東欧のアルメニアとアゼルバイジャンが
軍事衝突をおこしました
元々 旧ソ連邦内にあった両国ですが
連邦崩壊後 90年代初頭にも激しい
戦いを起こしています
南カフカス地方の旧ソ連構成国アゼルバイジャンと
アルメニアの双方が領有を主張するアゼルバイジャン
西部ナゴルノカラバフ自治州で大規模な戦闘が発生した
右隅 最初にやられた車両が装甲や履帯に損傷して擱座している
民間人を含む複数の死傷者が出ているもよう。
両国間では7月にも、同自治州から数百キロ離れた
アゼルバイジャン北西部トブス地区で計10人以上が
死亡する戦闘が発生しており、両国間の緊張が再び
高まった形だ/サンケイより
双方の発表を載せておきます
アゼルバイジャン側の発表
イルハム・アリエフ大統領
アルメニアが領していた6つの村を占領した
これにより 長年敵の占領下にあったいくつかの
村が解放された
ヘリコプター1機が失われたが、乗組員は生き残り、
12基のアルメニア防空システムが破壊された
アルメニア側の発表
ニコル・パシニャン首相
「私たちの神聖な故郷を守る準備をしなさい」と述べた。
全土に戒厳令と完全な軍事動員を宣言しました。
反撃して 以下の損害を与えた模様
今回の衝突は 画像からも相当数の軍用車両が
集結しているのがわかり より激しくなるかもしれません
ナゴルノ・カラバフ戦争
ついでに今回の紛争地でもあるナゴルノ・カラバフを
巡る1988年から1994年の激突を振り返っておきましょう
これは基本的にはアルメニア系とイスラム系の
アゼルバイジャン系がソ連崩壊で箍が外れ
カラバフはアルメニアの土地としてアゼルバイジャンの
領内に「ナゴルノ・カラバフ自治州」が生まれたことが
紛争の原因となりました
この地を巡り 両国の対立は深まり結局
戦争状態となります
しかし この戦いはちょっと信じられないような
結果で終わります
惨敗したアゼルバイジャン軍
まず1988年から1994年における両軍の戦力
なんですが アゼルバイジャン軍は陸軍が
38,000 空軍が1,600 その他にトルコや
イスラム武装勢力等の助っ人が加わり
4万数千の陣容となります
一方でアルメニア軍は陸軍12,000に
国民義勇兵団を加えて約2万
空軍機は数機という貧弱さでした
にもかかわらずアゼルバイジャン軍の
損害は戦死者2万以上と壊滅的な
打撃を受けてしまいます
一方のアルメニア軍の死亡者数は
5000~6000人程度で終えています
この勝因はアルメニア側はソ連崩壊後に
軍事力の用意(ほとんどソ連軍からの
買い取り)がいくらか早く 練度もあった
また数機の戦闘機に傭兵パイロットを載せ
戦果を挙げさせた そしてなんといっても
アルメニア側の戦意が高かったことが
挙げられます
今回のアゼルバイジャン軍陣地に打ち込まれる砲弾
それから26年 アゼルバイジャン軍の
MBTは T-90x 100両 T-72 x350-400両
航空戦力もMiG-29フルクラムが49機
フロッグフット系の対地攻撃機が60機近くもあります
それに対してアルメニア軍はT-80 x20両
T-72 x100両程度
空もMiG-25フォックスバットがたった一機に
Su-25系が10機と質 量ともにアゼル軍が
優勢なんですが 果たしてどうでしょうか?
アゼルバイジャンのリベンジとなるのかどうか
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