今日は、かなり慎重に、自分の身体を見ながらの稽古でした。
ゆったりと呼吸するようにつとめながら、ゆっくりと動く稽古です。慎重に身体を動かしていくと、自分のクセや、身体の不具合(?)みたいなものがダーっと感じられます。
身体のノイズにいちいち考え込んだりすることなく、大きな目で見ていきます。そういったことにはかなり集中力がいります。その目はただ身体の中のいろいろな部分や思いもよらない場所にも及びます。
頭蓋骨の中心で音の響きを聴く
足の裏側の皮膚
骨格の固さ
自分の身体の使い方
身体の痛いところ
呼吸の深さ浅さ
肋骨の動き
眼球の筋肉の移ろい
足の筋肉のこわばり
細胞の生き死に
口から取り込む酸素と吐き出す二酸化炭素
細胞に託されていく記憶
ワタシというものが細胞が生まれ変わっても意識は途切れることなく続いていく
から、
空気の湿気
身体にまとわりつく空気
音の響きを受け取ろうと全身が耳のようになっている
皮膚の穴という穴が感触を感じようといっぱいにひらいていく
音の響きを感じようとしている
骨の中まで時間がかかっても伝わっていく響き
とかを感じていく。
その「感じる」という中に、身体を動かしていく、駆動させていくものがあります。なんにも感じなかったら、身動きできない。でも感じることによって、動ける。身体のいろんな場所に響きを感じ取らせていく。決して耳だけで音楽を聴くのではない。身体が響きをとらえていく。音楽とはメロディラインが中心ではなく、響きこそがその骨格にあると考えます。ピアノの音、オーケストラの音、そのメロディラインをとらえていくのではなく、あくまで響きをとらえる。その響きに対応した、あるいは反応した、または反発する、そういったものと向き合うことから動きが生まれていく。動きにも質感があって、早い動きから、ゆったりした動き、もったりした動き、さらっとした動き、そういった質感を持ちながら動くと言葉が身体からあふれていきます。それは一般に流通した言葉ではなく、身体だけがもつ言語、しかも自分だけしかわからない、自分でも十分理解できるとは言い切れない言語。その質感が感じられたら、もっと踊れると感じます。強制的に音楽に合わせられた身体ではなく、身体の持つ質感が語る言葉。
それが感じられたいい稽古でした。
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