今回はインドの独立についてみます
スバス・チャンドラ・ボース
自由インド仮政府国家主席兼
インド国民軍最高司令官。
チャンドラ・ボースについて簡単に述べます
ガンディーの非暴力主義に対してイギリスが武力支配
している以上、インド独立は武力によってのみ達成される
という信念を抱いていた
イギリスとドイツの開戦を知ったボースは、
「これはインド独立の絶好の機会である」とドイツに向う
ドイツに亡命滞在をしたボースであったが
ドイツに亡命滞在をしたボースであったが
当初は彼の存在はVIP待遇には ほど遠い扱いであった
日本のインド方面でのインド独立連盟が本格化
するとその指導者にボースが選ばれた
移送作戦
ここに日本 ドイツ インドによるインド独立戦
が展開する
空路は危険と判断され 遣独潜水艦作戦
という日独の潜水艦ルートが選定された
日本 ドイツ両海軍潜水艦によるボース移送作戦が
開始された
まずUボート U180でマダガスカル島へ向かう
1943年2月8日、ボースの乗り込んだドイツの U180は
フランスブレストを出航した。
4月26日マダガスカル島東南沖で
Uボートと日本海軍巡潜乙型伊号
第二九潜水艦が合流した
第二九潜水艦が合流した
ここで、ボースらは翌4月27日になって
日本側の伊号潜水艦へ乗り込んだ
5月6日、潜水艦はスマトラ島に到着した。
現地で飛行機便を待ち、5月16日に東京に到着
ヒトラー政権とは相性の悪かったボースだが
日本の東條内閣とはボースの東亜解放思想の
許に一致団結を果たした
そしてインパール作戦にボースとインド国民軍が
加わることになる
インパール作戦自体は悲惨な結果に終わったが
この戦いをインドではインパール独立戦争と
呼称していることからも 日印軍のひとつの
証拠となるだろう
しかし 残念ながら1945年8月18日にボースの
しかし 残念ながら1945年8月18日にボースの
乗った機体は事故を起こし 亡くなっている
インパール作戦で従軍した99歳の
日本兵だった方にインド式最敬礼するモディ首相
戦後はいろいろな評価があり 国際的には
ガンジーの名前を知らない人はいないが
ボースの名を知る人は少ないかもしれません
ですがインド国内ではインド皇帝であった
イギリスのジョージ5世の銅像を退かして
このボースの銅像が建っていることが
全てを表している気がします
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