河口付近へ行き、土手に上がるのに無理したせいか、2日間ほど、ひぃひぃ言って転がっていた。
次の日曜日、また晴れた。きれいな青空を見ると、強迫観念のように行かなきゃと思う。痛みも和らぐんだよね。そういうお天気は。
電車に乗り、今まで一度も降りたところのない駅からタクシーで。
長屋門とのこと。昔は茅葺だったのを銅板葺きにしたとか。門の横に長屋があるかどうか見そびれた。
入ってすぐのところに年期の入ったお松さんのお出迎え。このねじり具合は相当だよ。私と同じくらいかな。写真さえうまく撮らせてくれない。
昔の豪農、一之江名主屋敷。わ~い、パンフの写真みたいに撮れた。
上がり框かな、広い! 田舎の家などがテレビで映ると、玄関と上がり框だけで一部屋できそうだ。
室内から。天井が高くて、いいなぁ。こんなところで昼寝がしてみたい。戸外は燃える暑さなのに涼しげな空気。
囲炉裏。夏でも燃やされている。案内の小父さんの話では、茅葺だから、年中いぶしていなければならないとか。
上の方まで。なんだか横溝正史の映画みたい。
お庭に降りる。清澄庭園とちがい、大木が覆いかぶさり、鬱蒼とした感じ。
お稲荷さん。黄色い鳥居が珍しい。いつも省エネ歩きだから、中までは行かない。
少し散策を。真ん中の黒い実、背が届かず、これ以上クロースできなかった。落ちているのは梅?
ーかつて椿と呼ばれた里に江戸時代そのままの佇まいを残す古民家ーとパンフでは謳っている。
ガクアジサイの白い花びらも、すっごく清潔な感じ。
周りに掘られていたという濠も、ひなびている。
竹林。孟宗竹だから写真で見るより太いよ。
岡の階段は上れない。シルバーカーだし、杖でも危ないね。残念。
小さな池の鯉は、清澄庭園みたいに人なつっこくなく、岩かげに隠れてしまった。
しばらく待っていたけれど、出てこない。この写真のタイトルは「陽射し」にしようか。
お決まりの灯篭。つい清澄と比べてしまうが(まだ覚えているということ)規模も違うし、造りも素朴な感じがいい。
葉の形から、キンシバイ、たぶん。
最後にもう一度。茅葺の丸い角を撮りそこねる。
ブロ友さんの真似をして、モノトーンで、江戸時代らしく。
野趣に富んだという言葉がふさわしい豪農の屋敷だった。
次の日曜日、また晴れた。きれいな青空を見ると、強迫観念のように行かなきゃと思う。痛みも和らぐんだよね。そういうお天気は。
電車に乗り、今まで一度も降りたところのない駅からタクシーで。
長屋門とのこと。昔は茅葺だったのを銅板葺きにしたとか。門の横に長屋があるかどうか見そびれた。
入ってすぐのところに年期の入ったお松さんのお出迎え。このねじり具合は相当だよ。私と同じくらいかな。写真さえうまく撮らせてくれない。
昔の豪農、一之江名主屋敷。わ~い、パンフの写真みたいに撮れた。
上がり框かな、広い! 田舎の家などがテレビで映ると、玄関と上がり框だけで一部屋できそうだ。
室内から。天井が高くて、いいなぁ。こんなところで昼寝がしてみたい。戸外は燃える暑さなのに涼しげな空気。
囲炉裏。夏でも燃やされている。案内の小父さんの話では、茅葺だから、年中いぶしていなければならないとか。
上の方まで。なんだか横溝正史の映画みたい。
お庭に降りる。清澄庭園とちがい、大木が覆いかぶさり、鬱蒼とした感じ。
お稲荷さん。黄色い鳥居が珍しい。いつも省エネ歩きだから、中までは行かない。
少し散策を。真ん中の黒い実、背が届かず、これ以上クロースできなかった。落ちているのは梅?
ーかつて椿と呼ばれた里に江戸時代そのままの佇まいを残す古民家ーとパンフでは謳っている。
ガクアジサイの白い花びらも、すっごく清潔な感じ。
周りに掘られていたという濠も、ひなびている。
竹林。孟宗竹だから写真で見るより太いよ。
岡の階段は上れない。シルバーカーだし、杖でも危ないね。残念。
小さな池の鯉は、清澄庭園みたいに人なつっこくなく、岩かげに隠れてしまった。
しばらく待っていたけれど、出てこない。この写真のタイトルは「陽射し」にしようか。
お決まりの灯篭。つい清澄と比べてしまうが(まだ覚えているということ)規模も違うし、造りも素朴な感じがいい。
葉の形から、キンシバイ、たぶん。
最後にもう一度。茅葺の丸い角を撮りそこねる。
ブロ友さんの真似をして、モノトーンで、江戸時代らしく。
野趣に富んだという言葉がふさわしい豪農の屋敷だった。
子どものころ母の実家に行くとこんな間取りででした。
懐かしく拝見させていただきました。
街っ子の私は庭の広さにも驚いたのを思い出しました。
昔のお家、良いですね^^もちろん豪農だからだけれど
昔の床の生活、私には無理だなあと・・・囲炉裏のそばに座ることも出来ない^^;
良いお出かけが出来て良かったですね^^
煤けた柱や梁、高い天井の日本家屋は涼しいですよね~♡
姑の実家は長屋門があって、叔父は表具師をしていたので作業場になっていました。
つゆさんは横溝正史の世界を連想されたようですが・・・
横溝正史の父親は岡山県の出身で、正史も1945年4月から3年間、今の倉敷市真備町(昨年大洪水で有名になった)に疎開をしていたそうです。
以前、吹屋の定兼邸が横溝の映画の撮影に使われたことを書き込みましたが、そこでは使用人の部屋になっていました。
囲炉裏にはちゃんと役目があったんだ^^
したっけ。
やはり……父の実家も似ていました。
こんなに立派ではありませんでした。庭も全然狭かったです。
大事な写真を載せるのを忘れましたが、井戸もありました。
夏には、スイカを冷やして。
建物はスマホでも絵になりましたが、植物はいまひとつで。巨大な樹で鬱蒼としていましたが、
ひどい写真ばかりになりました。
そう、囲炉裏のそばの丸茣蓙に座ったら、自分では、もう立ち上がれません。畳の部屋もフカフカと心もとなく感じました
曲り家というのですか。
とても立派なお屋敷でした。煤けた天井や柱など、外の明るさに比べて、静かな落ち着いた感じがありました。
横溝の映画は大抵見ていますから、それが頭にあったのでしょうね。
正史が書くときも、脳裡にはきっと岡山に疎開していた頃のイメージがあったのでしょう。
本も映画も、怖い怖いでしたが、お義母さまのご実家は、懐かしく思われたことでしょう。
囲炉裏の明かりがほんのりして、とてもいい感じでした。茅葺屋根のためもあったとは、私も、初めて知りました。
からっとしたお天気でしたから、室内も庭も涼しかったですよ。
こんにちは😃
風情のある素敵な写真ですね
囲炉裏の上部火棚の上にある
ものすごい大きなフック?みたいなものは
木製ですか?
木製でしたら
かなり太い木をあのような形に
削り加工するのに
苦労したでしょうね
勉強になる写真ですね
大きいですね。なにかを上げ下げするためなら、下にあるフックで煮炊きする鍋?みたいな物を吊るすためかなと。
木製に見えますが、重い物を吊るすには相当丈夫な材料でないと。そのすぐ下では太い針金も使われているようです。
普通の興味だけで行き、はっきりしなくて申しわけありません。
室内をもっとたくさん撮ればよかったとも思っています。