秋紀 芳慧 (Yoshie Akinori)

即興の可能性

梅雨に入り、じめじめしている今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。


そんな中で即興のダンスの練習をしました。即興についてはダンスでもいろいろな方が試みているかと思います。僕自身は振付をしっかりと固めて作品を作るということが苦手であるので、メンバーにも即興を要求します。

昨日はモーツァルトを流しながら踊ってみました。先入観を出来るだけ排除した即興です。自分の持ち駒をなくしていき、パソコンでいうとメモリーを0にして踊るということをやってみました。
いつもこういった稽古をしているのですが、頭が真っ白になるかというとそういうわけではありません。いろいろな感触が響いていきます。
空気の感触、音の肌触り、空間の広さ、温度、湿度、光、音の肌触り、そういったものを使って自分で自分を作っていきます。
「私」とはなんぞや。身体を掘っても掘っても何か出てくるものはなし。ただただ動いている間になにかしら浮かんでは消えるようなものを必死につかもうとして踊っている感じ。

モーツァルトの交響曲で踊ってみると音の響きが伝わってくる。それとデュエットしてみる。響きはいろいろと姿を変え、変化し、無心になれるようにひたすら動く。自分の体重がしっかりと床からすくっと立っている。バランスを崩しながらたゆたいながら踊る。

モーツァルトの気違いじみた音楽、常習性のある音楽、テンポ通りに指揮者とオーケストラが演奏しているかといえば、どっか外している。それは、譜面上に書かれてある指示なのか、指揮者の意向なのか。ただ響きをとらえるようにしながら動く。

脳みその別回路を使って動いているような感じ。自分をいかに外側から見ながら操れるか。

自分がだんだん別物になっていくようで二つに分断されるよう。実体としての身体と、意識が離れているワタシ。


不安定な身体から引き起こされる可能性について、日々考えています。

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