8/18におこったロシアの騙し討ち
占守島の戦いを振り返ります
当時の状況を端的に語るケースとして8月18日に
カムチャッカ方面にて展開された堤中将麾下の
第91師団の占守島での戦いぶりを載せておきます
占守島の戦い
占守/しむしゅ島とは、千島列島の東端にある島です
ここには国境の守りとして第91師団が駐屯して
戦闘がなかったために比較的豊富な武器と
弾薬が温存されていました
航空戦力はたった8機でほとんど旧式機でしたが
これが後に大きな威力を発揮します
この占守島の戦いは8月18日から発生していますが
8月17日から 予兆が次々とおきていました
しかし守備隊には強い警戒感がありませんでした
戦後の我々だけでなく 当時の最前線の将兵らも
終戦によって戦いは終わったという意識が見られます
では1945年8月の三日間の戦いを見てみましょう
(※正確には旧ソ連軍ですが 煩雑なので以後は
ロシア軍と書きます)
怪しげな動きをする陣営現る
8月17日に国籍が不明な勢力による
砲爆撃がはじまり 多数の舟艇が目撃される
しかし 日本側は終戦後の攻撃は無いという
認識をもっていたため 一応の警戒命令を
出しただけであった
虚を突かれた攻撃
8月18日午前2時頃 ロシア軍先遣隊の上陸が
支援砲撃下で開始される
海岸守備には日本軍独立歩兵第282大隊と
国端岬の砲兵陣地には野砲1門、特殊臼砲1門、
速射砲1門が配備されていたが直ちに反撃を開始した
,
奮戦した38式野砲/陸自所有
午前3時頃よりロシア側の後続部隊の上陸が続いたが
日本側の砲撃により上陸用舟艇だけで13隻もが
沈められたロシア軍は緒戦において 重火器と
司令部付スタッフの多くを失ってしまう結果となる
占守島の民間人を守れ
敵はロシアと判明したが 幌筵島/ぱらむしるに
あった第91師団司令部では終戦後のこともあって
和戦論議の混乱があった
ここで奇跡的といわれたキスカ島撤退でも
英断を下した 第5方面軍司令官の樋口季一郎
中将の"断固撃退すべし" という断に加えて
堤師団司令の 占守島にいる1200名の国民を
守り抜かねばならない そのために軍が在る
とする方針の基にロシア撃退の令が飛んだ
直ちに 四嶺山の南側に陣どっていた重砲隊の
15サンチ加濃砲と10サンチ加濃砲が猛然と火を噴き
新砲塔のチハ/20両を含んだ戦車第11連隊40両も
ロシア上陸地点の国端岬へ向け突進を始めた
四嶺山の戦闘
第11連隊は国端岬への途中にある四嶺山に
おいてロシア軍と激しくぶつかった
北斜面等から進攻してくる敵に突撃を敢行して
約2時間の戦闘で撃退に成功する
敵軍は100名以上の死体を残し竹田浜へ退却した
戦車第11連隊 士魂碑
愛知県幡豆郡三ヶ根山・比島観音霊場
一方で連隊側も この一戦にて戦力の7割に
当たる27両と連隊長以下96名を失った
日露で大きく分かれる空爆による損害評価
WW2最後の航空攻撃となる占守島での空爆は
日本側は多大な戦果在りとしているのに対して
ロシア側はほとんど戦果無しと大きく異なっている
参加部隊は第54戦隊の一式戦4機と北東空の
九七艦攻4機の計8機となっている
少なめの戦果
輸送船に直撃弾1発・掃海艇1隻撃沈
九七艦攻1機損失となっている
この他にも 当時を知る黒田海軍少尉によれば
"最初に撃墜されたのは荒谷飛行兵曹で
その後の空爆で 海防艦2(一隻は指揮官搭乗艦)
中型輸送艦1を撃沈 輸送艦3に損傷を与えた"
という証言もある
少し過大にも思えるが 露軍側は上陸時だけで
参加艦船54隻の内 上陸用舟艇13隻、輸送船3隻の
計16隻を撃沈又は損傷を受け 緒戦で約3割を失った
という記述もあるので国端岬の砲撃と九七艦攻等の空爆は
併せてロシア軍に多大な損害を与えたことは間違いない
ここまで 島をめぐる戦いの半ばまでみてきました
この島嶼戦闘はロシア側が大量に物資を
運びいれる前に叩けたことが大きいと思われます
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