舞台の増毛に行くことを思い立ち

 

その前に40年前の1978年の冬に航海訓練所の練習船”大成丸”での北海道初上陸で訪れた

鰊御殿ものぞいてみようと思い向かったところ・・・

 

この景色を眺めた途端

♪あれから鰊はどこえいったやらぁ♪

と、何も考えていなかったのに自然と口から歌の一節が飛び出してしまい

BGMにとYoutubeをみたのが運の尽き

 

歌を聴いてるだけで往時の情景がまざまざと蘇り

完全に虜になってしまいました。

 

石狩挽歌(いしかりばんか)
作詞:なかにし礼(曲リスト)
作曲:浜 圭介
歌唱:北原ミレイ
制作:滝野細道

(一)
海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問(と)い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸(かさとまる)
わたしゃ涙で ニシン曇りの 空を見る

(二)
燃えろ篝火 朝里(あさり)の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節で 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ
オンボロボロロー
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの 夢を見る

 

増毛への想いは消えないものの

石狩挽歌の世界を求めて彷徨うこととなってしまいましたが

真冬の石狩湾を眺めながらの雪道ドライブ

なかなか良かったなぁ

 

といつものように一人悦に入ってました(笑)

 

(望来浜付近)

(厚田 あいロード夕日の丘)

(浜益海浜公園)

(雄冬)

(増毛駅前)

(増毛漁港)

 

それにしても昭和の演歌は凄いし、その時代に生きていたことに感謝‼

 

いまや番屋もないし

浜の篝火も問刺し網の切れっぱしもないけれど

 

こんなに心に沁みる歌詞の世界を

いまの若い人達は感じることができないんだと思うと

可哀相だな

 

 

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鹿児島行き当たりばったりの旅 2017  【後半:薩摩半島編】

2017-09-05 15:01:03 | 旅行

前半の大隅半島を投稿してから約半年・・・

我ながら、なんちゅ~エエ加減なヤツやろと思います(反省)

 

と言うことで、とりあえず鹿児島の旅の続きをご報告したいと思います(誰も期待してないと知りつつ・・・)

 

さて、前半の垂水から鴨池までのフェリーに乗船したところからの続き

 

錦江湾沿いに南下してこの宿泊施設にチェックイン 

実は、この施設、一般のお客さんはめったに使わないシーメンズクラブの宿泊施設

 

一階のロビーには、こんな船の模型や

号鐘(シップベル)が飾られてたりするんですよ。

と言うのも、ここはオイルショック後に作られた石油備蓄で知る人ぞ知る喜入港

海運関係者でなければ、特に興味を持たれないと思いますが

当時世界最大の原油タンカー 日石丸の碇がモニュメントとして飾られてたりします

いまでも、日石丸よりはるかに巨大なULCC(Ultra Large Crude Oil Carrier:超巨大タンカー)が定期的に入港し

石油備蓄基地としてしての役割を担っています。

ほとんど日本人船員のいなくなった外航商船界ですが、

こうした原油タンカーやLNGタンカーは、国として燃料の安定確保に係る重要な船舶のため

いまでも日本人乗組員が乗船しているんです。(但し、士官のみですが)

いまでは、乗船期間も短くなり通信機器やインターネットも使えるようになって

海上勤務も楽になりましたが、昔は一度乗船したら1年以上中近東と荷揚げ地までのピストン輸送に従事していたため

日本に寄港した時には家族がひと時の再会のために

主要な港には海員組合が運営する前述の船員宿泊施設が建てられ賑わっていたものでした。

 

この日は、朝から乗船する予定が船の接岸が遅れ、仕事を完了したのが夕暮れ時となり

スマホで予定していた指宿の安宿を急いで予約し宿に向かいました。

喜入港には以前にも訪れたことがあったのですが

仕事が終わってからそそくさと電車を乗り継ぎ鹿児島を離れてしまったこともあり

 

この日は、念願の指宿に泊まることになってルンルン気分

 

日本有数の有名な温泉地である指宿のこと

ネットのホテル検索サイトでも名だたる有名なホテルが沢山あったのですが

どうせなら美味しい魚介類を肴に焼酎が飲みたいな と決めたのが・・・

山川駅前で温泉付き、宿の中に食堂もあるこの宿

値段の安さから、ある程度は覚悟していたのですが・・・

バス・トイレ別のこんな部屋

いちおうまだ新築ですが、防音されてない薄い壁と煎餅布団にビックリ

その上、TVもエアコンも有料

洗面所はこんな感じでした

それでも、食堂は期待どおりの一般大衆向けで大満足

カツオの水揚げ港で有名な枕崎が近いので ハランボを注文

続いてお刺身の三種盛りに

カツオのタタキ(枕崎も土佐清水もタマネギに酢で〆てあるんです)

ちょ~っと期待よりはお粗末な料理でしたが 焼酎は美味しかったですよ~♪

 

あと、写真には撮っていませんが、温泉も源泉かけ流しの”いかにも”って感じで

清潔感は劣るもののそこそこ満足

 

 

翌朝は早起きして開聞岳を眺める絶景ポイントの長崎鼻に

映画”ホタル”の舞台を訪ねた旅でもご紹介しているので、開聞岳の景色は割愛しますが

潮だまりと遠く屋久島も眺められてとても素敵な場所でした

(まだ観光客がいない時間だったので、景色を独り占めできてラッキーでした)

その後は、これまた指宿で見逃せない砂蒸し風呂に

指宿の温泉街の方が有名なようですが、

前日その温泉街の砂蒸し風呂に行ったお客が

『湯(温度)加減といい、雰囲気といいココの方が全然いいよな~!』と話していました。

 

たしかに、満潮になると波打ち際は使えなくなるそうですが

横になっている間もさざ波の音がとってもいいBGMになって癒されますよ♪

 

一般の入浴は砂蒸し風呂とこの温泉のセットですが

オプションで露天風呂もありました。

 

利用した時間が早すぎたため、少し待ってから蒸した玉子とサツマイモを購入

朝御飯抜きだったので、とっても美味しくいただきました

 

この公営砂蒸し風呂”砂湯里”を出てから

知覧に向かい平和会館を拝観してから鹿児島市の中心部へ向かいました。

【知覧の平和会館は、〔映画”ホタル”の舞台を訪ねた旅〕でご紹介させていただきましたので割愛します】

 

この後は、にっぽん縦断”こころ旅”の2016年秋の旅、鹿児島市慈眼寺公園の足跡を辿ったのですが

それはまた別の記事でご紹介させていただきますね。

 

実は、当初の予定では、この時の鹿児島の旅はここまでで

レンタカーを返して新幹線で小倉に向かい

角打ちと昼夜食堂を楽しんでから、家に帰るつもりだったのですが・・・

 

運がいいのか悪いのか

喜入での船の着岸時刻が遅くなり、仕事を終えたのが午後の5時をまわってしまい

税関に電話を入れたところ

「なんでもっと早く連絡を入れないんですか!」

「今日(土曜日)は、空港の応援で出庁してたけど、普段だったらいないんですよ」

「通関せずに物品を持ってるのは違反行為ですよ!」と

電話に出た若造職員が文句タラタラ

 

「船の入港時間が遅れて、下船時間が遅れて税関に連絡取ろうとしたらもう閉庁後だったんだけど」

と反論したところ

 

「それなら喜入の通関業者に渡して保税で保管しろ」と言うので、

どこの通関業者に出したらいいんだと尋ねると的確な回答もなく

 

何度も電話をかけなおして、挙句の果てに週末は閉庁なので、月曜に持参しろとのこと

 

ついでに日頃抱えている税関に対する不満をぶちまけさせていただくと・・・

最近の若造職員、ロクなのがいない!!!

 

権力を笠に、アレコレと難癖をつけることばかり

たとえば、地方の税関支署は定時で閉庁し、週末も閉庁日

 

船は、天候や遅延で動静が変わるのもある種の常識

その上曜日も時間も関係なく入出港しているので

税関の開いている時間に処理できないこともしばしば発生するため

 

支署の閉庁後に船を下船した時に本庁(たとえば名古屋税関)に電話して

『仕事で陸揚げした不要船用品があるので書類を送って処理していただけませんか』と言うと

 

決まって電話に出るのは下っ端の税関職員になりたての若造。

アレコレと難癖をつけてまるで嫌がらせをしているような対応を何度されたことか

 

「そこまで文句言うなら、船が入出港してるのに時間通りで閉庁するは、見回りもしないでいいのか!」

とぶち切れると、よくやく上司らしき人物が出てきてそれなりの対応をしてくれるのですが

 

上から目線で偉そうな物言いといい

職員の指導ができてないな~との思いでいます。

 

 

おっと、愚痴はこれくらいにしてと

 

 

ということで仕方なく土曜日、日曜日を鹿児島で過ごすこととなり

ホテルを取って2泊することになるならばと

転んでもタダでは起きないヤツなので

残念ながら雨模様でしたが

桜島に行き その後鹿児島市を観光してみました

 

現在の鹿児島中央駅(旧:西鹿児島)から市電で鹿児島駅に向かい

歩いて桜島桟橋に行きフェリーに乗船

 

ドキュメント72時間で観た桜島のフェリーターミナルを思い出しちゃいましたね~

ところが、いつもながらの”行き当たりばったり”で下調べしていないもので

雨の中、どこ(展望台)から眺めるのがいいのか

どうやっていいのかわからずのウロウロした結果

 

乗り放題チケットを見つけて

小型バスの乗車

雨だったので通勤ラッシュ並みの混雑でした

何箇所か観光スポットをまわって展望台に到着

生憎の雨で全貌を見ることはできませんでしたが

活火山を目の当たりにして迫力に圧倒されましたよ。

 

 

その後は、市内を散策して月曜日に税関で通関処理をして用事を済ませたものの

小倉に立ち寄る気力がなくなって

帰路もさんふらわあで帰るとこにしてしまいました

 

 

 

 最後に

この鹿児島の旅を時系列でお知らせすると

 

3月1日

17:00 大阪南港コスモフェリーターミナル

17:50 大阪南港出航

19:30 友が島水道通過

 

3月2日

09:00 志布志港到着 下船

09:15 レンタカー手続き完了 出発

10:15 内之浦宇宙センター到着

11:30 駆け足で見学して出発

13:00 佐多岬着

14:00 根占着 (昼食)

14:30 根占~山川フェリー乗り場

15:00 鹿屋航空基地史料館着(約1時間滞在)

17:00 海潟漁港着

18:00 垂水~鴨池フェリー乗船

20:00 喜入シーメンズクラブ着

 

3月3日

(仕事)

17:30 下船

17:45 道の駅 いぶすき通過

18:15 くり屋着

 

3月4日

07:45 くり屋発

08:00 長崎鼻駐車場着

~09:00 長崎鼻見学

 

09:10 砂蒸し風呂 砂湯里着

09:50 砂湯里発

10:30 知覧平和会館駐車場着

~13:30 平和会館拝観

14:00 富屋食堂(ホタル食堂)

15:30 ウオーターフロントパーク着

(この後は、こころ旅の足跡を辿る旅)

 

3月5日

10:00 鹿児島中央駅前ホテル発

11:00 桜島フェリーターミナル

11:20 桜島着 周遊バスで展望台(12:50~13:00)

国民宿舎で昼食と温泉入湯

15:00 桜島フェリー鹿児島港着

 

3月6日

電車で慈眼寺に移動して税関へ

その後こころ旅の足跡を辿る旅の続き

14:40 さんふらわあ連絡バス乗車(無料)

17:00 志布志港から乗船

 

 

イヤ~思わぬ長旅となってしまいましたが

心ゆくまで鹿児島を堪能できました

 

 

酒(焼酎)よし、食べ物(魚、黒豚、天ぷら、ラーメン)よし、

温泉よし、見どころいっぱいでいいところでしたよ~

 

 

 

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鹿児島行き当たりばったりの旅 2017 【前半:大隅半島編】

2017-03-15 09:52:39 | 旅行

 

 

先日のこと

鹿児島に行く仕事の予定が入り大喜び

 

目的地は喜入の石油備蓄基地に入港するULCC(超大型タンカー)での仕事

 

実は、前回も2年前の2015年の4月に同じ船の仕事で同じ喜入に行っていたのですが

その時は翌日の早朝に博多で欧州から来る人間と合流して長崎でのアポがあったのに

いつものことながら船の入港時間が遅れて仕事を終えたのが日付が変わった深夜0時

 

船で泊まられたらとのお勧めを丁重にお断りして

通船で陸にあがり予約してあったシーメンズクラブに泊まり

翌早朝始発電車で鹿児島中央で新幹線に乗り継いで

なんとか博多で欧州からの人間をピックアップして長崎でのアポに間に合うことができたのですが・・・

 

そんな日程だったことや、生憎天候にも恵まれず曇天で桜島さえも見えなかったこともあり

鹿児島に行った気分にすらなれなかったことを悔しく思っていたため

 

『今回は、何が何でも鹿児島を満喫してやるぞ!』と

実は仕事以上に力を注ぐ決意をしておりました。

 

特に、”大好きな健さんの【ホタル】のロケ地巡り”

”にっぽん縦断こころ旅の【595日目の鹿児島市慈眼寺公園の旅】”

それに加えて”ドキュメント72時間で取り上げられた【火の島 フェリーに揺られて行ったり来たり】”

で観た場所で実際にその雰囲気に包まれてみたい。

 

その上、できたら指宿で砂蒸し風呂も

と訪れてみたい場所がいっぱい

 

これまで59年間生きてきて

鹿児島は前述の2年前と約40年前に航海訓練所の練習船で志布志に入港して

カッター上陸(実質滞在時間4・5時間)したことしかなかったため

 

もしかしたら、これが人生最後の鹿児島かもと思うと

絶対に行きたかった場所を、今回こそは訪れておこうと

旅程を考えてみました。

 

まず、絶対に変更できない仕事(3月3日)を定め

移動手段に新幹線を使っても、飛行機を使っても所要時間が6~7時間程度必要とわかり

日中丸1日使って移動するなんて人生を無駄にしているようで絶対に嫌だと

大阪からフェリーを使うことにしてみました。

 

ということで3月1日の船を使うことにして

奈良を4時に出発 大阪南港から5時過ぎに乗船

 

]

 

 

 

翌朝9時に志布志に到着して予約していたレンタカーに乗り込み

 

 

特攻基地の知覧(陸軍)に行くなら、海軍の鹿屋にも行っておかないとと

鹿屋方面の標識に従って車を進めてきたところ

 

志布志から出たばかりの分岐点にあった”内之浦ロケットセンター”の標識が目に入り

『まだ時間も早い(09:30頃)事だしロケットセンターに立ち寄ってもいいかな』

と国道448号線にハンドルを切ったところ

平地から突然7・800m級の山が行く手を遮るように現れだしてビックリ

 

風光明媚な海岸線に沿って志布志から約1時間

内之浦に到着しました

 

 

 

この方面のことについては全く無知の世界だったので

種子島だけと思っていたら

 

元々は東大の研究から始まって

その後JAXAが引き継いだんだとか

 

もしこの方面に旅行される機会があれば

是非立ち寄ってみて下さい。

 

その後は、同じ道を戻るのもつまらないし

どうせここまで南下したんだったら大隅半島南端の佐多岬まで行ってやれと

国道448号線をどんどん南下して

標識のまま佐多岬を目指してひた走ったのですが

距離は大したことない(約70キロ)ものの

山道の連続で約1時間半走りづめで佐多岬に到着

 

 

残念ながら、新しい展望台の工事中で最先端部には行けませんでしたが

なかなかの景色に満足

 

 

 

気が付くと 船でバイキングの朝食を避けてたうえに

前夜もつい先日から始めたダイエット中のために

乗船前にコンビニで買ったソバとバナナと低脂肪牛乳で溶かしたプロティンを飲んだだけ

 

そんな状態だったのに思いつくままに車を走らせてきたため 

お腹がペッコペコ

 

どこか食事でもできるとこないかな?と 

 今度は錦江湾に沿って北上するも

かなか自分好みの飲食店(あくまでもごく普通の食堂)が見つからず

もう普通の食堂は諦めるかとみつけた道の駅は定休日

 

空模様も怪しくなってきて、飲食店を探すのも面倒くさくなってきて

根占からフェリーに乗って指宿の山川に渡っちゃおうかな

と思っていたら

 

まるで民家のような食堂を発見!

 

のれんをくぐるのとほぼ同時にメニューにあったラーメン(大)を注文したのですが

よくよくみるとチャンポンがあることに気付き

「ラーメンとチャンポンとどっちがお勧めですか?」と尋ねると

「お好みですからね~、チャンポンは野菜タップリですけどね」とのことで

「それじゃあ、チャンポンでお願いします!」と変更してしましました

 

 

美味しかったですよ~

 

あと、お店の中も昭和レトロ満載で写真撮りたかったんだけど

撮り損ねてしましました。

 

 

 

お腹も膨らんで鹿屋に向けて出発したところ

根占ー山川フェリーの乗り場があったので

立ち寄ってみたところ、強風で欠航

 

 

 

『良かった~、その方が後々後悔しなくていいや!』

と再出発して鹿屋を目指しました

 

 

鹿屋航空基地の史料館を拝観していたところ

特攻のコーナーで目が釘付けになってしまい

 

気が付くと既に午後4時をまわっていて大焦り

 

急いで海潟漁港を散策してから

(海潟漁港のことは映画”ホタル”の記事でご紹介してるので割愛しますね)

 

桜島からフェリーに乗ろうか

それとも垂水港に戻ってフェリーに乗ろうか

(これが行き当たりばったりの楽しみ)

 

 

悩みながら垂水フェリーの時刻表を調べると

18:00発があることがわかったものの

時刻は既に17:50

 

まあ、無理だなと思いつつ

桜島は日中にゆっくりと周るべきだろうし

次のフェリーでいいやと、焦ることもなく垂水港に行ってみたところ

なんとギリギリ(17:58)だったのに乗船させてくれちゃいました

 

 

伊勢湾フェリーとかだったら、車検証で車のサイズを調べてから

切符売り場で乗船券を買う手順なのに

 

鹿児島では、車用のゲートで支払まで済ませられちゃうから

超簡単に乗り込むことができちゃうんですよ

 

と言うことで、バタバタしながら乗船し

客室にあがってみたところ

 

えらく広いうどん&蕎麦コーナーの扉を開けてしまい

 

朝抜きだったわけだし、晩御飯にしてもいいんだし

と自分に言い訳しながら

かき揚げ玉うどんとオニギリを注文してしまいました(笑)

 

夕暮れの桜島を眺めながら美味しかったなぁ

 

【後半:薩摩半島編に続く】

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