秋紀 芳慧 (Yoshie Akinori)

ヤマ

芯を持って立つ。

おなかに力をいれる。

そして「自分」を意識する。

名前なんてなんでもない。生まれてくるとき他の名前でも良かった。

そんな呼び名で自分を確認するのではなく、自分を、己を中に意識する。

言葉では言い尽くせないが、それを意識する事が大事。

その中から狂気が生まれる可能性が出てくる。頭で想像している薄っぺらいもので

はなく、体から発する狂気。











稽古場にあるパイプ椅子を無秩序に積み上げる。高く無意味な物体に仕立て上げ

る。

それに意味はない。ただ乱暴にひっくりあがったパイプ椅子の山を作る。

そいつを意識する。

意識して立つ。

意識して存在する。

自分が意識して存在する。

自分を意識して存在する。

自分とパイプ椅子の山。

パイプ椅子と自分。

自分の山とパイプ椅子。

生命のあるものと意味のないよく分からないもの。

息をするものと息をしないもの。

意味があるかもしれないものとないかもしれないもの。

それが同じ空間に存在する。

自分を意識する。

自分を意識する。

意識する。

意識する。

そして私が存在する。

存在する。

存在する。

存在する。

存在する。

存在する。

存在する。

存在する。










ひとしきり意識できたら、パイプ椅子の山に体を預ける。

もしくはぶつける。

もしくは体当たりしてみる。

身体的にも精神的にもこれは挑戦であり暴力である。

単なる乱暴だが、無意味の乱暴は自分への挑戦でもあり、確認でもある。

痛みの中に狂気が宿る。

痛みを感じるということは違う気が生じるという事だ。

意識した瞬間もうなにか日常と違ったものになってしまう。

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