1945年8月6日広島に、
9日長崎に原爆は落とされた。
2013年、日本を訪れたオリバー・ストーン監督は言う。
「原爆は戦争を終わらせるためだったとアメリカは言うが、それは嘘である。
ソ連への牽制のためだった。原爆を落とさなくても戦争は終わっていた」と。
そう、アメリカが広島へ原爆投下したあと、
8月9日午前零時にソ連は満州へ侵攻。
同日、午前11時、長崎に原爆が落とされた。
時系列で考えれば、よくわかる。
そして、ソ連は満州を、アメリカは日本を取った。
この日付は、大国の思惑どおり、取り合いのあげくなのだ。
満洲にも空襲はあった。ばかでかいB29の編隊に、
蚊のように小さな黒いものが、体当たりしていったという。
満洲国軍の機銃もない蘭花航空隊の特攻だった。
このあと、満洲でソ連軍がなにをしていったか。
まずは、関東軍や満洲国軍の兵士たち60万人がシベリアへ抑留された。
私の父もそうだった。
戦争というと、太平洋戦争のことしか思い浮かべない人が多い。
もてはやされるのは、ゼロ戦や特攻隊の話ばかり。
ソ連侵攻と敗戦で、満洲でどんな目に遭ったかも、せいぜい帰国婦女子のことくらい。
それも、もう風化してきている。
終戦時4歳だった私は、親兄姉から聞いた話を繰り返し話していくつもりだ。
9日長崎に原爆は落とされた。
2013年、日本を訪れたオリバー・ストーン監督は言う。
「原爆は戦争を終わらせるためだったとアメリカは言うが、それは嘘である。
ソ連への牽制のためだった。原爆を落とさなくても戦争は終わっていた」と。
そう、アメリカが広島へ原爆投下したあと、
8月9日午前零時にソ連は満州へ侵攻。
同日、午前11時、長崎に原爆が落とされた。
時系列で考えれば、よくわかる。
そして、ソ連は満州を、アメリカは日本を取った。
この日付は、大国の思惑どおり、取り合いのあげくなのだ。

満洲にも空襲はあった。ばかでかいB29の編隊に、
蚊のように小さな黒いものが、体当たりしていったという。
満洲国軍の機銃もない蘭花航空隊の特攻だった。
このあと、満洲でソ連軍がなにをしていったか。
まずは、関東軍や満洲国軍の兵士たち60万人がシベリアへ抑留された。
私の父もそうだった。
戦争というと、太平洋戦争のことしか思い浮かべない人が多い。
もてはやされるのは、ゼロ戦や特攻隊の話ばかり。
ソ連侵攻と敗戦で、満洲でどんな目に遭ったかも、せいぜい帰国婦女子のことくらい。
それも、もう風化してきている。
終戦時4歳だった私は、親兄姉から聞いた話を繰り返し話していくつもりだ。