体力がなくなると、読書力も落ちる。『日本会議の正体』は密度の濃いものだったので、毎晩手に取って、1か月くらいかかった。
そんななか、副島隆彦という名が飛びこんできて、なにを読もうかと、目にしたのが、この「老人一年生」だった。
歯切れのいい文体と一頁大のイラストか写真付き、幻冬社らしいと思いながら、ひと晩で読んでしまう。
半年の間に、通風を始めとし、頚痛、腰痛など、さまざまな痛みを経験し、老人とは痛みを抱えるものだと言う。その痛みを若い人は理解しない、自分もそうだったと。
(写真は本書より)
著者は、痛みには、なんとかなる痛みと腐った痛みとがあるという。
要は、骨折とか急性のもので治る痛み、温めたり湿布したり、なだめられる痛みは、良性とでも言える。
腐った痛みは、慢性で治らない痛み、一生もん、というもの。
アメリカの政治ドラマ(イギリスドラマのリメイク)の『野望の階段』で、ケヴィン・スペイシー
演ずる主人公ーーその飼犬が、確か交通事故で瀕死の痛みに耐えているのを見て、「痛みには人を成長させるものと、無益な痛みがある」と呟きながら、愛犬を銃で撃ってしまう場面が強烈であった。
馬などが転倒して苦しむと即殺す場面なども、映画でなんども目にした。
腐った痛みは、無益な痛みと同じである。この無益な痛みに日夜苛まされながら生きる辛さは、だれにも理解できないだろう。
ーー毎日生きているだけで、病床の激しい痛みや中くらいの痛みがずっと続くのはたまらない。体の痛みで顔が歪んで不愉快で、「もう、死んだほうがまし」と思う。ーー
正直、私も、こんな痛みに襲われるのが週1か10日に1度ぐらいだったのが、年々少しずつ悪くなり、今や週3か4ぐらいで襲われる。なにをしていても痛い!
痛みは、サイレント・キラー(影の殺し屋)とも言われているが、間断なく、この殺し屋に狙われている。我慢強い人ほど、後々損をする。痛みは早くとったほうがいいのだ。
整形外科の悪口?もテキパキ言ってくれるし、それこそ子どもたちも理解十分とは言えない。医師は故意に聞かないようにしていると思われるぐらい、どこへ行っても治らないと言われるだけの、ここ数年を過ごしている私としては、こうして痛みを理解してくれる人が一人でもいることを、心づよく思ったしだい。
作者は1953年生まれだから、まだまだ若い。だからこそ老人一年生と言う。
私などは、大学まで行って留年を何年も続けているようなものだ。
シャクに触るのは、同い年の友人が未だに山登りに出かけているのを聞くことだ。
彼女はピンコロタイプなんだろな、などと、羨ましくなる。
でもピンコロは1パーセントぐらいだろう、と言う件りに、胸を撫で下ろしたり、、、やれやれ、痛みががあると、人は意地悪くもなる。年は取りたくないものだ。
そんななか、副島隆彦という名が飛びこんできて、なにを読もうかと、目にしたのが、この「老人一年生」だった。
歯切れのいい文体と一頁大のイラストか写真付き、幻冬社らしいと思いながら、ひと晩で読んでしまう。
半年の間に、通風を始めとし、頚痛、腰痛など、さまざまな痛みを経験し、老人とは痛みを抱えるものだと言う。その痛みを若い人は理解しない、自分もそうだったと。
(写真は本書より)
著者は、痛みには、なんとかなる痛みと腐った痛みとがあるという。
要は、骨折とか急性のもので治る痛み、温めたり湿布したり、なだめられる痛みは、良性とでも言える。
腐った痛みは、慢性で治らない痛み、一生もん、というもの。
アメリカの政治ドラマ(イギリスドラマのリメイク)の『野望の階段』で、ケヴィン・スペイシー
演ずる主人公ーーその飼犬が、確か交通事故で瀕死の痛みに耐えているのを見て、「痛みには人を成長させるものと、無益な痛みがある」と呟きながら、愛犬を銃で撃ってしまう場面が強烈であった。
馬などが転倒して苦しむと即殺す場面なども、映画でなんども目にした。
腐った痛みは、無益な痛みと同じである。この無益な痛みに日夜苛まされながら生きる辛さは、だれにも理解できないだろう。
ーー毎日生きているだけで、病床の激しい痛みや中くらいの痛みがずっと続くのはたまらない。体の痛みで顔が歪んで不愉快で、「もう、死んだほうがまし」と思う。ーー
正直、私も、こんな痛みに襲われるのが週1か10日に1度ぐらいだったのが、年々少しずつ悪くなり、今や週3か4ぐらいで襲われる。なにをしていても痛い!
痛みは、サイレント・キラー(影の殺し屋)とも言われているが、間断なく、この殺し屋に狙われている。我慢強い人ほど、後々損をする。痛みは早くとったほうがいいのだ。
整形外科の悪口?もテキパキ言ってくれるし、それこそ子どもたちも理解十分とは言えない。医師は故意に聞かないようにしていると思われるぐらい、どこへ行っても治らないと言われるだけの、ここ数年を過ごしている私としては、こうして痛みを理解してくれる人が一人でもいることを、心づよく思ったしだい。
作者は1953年生まれだから、まだまだ若い。だからこそ老人一年生と言う。
私などは、大学まで行って留年を何年も続けているようなものだ。
シャクに触るのは、同い年の友人が未だに山登りに出かけているのを聞くことだ。
彼女はピンコロタイプなんだろな、などと、羨ましくなる。
でもピンコロは1パーセントぐらいだろう、と言う件りに、胸を撫で下ろしたり、、、やれやれ、痛みががあると、人は意地悪くもなる。年は取りたくないものだ。